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震災証言「あの日、あの時」茨城空港再開へ 元空港ビル管理事務所長の思い

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震災
伝える
茨城ニュースいば6
茨城
2015年12月9日

震災証言記録「あの日、あの時」。
震災で一時は閉鎖された茨城空港。
当時、鉄道や高速道路などの交通機関が混乱しているなか、重要な移動の手段として一刻も早い再開が求められました。

今回は、空港の再開に向けて奮闘した当時の空港ビル管理事務所長の証言です。

■震度6強の揺れ、天井が落下するなど大きな被害

あの日、震度6強の揺れに襲われた茨城空港。
天井が落ちるなど大きな被害を受けました。

当時、茨城空港ターミナルビルの管理事務所長を務めていた、田山彰美さん。
この瞬間を目の当たりにしていました。

田山さん
「見上げたら、天井に張ってある白いボードが一気にドーンと落ちてきた。自分でどうしたらいいかわからない、一瞬そういう状況がありました」

警備員「ゆっくりお願いします」

職員や警備員が協力して、駐車場への避難を呼びかけました。
その時間、空港に人は少なく、けが人はいませんでした。

■このままの状態で利用客を入れることは危険

田山さんは、すぐに被害の確認に取りかかりました。

しかし、停電した真っ暗な空港は、天井が落ちただけではなく、照明や壁など至る所が壊れ、詳しい被害状況をつかむことができませんでした。

田山さん
「そう簡単には復旧は難しいだろうなと思いました。
 このままの状態では、お客さんを入れるということは危険でしたし、対応ができないんじゃないかなと思いました」

■国と県から再開の要請、しかし被害の全貌つかめず

閉鎖された茨城空港。

しかし、滑走路などに問題がないことから、翌日には、空港関係者による会議が開かれ、国と県からすぐにでも再開してほしいと要請がありました。

田山さん
「ビルとしての提供はできませんと、強くお願いをして、もう少し待ってくれと」

鉄道や高速道路などの交通機関が混乱するなか、避難や移動の手段として重要な役割を求められていた茨城空港。

しかし、被害の全貌がつかめず、再開に何が必要なのかもわからないなか、明確な返答はできませんでした。

田山さん
「なんとかしたいけれども、なんとかできないという状況になっていて。国や県からの要望もわかるんですが、なかなか応えられない自分の歯がゆさを感じました」

■空港再開への最大の問題は、“残りの天井”

田山さん
「(余震で)揺らされると、また(天井が)落ちる可能性があるなと」

空港再開の要請を受けた翌日、専門家とともに調べた結果、再開への最大の問題は、いつ落ちてもおかしくない残った天井でした。

搭乗ロビーには、危険な天井の下を通らなければ入ることができません。

田山さん
「人に当たったりしたら大変危険なので、できるだけそういった危険を避けなければいけない。そういう施設にしなければいけないなと思いました」

■再開まで13時間、徹夜で仮設通路の設置作業

そこで急遽、関係者を集めた安全対策会議が開かれました。
会議では、乗客をターミナルビルの外を通す案など、さまざまな案が出ました。

最終的に採用されたのは、天井の下にトンネルのような仮設の通路を作り、搭乗ロビーに向かう人を守るという案でした。

田山さん
「これでなんとかお客様を旅客のところまで案内できるようになれば助かるなと。これでなんとかいけると思いましたね」

空港の再開は、翌朝の8時に決定。
再開まで13時間しかないなか、田山さんも立ち会い、夜を徹した作業が進められました。

■被災からわずか3日目の午前8時に空港は再開

搭乗ロビーまでの安全を確保した仮設の通路が完成したのは、午前2時でした。

被災からわずか3日目の午前8時、空港は再開。
臨時便も運航され、避難する人や支援に向かう人の窓口としての役割を果たすことができました。

田山さん
「なんとかお客さんに提供できて、よかったなという思いでしたね。
 災害に対して早く復旧しようというみんなの気持ちが一つになったからこそ、実現できたのかなと思います」

■空港での勤務を離れた今も、思いや教訓は引き継がれ

震災時、被災した人や支援に向かう人などにとって茨城空港は重要な役割を果たすため、多くの人の努力によって、わずか3日間で再開することができたといえます。

茨城空港では現在、落下した天井の部分はすべて撤去して事故が起きないようにしています。
また、現在は地震が起きた時のマニュアルも整備して災害への備えを徹底しています。

震災のあと、この記憶を風化させないために月に1回、事務所の職員やビルのテナントのスタッフを集めた集会を開いています。
このなかで、地震が起きたときの客を避難させる経路の確認のほか、それぞれの対応や手順などを確認しています。

田山さんは現在、空港を離れて日立市で勤務していますが、安全に空港を運営したいという思いや震災から学んだ教訓は今も空港で勤務する人たちに引き継がれています。

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