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特攻出撃前の肉声 同世代の若者にどう響く

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語り継ぐ
首都圏ネットワーク
東京
2015年6月4日

戦後70年。
太平洋戦争の末期、ある学徒が特攻で出撃する前の音声が残されていました。

6月から始まった東京の大学の展示会で公開されている、肉声によるメッセージ。
同世代となるいまの学生たちはどう受け止めたのでしょうか。

■特攻出撃前の学徒の肉声を写真とともに公開

戦後70年にあわせて、6月から慶応大学で開かれている展示会。

特攻で出撃する前の、ある学徒の写真とともに、当時の肉声も公開されています。

録音された音声
「(父よ)母よ、弟よ、妹よ。
 そして永い間はぐくんでくれた
 町よ、学校よ、さようなら。
 本当にありがとう」。

■21歳で絶命した“人間魚雷”の乗組員

この声を残したのは、大学1年生で学徒出陣した塚本太郎さん。
太平洋戦争末期、戦況が悪化する中、切り札として開発された特攻兵器「回天」の乗組員でした。

一人乗りの窓のない潜水艇。
そのまま相手の船に体当たりすることから、
「人間魚雷」と呼ばれていました。

昭和20年1月。
太郎さんは、特攻作戦でこの「回天」で出撃し、21歳の命を終えました。

■特攻出撃2か月前、家族に内緒で収録

太郎さんの弟、悠策さんです。

声は、レコードに録音されていました。
特攻出撃の2か月前に実家に帰省したとき、
太郎さんが家族に内緒で収録していたのです。

戦後30年以上たって、押し入れの荷物を整理していたときに、悠策さんが見つけました。

「びっくりしました。
 最後の別れに東京に来たとき、
 そういう(特攻の)話は一切言わなかった」

悠策さんは兄から託された思いを、家族だけにとどめておいてはいけないと考えるようになりました。

子どもの頃の悠策さん

「兄の気持ちをつなげていかないと後世に残らない。
 兄が私にいたずらしたり、からかわれたりして、そういうことがなくなっちゃう、ある日を境にしてなくなっちゃう。
 そういう年代であったこと感じて欲しい」。

■学生たちが初めて聞く、特攻隊員の肉声

悠策さんは、兄が家族のために残した写真アルバムなどの品々を、慶応大学に寄贈したのです。

大学での展示会は学生たちの手作りで準備が進められました。

初めて聞く、特攻隊員の肉声です。

録音された音声
「春は春風が都の空におどり、
 みんなと川辺に遊んだっけ。
 こうやってみんなと、
 愉快にいつまでも暮らしたい」。

途中から、勇ましい言葉に変わっていきます。

録音された音声
「我等今ぞいかん、南の海に北の島に
 全てをなげうって戦わん。
 十億の民が希望の瞳で招いている。
 みんなさようなら、
 元気で征きます」。

学生の横山寛さん
「どういう気持ちで吹き込んだのかな」。

■音声に添える写真に選んだのは、部活動の様子

音声にどんな写真を添えたらいいのか。
アルバムの中から展示する1ページを探します。

決めたのは、部活動のページ。
勇ましさや家族への愛情を持ち合わせる、ふつうの大学生が特攻に行ったことを強調したいと考えたのです。

■いまの二十歳の大学生が感じたことは

そしてこの日、弟の悠策さんが展示会場を訪れました。

「二十歳だからそれ以外ないですよね。
 子どもの頃の思い出しか無いわけですからね。
 くみとってあげないとね」。

悠策さんから話を聞くことで、より当時の太郎さんの思いに近づいていきます。

学生の成田沙季さん
「いまの二十歳の私たちは、これからの人生を夢いっぱいに想像したりするのが当たり前のようになっているので、
 たった20年分の思い出を抱きしめながら命を失わなければいけなかった。
 すごく残酷なものだと、あらためて思いました」。

「戦争のきびしさ考えるときに、若い人が関心持って後世に残してくれるのは、本当にありがたい」。

70年前の学生から、いまの学生へ。
声が伝える戦争の記憶です。

録音された音声
「僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ」。

展示会は東京・港区の慶応大学で8月6日まで開かれています。

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