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東京大空襲から70年 逃げずに失われた命

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戦争を伝える
空襲
首都圏ネットワーク
東京
2015年3月31日

70年前の東京大空襲では、アメリカ軍の爆撃によって、およそ10万人が犠牲になりました。
正確な人数や亡くなった詳しい状況など、今も多くのことが分かっていません。
そうしたなか、注目されているのが、空襲から逃げずに亡くなった人たちの存在です。
遺族の証言や専門家の研究から、なぜ、多くの人が逃げなかったのか、その一端が明らかになってきています。

■ひとり家に残り、空襲の犠牲になった兄

3月、都内で開かれた東京大空襲の追悼集会です。
遺族などおよそ180人が参加しました。
空襲で兄を亡くした葉山美佐子さん(78)です。
この日、みずからの体験を語りました。

葉山さんは「母は弟をおぶって、私と手をつないで逃げたんですが、兄は家を守るために1人残りました。そのことが私にとっていちばん悔やまれています」と、参加者を前に語りかけました。

兄の慶秀さんは当時13歳。
空襲があった3月10日、葉山さんたち家族を先に逃がし、自宅に残りました。
不在だった父に代わって「自分が家を守る」と話した慶秀さん。
それが兄の最後のことばになりました。

葉山さんは「(兄は)どうして逃げなかったのかということを、私はずっと思ってきました」と話しています。

空襲から逃げずに犠牲になったのは、葉山さんの兄だけではありません。
遺族から寄せられた証言からは、家族とは一緒に逃げず、自宅に最後まで残っていて亡くなった人が多いことが分かってきました。

■退去禁止や消火義務、「防空法」が影響

なぜ、多くの人が逃げようとしなかったのか。
その理由の一つが明らかになった裁判があります。
空襲で家族を失った人たちなどが国に賠償や謝罪を求め、去年まで争われた「大阪空襲訴訟」です。

争点の一つとなったのが、昭和12年に作られた法律、「防空法」です。
空襲への備えを強化するため、昭和16年、太平洋戦争が始まる直前に改正されました。
退去の禁止や消火の義務づけを、大臣が命じることができると定められました。

弁護団の1人、大前治さんです。
防空法改正の前後から、空襲から逃げることをよしとしない空気が広がっていったことが、分かってきたといいます。

国が家庭向けに発行した冊子です。
「命令なく、事前に避難や退去してはいけない」と記されています。

「『主婦の友』の7月号で、家庭防空必勝号と書いてありますね」と、大前さんは紹介してくれました。

昭和18年、戦争が激しくなってくると、一般の雑誌でも「消防隊に頼るな」「素人にも消しやすい」など、国民は逃げずに消火活動に当たるべきだと呼びかけていました。

判決は去年確定し、国民一般に退去を禁じていたとはいえないなどとして、国の賠償責任を認めませんでした。

一方で、国が「事前に退去することが事実上困難といえる状況を作り出していたと認められる」と指摘しています。

大前さんは「国民を守るための法律ではなかった。国民が犠牲になって、国を守る、国家体制を守る、戦争を続けていく、そのための法律だったんですよね。それが、あたかも美しい国民の義務であるかのように、それをするのが日本人として当然の定めであるかのように宣伝されていた」と当時を分析しています。

■父を失った遺族のやりきれない思い

多くの人が、空襲から逃げないことが当然だと考えるようになっていった実態。
このことに憤りを感じている遺族がいます。
大竹正春さん(84)です。
父親は、最後まで火を消そうとして亡くなったといいます。

大竹さんは「空襲が始まっている時の新聞だけど、少しも危険はないって書いてある。案外消しやすいとかね、焼い弾が落ちても消せるって思ってたんじゃないですか」と、振り返ります。

「私の家があったところです」と、大竹さんは案内してくれました。

父の一男さんは、国の方針に従い、近所の人と日々、消火訓練をしていました。
東京大空襲の当日、訓練どおりに自宅に残った一男さん。
屋根に飛んでくる火の粉を、必死に振り払っていたといいます。
一緒に逃げていれば助かっていたかもしれない父。
大竹さんは、やりきれない思いを抱えています。

大竹さんは「どこでも思うところに爆弾を落とせるような状況になっているのに、火が消せるから国民の皆さん協力して守ってくださいなんて言われて、本当にみんな無駄死にですよね」と、無念の表情を浮かべていました。

空襲から逃げず、また逃げられずに失われた多くの命。
空襲の検証は終わっていません。

■取材後記

酒井有華子ディレクター(首都圏放送センター)

多くの空襲を体験された方から、政府の方針を直接は知らないのに、いつの間にか「火を消すべきだ」「逃げないのが当たり前だ」と思いこんでいったという話をお聞きしました。焼夷弾は危険だという情報が抑制され、頑張れば消せるという精神論が声高に叫ばれていた社会、そこに疑問を抱かなくなることへの怖さを感じました。
「戦争が始まったらもう誰にも止められない。始まる前に止めなくては」取材した遺族の大竹さんの言葉です。この言葉をどう受け取りこれからに生かすのか、4月24日に放送予定の「特報首都圏」では、更に多くの証言と資料から考えていきます。

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