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東日本大震災から13年 千葉県の追悼や備えの動きは

  • 2024年03月11日

東日本大震災から3月11日で13年となりました。千葉県では22人が死亡、2人が行方不明、270人がけがをしました。大きな被害を受けた旭市の追悼の動きや県内各地で教訓を語り継ごうとする活動についてお伝えします。

11日の朝 旭市では

旭市では最大7.6メートルの津波が押し寄せ、震災関連死を含めて14人が亡くなり、2人が行方不明となっています。

被害が大きかった飯岡地区では11日朝、日の出の時間から海沿いを歩き、当時の状況に思いをはせる人の姿が見られました。

夫婦で散歩をしていた80代の男性は、「大きな揺れの後車で高台に避難しましたが、津波で自宅はめちゃくちゃになりました。妻は高校の同窓会に出かけていたため、避難所でしばらく会うことが出来なかったことを思い出します。13年前を教訓にいまも地震が起きたらすぐに避難することを心がけています」と話しました。

また、近くに住む60代の男性は「あっという間の13年でした。最近、千葉県で地震が増えているので日頃から備えなければと思い水などを備蓄しています」と話しました。

近くに住み、震災当時は千葉県山武市の勤め先で大きな揺れに見舞われたという男性は「自宅が心配になり帰宅する途中、津波や地震の揺れが起き町並みが変わっていたことを思い出します。13年がたって地区は空き地が目立つようになりました。安全な場所として、内陸に家を建てる人もいるので過疎化が進むのではないか」と話していました。

旭市の慰霊碑では献花

16人が犠牲となった旭市では、大きな被害が出た飯岡地区にある慰霊碑に住民らが集まり、追悼の祈りをささげました。

地震が発生した午後2時46分にサイレンが鳴り響くと、黙とうして犠牲者に追悼の祈りをささげました。

祖父母の住宅が被害を受けた市内に住む50代の男性は「倒壊した家や乗り捨てられたままの車など当時見たものは目に焼きついて離れません。東北と比べると被害が少なかったことから千葉県は忘れられがちですが、絶対に風化させてはいけない。犠牲者の方々を決して忘れないという思いで手を合わせました」と話していました。

旭市 米本弥一郎市長

旭市の米本弥一郎市長は、千葉県で2月下旬以降、地震が頻発していることに触れた上で、「東日本大震災まではこの地域は『遠浅だから津波は来ない』という間違った知識が伝わっていました。震災を教訓に正しい知識を広め、ふだんから備蓄など地震の備えを進めていきたい」と話していました。

10年以上語り部を続ける男性は

旭市の防災資料館で管理人を務め、語り部の活動を続けている宮本栄一さんは東日本大震災から13年となる11日も資料館で訪れた人に津波に巻き込まれた時の経験などを伝えていました。
資料館は月曜日は休館ですが、きょうは特別に開館していて、県内外から多くの人が訪れていました。

宮本さんは「13年たった今も伝えたいことは変わりません。私が話したことばが少しでもみなさんの印象に残り、いざというとき、命を守る行動につながればと思っています」と話しました。

 

津波に飲まれた語り部 今こそ伝えたい教訓 宮本栄一さんの思いを伝える記事は こちら👇

"記憶を子どもたちに" 追悼花火

旭市の海岸では11日夜、花火で犠牲者を追悼する催しが開かれました。

 

この催しは、地元の市民グループが子どもたちに震災の記憶を語り継ごうと開かれ子ども連れなどおよそ30人が参加しました。

 

参加した人たちは花火の光を見つめながら、13年前の震災に思いをはせていました。

小学生の息子と参加した母親は、「ことしは能登半島地震の犠牲者の方も追悼しました。子どもたちが震災を考えるきっかけにしてほしい」と話していました。8歳の男の子は、「学校の防災教育などで震災について学んでいますが、当時の人たちは大変な思いをしたのだと感じました」と話していました。

 

旭こども応援隊 椎名保代表

市民グループ「旭こども応援隊」の椎名保代表は、「旭市でも16人が犠牲になったことを絶対に忘れてほしくない。この花火を家族と話し合うきっかけにしてほしい」と話していました。

各地で備えの動きも

旭市では13年になるのを前に、2月25日、市内で訓練が行われ、高さ10メートルの津波が発生したという想定で訓練が行われました。
避難場所は市内の公共施設や高台のほか避難タワーなどあわせて22カ所で、このうち、津波被害が大きかった飯岡地区の避難タワーには近くの住民46人が避難しました。参加した60代の男性は「当時、自宅が1メートル30センチ浸水し、両親と2階に避難しました。訓練は必要だと思い、毎年参加しています」と話しました。

旭市の避難訓練

また、大網白里市では3月10日、地震活動が活発化している千葉県東方沖周辺で、大地震が起きて震度6強の揺れに見舞われ、高さ10メートルの津波が発生したという想定で訓練が行われました。新型コロナの影響などもあって、市単独での訓練は5年ぶりで、市が指定する緊急避難場所9か所におよそ570人が避難しました。参加した女性は「能登半島や千葉県東方沖など地震が多く、どきどきして安心して寝ていられない。日頃から衣類なども含め持ち出せるよう備えはしてあります」と話してました。

大網白里市の避難訓練

千葉県での被害

東日本大震災をもたらしたのは、2011年3月11日午後2時46分に起きた国内観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震でした。

東日本大震災とは? 震度や津波の高さ、地震のメカニズム、教訓などはこちら

千葉県内では最大で震度6弱の揺れを観測しました。

千葉県 東日本大震災記録誌より

震度6弱
成田市 印西市
震度5強
千葉市中央区 千葉市花見川区 千葉市若葉区 千葉市美浜区 銚子市 野田市 佐倉市 東金市 旭市 習志野市 柏市 八千代市 浦安市 白井市 香取市 山武市 栄町 神崎町 多古町 白子町 鋸南町

津波は、旭市の飯岡地区で最大7.6メートルに達したとみられるなど、銚子市からいすみ市にかけての九十九里浜沿岸を中心に大きな被害が出ました。

13年前の旭市の様子

千葉県によりますと、県内では22人が死亡し、2人が行方不明、270人がケガをしました。
このうち、津波が原因で死亡したのは旭市で13人、山武市で1人となっています。

また、千葉県の在住者で避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は4人となっています。

建物の被害は、全壊が807棟、半壊が1万313棟、一部損壊が5万7523棟に上りました。

13年前の浦安市の様子

一方、東京湾沿岸や利根川沿いを中心に浦安市や我孫子市、習志野市、千葉市など25の市と町で液状化による被害が出ました。

13年前の浦安市の様子

また、市原市にあるコスモ石油千葉製油所では点検中の液化石油ガスのタンクが倒壊して爆発し、10日間に渡って燃え続け、6人が重軽傷を負いました。

県の震災関連の復旧事業は99事業すべてが完了し、復興事業も108事業のうち県立中央図書館などの施設の耐震化や、九十九里地域の防災林の造成などを除く、103事業が完了しています。県は事業の大半が完了したため、各部局の連携や調整を行っていた「東日本大震災 千葉県災害復旧・復興本部」を3月末で廃止することにしています。

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