ロシアのウクライナへの軍事侵攻からまもなく2か月となります。1か月前のこのコーナーでは、千葉県内に住むロシアにゆかりが深い人たちの苦悩について伝えました。ロシアで活躍したバレエ講師の女性と、ロシア料理店を営むロシア人の親子。侵攻が長引く中で、彼女たちはそれぞれ、新たなアクションを起こしていました。
(千葉放送局記者 金子ひとみ)
袖ケ浦市でバレエ教室を開いている砂原伽音さんは、14歳の時、モスクワに留学して、現地のバレエ団でロシアやウクライナのダンサーと同じステージで活躍。現地で結婚・出産もして、おととし帰国するまで人生のほぼ半分をロシアで過ごしてきました。
1か月前の取材では、軍事侵攻のあとキエフに住む友人と連絡が取れなくなり、心配で寝られない日が続いていると話していました。その後、友人とは無事、連絡が取れましたが、侵攻が長引く中、バレエ教室の生徒たちに「ウクライナのことをもっと知ってほしい」と自分がロシア留学時代に習得したウクライナの伝統舞踊を教え始めました。
テレビで毎日、ウクライナ侵攻のニュースが流れていて、子どもたちも気になるだろうなと思って、じゃあウクライナ舞踊を教えよう、と。ウクライナ舞踊とロシア舞踊は全然違うものなんだよ、ということを分かってほしいと思ったんです。でも、似てるところもあって、ウクライナ舞踊もロシア舞踊も、スカートに添える手は「グー」なんです。じゃがいもの収穫などで土を触った後に踊る際、スカートが汚れないように「グー」で踊ると聞いています。
ウクライナ舞踊は、高いジャンプや速いターンなど、ダイナミックな動きが特徴です。教室に通う小中学生6人が、砂原さんの友人のバレエダンサー、茂木恵一郎さんとオンラインでつないで、「練習」と「タイミング」が重要であることなどを教わりました。
そのあと、ウクライナ舞踊ならではの花飾りやリボンを身につけた子どもたちは、ステップやターン、ジャンプを繰り返し練習していました。
うまくできたかはわからないけれど、激しい踊りで楽しかったです。ウクライナの国旗をイメージした衣装で踊ってみて、ウクライナの色って明るいんだなと思いました。ウクライナで多くの人が亡くなっていますが、早くロシアが戦争を止め、ウクライナに幸せが戻ってきてほしいと思います。
いつものバレエの曲と比べて、激しくて、こっちのほうが疲れます。でも、踊っているときも踊った後もすごく楽しいです。ウクライナではこういう踊りをしているのかというのを体験することができました。戦いに行っている人やその家族はすごくつらいと思う。早く終わって幸せな暮らしをしてほしいです。
ウクライナの文化がどういったもので、ロシアの文化がどういったものなのか、いま、それを伝えるのは、私のように現地にいたことがあったり現地のことばがわかったりする人間の役割だと考えています。ロシアには早くウクライナから去ってほしい。ウクライナはロシアの「おうち」ではない。ロシアはロシアという「おうち」に早く帰ってほしいです。
ロシアのハバロフスク出身のステッツク・アナスタシアさんと娘のダイアナさんは、4年前から千葉市中央区でロシア料理店「マトリョーシカ」を開いていて、ウクライナの伝統的な家庭料理、ボルシチは看板メニューの1つです。
1か月前の取材では、ウクライナの親族や知人の安否を心配していたほか、ダイアナさんのSNSに「母国に帰れ」という書き込みがあるなど、インターネット上のロシア人に対するひぼう中傷やヘイトクライムに心を痛めていました。
ウクライナ侵攻が長引く中、2人は、ウクライナから避難して来た人の仕事や生活を支援したいとSNSに書き込みました。すると、千葉県内や都内などに避難して来た10人ほどから「店で働きたい」とか「自治体などに提出する書類作りを手伝ってほしい」といった声が寄せられました。2人は、ウクライナから避難してきた人に就労できるビザが発行されたら店で従業員として働いてもらいたいと考え、準備を進めています。
こんなに戦争が長引くとは予想してなかったんですけど、ニュースを見ているだけじゃダメだなって思って。侵攻が始まった直後はロシア人であることを恥ずかしいと思ったこともありましたが、千葉市にあるロシアレストランだからできること、手伝えることをやりたいなと思ったんです。このお店には、千葉市役所の人も食べに来てくれるから、つないであげることもできる。
大きい戦争になってしまって、人もたくさん亡くなっていて、信じられない状況です。私自身も来日したときは、わからないことだらけで、たくさんの人に助けられました。今は、ウクライナから来て困っている人たちに恩返しをしたい気持ちです。この店には、日本語ができなくてもできる仕事、料理の仕込みや掃除などたくさんあります。
いま、2人は、避難して来た人たちの「よりどころ」となりたいという思いがあります。
ここ、マトリョーシカが、避難して来た人たちが頼れる場所になるといいなと考えています。平和で安全なことが一番大事。戦うことでなく、力を合わせてできることをやっていきたいです。
避難してきた人たちは、ウクライナでの怖い体験をしたばかりだし、何もわからない土地だし、残してきた家族や友達のことは気になるし、不安が大きいと思うけど、あまりストレスをためないでと言いたい。日本は安全なところだから、ゆっくりして、未来のことを考えて、がんばりましょう。
砂原さんもステッツクさん親子も、つながりが深いのはロシアです。でも、友人や親類が多く住んでいるウクライナの状況が悪化していくのを目にして、いてもたってもおられず、「ウクライナのために、自分だからこそできること」を考えてのあらたな一手だったのだと思いました。今後、私も避難してきた人たちに出くわしたときに手を差し伸べられるだろうか、と少しドキッとしました。