かつて、東京などで活躍した路面電車。
人々の生活に欠かせない、身近な交通手段でした。
【東京都電】
都電の始まりは、1911(明治44)年に当時の東京市が東京鉄道株式会社から路面電車事業を買収し、東京市電とした時で、ことし(2022年)で111年目になります。戦前から路線を拡大し、最盛期にはおよそ40の系統が走り、網の目のように都内を結んでいました。
映像のように、国内最大級の可動橋として知られる隅田川にかかる「勝鬨橋」を通る路線もありました。特に昭和30年代前半には、毎年1日平均160万人以上が利用するなどまさに「黄金時代」でした。
しかし、自動車の交通量が増え、道路上の軌道にまで車があふれるようになるなどして利便性が低下。路線も徐々に廃止されていきました。その中で、路線の大部分が専用軌道であることや、沿線住民からの強い存続の要望があったことなどから唯一「荒川線」(三ノ輪橋~早稲田)が残されました。
地域や観光客にもっと親しんでもらおうと、「東京さくらトラム」という愛称がつけられました。
【東急玉川線】
「玉電」として親しまれた、東急玉川線は1907(明治40)年に開通し、渋谷と二子玉川園(今の二子玉川)を結びました。建築材料に使われる多摩川の砂利の運搬をはじめ、沿線住民の通勤・通学、さらには遊園地へのアクセスとして欠かせない存在でした。
しかし、こちらも、自動車の急増に伴って時刻表通りの運行が難しくなり、交通渋滞の原因とさえ言われました。そして、1969(昭和44)年に幕を下ろします。その後、地下に「東急新玉川線」が開業、今は田園都市線の一部として東武鉄道や東京メトロ半蔵門線と相互乗り入れを行って、東京都心を経由して埼玉と神奈川を結ぶ一角を形成しています。
地上には首都高速道路が建設されました。そして、玉電の一部だった三軒茶屋と下高井戸の間は「東急世田谷線」として今も走り続けています。
【横浜市電・川崎市電】
横浜・川崎にもかつて路面電車が走っていました。横浜市電は、1904(明治37)年に開業し、川崎市電は1944(昭和19)年に開業。こちらも自動車交通量の増加などで徐々に縮小し、横浜市電は1972(昭和47)年に、川崎市電は1969(昭和44)年にその使命を終え、その役割を地下鉄やバスに譲りました。
【復活のきざしも】
渋滞の増加などを引き起こしてきたとも指摘された路面電車。しかし、環境問題への関心が高まる中、近年、その役割が見直され、LRT(Light Rail Transit)と呼ばれる新たな路面電車も注目を集めています。関東では、来年夏、栃木県の宇都宮市と芳賀町を結ぶ路線が開業予定で、地域活性化も期待されています。
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