ホーム » 特集 » 「太平洋戦争と空襲」

特集特集一覧へ戻る

「太平洋戦争と空襲」

第二次世界大戦では、市民が空からの爆撃の恐怖にさらされました。
太平洋戦争末期には、米軍による日本空襲で40万人もの市民が犠牲となり、66の都市が焼き払われたのです。

爆撃や艦砲射撃などにさらされ、家族を失った人々の証言や関連する番組、当時のニュースで、どのように空襲が行われ、人々の命と暮らしを奪ったのかを知ってください。また、空襲に関して解説する動画を用意しました。まず最初に、この動画をご覧になってください。

空襲(7分20秒)

航空機が戦場の主役になった第二次世界大戦では、「空襲」によって数多くの都市が廃墟と化し、世界で100万人もの市民が犠牲になりました。抵抗することもできないまま、市民が命を奪われる「空襲」とはどんなものだったのでしょうか。

空襲(7分20秒)

B29による初の日本本土空襲~北九州~

太平洋戦争中の連合軍による日本本土空襲は、昭和17年4月の海上の機動部隊から中型爆撃機B25を発進させたドゥーリトル隊によるものが初めてで、勝利のさなかに本土を攻撃された日本側は大きなショックを受けました。

その後、航続距離が長い上に、大量の爆弾を搭載できるB29爆撃機を開発した米軍は、昭和19年(1944年)6月、中国・四川省を発進基地に北九州の八幡製鉄所を目標に来襲しました。これが米軍による日本本土に対する初の戦略爆撃であり、終戦まで続く空襲の始まりでもありました。このとき、福岡県小倉市(当時)にあった陸軍の兵器工場「小倉陸軍造兵廠」では、投下された大型爆弾で勤労動員の若者などが多数命を落としています。生き埋めになりながら生還した元職員などがこの空襲について語ります。

さらに、北九州では、終戦間際の8月8日にも、八幡市(当時)街地が激しい空襲を受け、2千人を越す死傷者が出ました。業火の中を逃げまどった杉野慧子さんがその体験を伝えてくれます。

八幡製鉄所を空襲するB29

証言
工藤實雄さん、宮子さん、加藤昭さん
北九州空襲体験者
加藤昭さん
北九州空襲体験者
杉野慧子さん
北九州空襲体験者
岡本信子さん
北九州空襲体験者
日本ニュース    
日本ニュース 第212号第212号
米機撃墜
日本ニュース 第222号第222号
北九州敵機撃墜
   

「マリアナ諸島から日本本土へ~東京大空襲~」

昭和19年6月から7月にかけて、日本の委任統治領だったマリアナ諸島のサイパンやテニアンが陥落、この両島とグアムに爆撃機発進基地が建設され、B29の航続距離内に日本本土のほとんどが入るようになりました。秋には、サイパンからのB29の出撃が始まり、当初は航空機工場など軍事目標への爆撃が中心でしたが、昭和20年になると住宅地を焼夷弾で焼き払う事実上の無差別爆撃に米軍は方針を変えたのでした。3月10日には東京の下町が標的になり、焦土と化しました。死者・行方不明は10万人以上に上ったのです。

東京は、その後も4月、5月に大規模な空襲を受けています。また、延焼を防ぐ防火帯の確保のため、住宅や商店が撤去される「建物疎開」が行われ、人々のくらしに大きな影響を与えました。さらに、子どもを都市から地方へ移す「縁故疎開」や「学童疎開」も組織的に行われるようになりました。

東京の精華国民学校の児童たちは宮城県に疎開しましたが、中学校や女学校受験で帰京した翌日に東京大空襲に襲われました。

昭和20年3月10日、空襲後の東京

証言
柴田恵喜さん
精華国民学校
戸田山幸子さん
精華国民学校
長門郡司さん
精華国民学校
松村秀夫さん
武蔵小山商店街
証言
清水仁さん
武蔵小山商店街
青山智恵子さん
武蔵小山商店街
北輝夫さん
大阪砲兵工廠
生田穗さん
大阪砲兵工廠
証言 番組
近江始太郎さん
大阪砲兵工廠
川原節子さん
大阪砲兵工廠
村上八恵子さん
大阪砲兵工廠
試練に耐えた「少軍隊」 ~宮城・学童集団疎開の記録~
番組 日本ニュース
ぼくたちは兵器を作った ~大阪砲兵工廠(しょう)~ 日本ニュース 第248号第248号
B-29帝都夜間爆撃
日本ニュース 第198号第198号
築け防空都市
日本ニュース 第213号第213号
学童の集団疎開はじまる(東京)
日本ニュース    
日本ニュース 第213号第213号
防空演習
日本ニュース 第220号第220号
学童疎開生活
   

「日本本土すべてが標的になった」

米軍による日本空襲の方針は、産業と生活の基盤を破壊し、日本人の戦意を砕くことを狙いにしており、空襲は大都市だけでなく、地方都市にも次々におよぶようになりました。そうした中、青森では、住民が避難することで消火活動が行われなくなることを恐れた行政が住民の避難や疎開を禁じたために大きな被害が出たのでした。

終戦間際になると、近海に迫った空母艦載機からの空襲や艦砲射撃が日本本土を襲うようになりました。大分県保戸島では、小学校(国民学校)の校舎にむけて艦載機が爆弾を投下、多くの子どもたちの命が奪われました。茨城県では、鹿島灘沖に来た米艦隊の艦砲射撃で多くの住民の命が失われています。一方で、身内を戦争で失うなどして「敵国人」に憎悪を抱いた一般の人々が、撃墜されたB29から脱出した米兵を殺害する事件も起きています。

空襲で焼け野原になった青森市

証言
竹花博さん
青森空襲
里見二郎さん
青森空襲
鳴海正子さん
青森空襲
花田哲子さん
青森空襲
証言
宮川美喜さん
青森空襲
葛西角也さん
青森空襲
大森喜久雄さん
青森空襲
大澤憲一さん
青森空襲
証言
三橋修三郎さん、やゑさん
青森空襲
塩崎勇蔵さん
青森空襲
細川千代太郎さん
青森空襲
三國恭子さん
青森空襲
証言
奈良正俊さん
青森空襲
沢田哲郎さん
青森空襲
北山美穂子さん
青森空襲
黒澤忠さん、博道さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
証言
橋本登与子さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
大川すみ子さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
大谷力雄さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
大谷和子さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
証言
岡田福次さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
照沼元則さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
川又ます子さん、西野栄子さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
横山君枝さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
証言
鴨志田恒男さん
茨城県勝田町・艦砲射撃体験者
三浦春松さん、タズ子さん
保戸島空襲
島田弥喜雄さん
保戸島空襲
島田繋夫さん
保戸島空襲
証言
安藤キヨ子さん
保戸島空襲
三木功さん
保戸島空襲
田邉国光さん
保戸島空襲
鈴木研治さん
保戸島空襲
証言
矢内米子さん
保戸島空襲
伊東フミ子さん
保戸島空襲
大倉シマ子さん
保戸島空襲
宇都宮シズ子さん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
証言
後藤重明さん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
佐藤暢三さん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
佐藤正則さん、佐藤一三さん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
佐藤一三さん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
証言 番組
井ツギヨさん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
髙宮達生さん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
吉田千喜代さん
熊本県阿蘇・B29が墜落した村
禁じられた避難 ~青森市~
番組  
爆撃された教室 ~大分・保戸島~ 戦場になると噂(うわさ)された町 ~茨城 勝田~ B29墜落 "敵兵"と遭遇した村 ~熊本県・阿蘇~  

「日本軍による空襲~中国、オーストラリア~」

一方、日本軍は、日中戦争・太平洋戦争を通して大規模な空襲を中国やオーストラリアなどに対して行いました。とくに、国民政府の首都となった中国の重慶に対しては5年間にわたって空襲を行い、1万人を超す死者が出たとされています。

重慶への爆撃については、日本ニュースのカメラマンが爆撃機に同乗して、何度もその模様を記録していました。

また、日本軍は、オーストラリア北部の港湾都市ダーウィンなどに対して、数十回に及ぶ空襲を行っています。ニューギニアやソロモン諸島への侵攻を有利に進め、米豪間を遮断するのが目的だったのです。

重慶に向かう日本軍爆撃機

日本ニュース
日本ニュース 第8号第8号
俄然敵機現る成都大空襲
日本ニュース 第16号第16号
海鷲の偉勲重慶大爆
日本ニュース 第56号第56号
15/6 重慶爆撃<特輯聖戦四年>
日本ニュース 第58号第58号
海鷲 重慶大空襲
日本ニュース  
日本ニュース 第169号第169号
重慶爆撃行
日本ニュース 第96号第96号
ポート・ダゥイン爆撃
日本ニュース 第98号第98号
ポートモレスビー大爆撃
 

ページトップ