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「二度のクーデター事件に関わったエリート兵団」

日本全国から選抜された「近衛兵」

天皇と天皇の住まいである皇居(宮城)を守護する部隊、近衛師団。
その起源は、明治初めにまでさかのぼる。
明治維新直後の1871年(明治4年)、薩摩・長州・土佐の三藩から兵士を集め「御親兵」が組織され、その武力を背景に明治政府は廃藩置県を断行した。翌年、「御親兵」は「近衛兵」に改称。1874年には、二つの近衛連隊が誕生し、1891年に近衛師団となる。
通常の連隊や師団は郷土部隊として一定の地域から兵を募るのだが、近衛師団は全国から兵士を選抜する、いわばエリート集団であった。兵士にとっても、その故郷の町や村、家族にとっても、近衛兵に選ばれるということは大変な名誉であった。
しかし、この近衛師団は、2度にわたってクーデター事件に関わってしまう。

皇居前を行進する「近衛兵」

日本ニュース    
日本ニュース 第131号第131号
前線偲ぶ攻防演習
日本ニュース 第241号第241号
大元帥陛下親臨 陸軍始観兵式
   

「二・二六事件~高橋是清蔵相襲撃~」

1936年(昭和11年)2月26日、陸軍の青年将校のグループが兵を率いて政府首脳や重臣を襲撃する「二・二六事件」が発生。その将校のひとり、近衛師団の中橋基明中尉は、近衛歩兵第7中隊を率いて元首相の高橋是清大蔵大臣邸を襲撃、高橋蔵相を暗殺した。
その後、クーデターは鎮圧され、下士官・兵士たちは部隊に復帰したが、中橋中尉は銃殺刑となった。元兵士が高橋是清邸襲撃の様子を語る。

国会を占拠する叛乱部隊兵士

証言    
藤田三郎さん
近衛歩兵第3連隊 二・二六事件
矢田保久さん
近衛歩兵第3連隊 二・二六事件
   

「宮城事件~終戦当日の皇居占拠~」

昭和20年8月14日。御前会議でポツダム宣言の受諾が決まると、一部の陸軍省将校と近衛師団参謀が、終戦に反対し、徹底抗戦を叫びクーデターを起こそうとした。
彼らは、近衛師団を動かそうとするが、森赳(たけし)近衛師団長は、蜂起に加わるよう説得に来た将校たちに対してこれを強く拒否。彼らは森師団長を殺害した上で、偽造の命令によって近衛師団の部隊を動かし皇居を占拠、外部と遮断した。さらに、天皇が終戦の詔勅を読み上げた「玉音放送」の録音盤を奪おうとする。しかし、録音盤を見つけられないまま、このクーデターは東部軍管区によって鎮圧された。
翌日の正午、玉音放送が行われ、終戦の事実は広く伝えられた。
ニセの命令とは分からないまま、反乱に参加させられた元兵士たちの証言である。

殺害された森赳近衛第一師団長

証言
塩村良平さん
陸軍・近衛第1師団
絵内正久さん
陸軍・近衛第1師団
小久保福治さん
陸軍・近衛第1師団
小田敏生さん
陸軍・近衛第1師団
証言
藤原光治さん
陸軍・近衛第1師団
尾立厚士さん
陸軍・近衛第1師団
平塚基一さん
陸軍・近衛第1師団
和久田正男さん
陸軍・近衛第1師団
証言 番組 日本ニュース 戦時録音資料
相浦紀一郎さん
陸軍・近衛第1師団
昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ ~陸軍・近衞師団~ 255号
聖断拝す 大東亜戦争終結 昭和二十年八月十四日
昭和天皇、終戦の玉音放送

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