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特集「古地図で見る東京大空襲」

1944(昭和19)年11月24日、マリアナ諸島を出撃したB29による初の本土空襲が行われました。翌年8月まで続く東京大空襲の始まりでした。東京大空襲というと1945(昭和20)年3月10日が知られていますが、アメリカ軍は100回以上にわたって東京をねらった空襲を終戦までの9か月間続けました。

3月10日の空襲では、これまでよりも低空飛行でターゲットをねらいました。ピンポイントで目標をねらう攻撃から、市街地全てを攻撃するやり方に大きく変わったのです。わずか2時間半の間に38万発の焼夷(い)弾が町に降り注ぎ、死者・行方不明者は10万人以上に上りました。市民をねらった大規模な無差別爆撃は3月10日をさかいに本格化していき、終戦までには市街地の半分以上が焼失しました。

特集「古地図で見る東京大空襲」

戦後70年特集「第5回 開戦、その時何が起こっていたのか」

2015年12月、日本は太平洋戦争の開戦から74年を迎えます。昭和16年(1941年)12月8日、日本海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃。アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えました。また、その1時間以上前には日本陸軍がイギリス領マレー半島に奇襲上陸しています。同日、日本はアジアや太平洋の各地でいっせいに軍事行動を開始。3年9か月におよぶ太平洋戦争の始まりでした。

戦後70年特集「第5回 開戦、その時何が起こっていたのか」

宮内庁版「玉音放送」とこれまでの「玉音放送」

昭和20年8月、昭和天皇がラジオを通じて国民に終戦を告げた「玉音放送」の音声を記録したレコード盤「玉音盤」の原盤が、戦後70年を経て宮内庁より平成27年8月1日初めて公開されました。音声は全体で4分30秒あり、ところどころに雑音が入っていますが、これまでテレビなどで使われてきた「玉音盤」のコピーに比べ、昭和天皇の肉声がはっきりと再現されています。

宮内庁版「玉音放送」とこれまでの「玉音放送」

戦後70年特集「第4回 それぞれの終戦」

昭和20年8月15日正午、天皇がポツダム宣言の受諾を国民に伝える「玉音放送」が放送されました。3年9か月に及ぶ太平洋戦争の幕が閉じたのです。人々はどのように終戦を受けとめたのでしょうか。

戦後70年特集「第4回 それぞれの終戦」

戦後70年特集「第3回 空襲」

終戦直前の昭和20(1945)年7月。日本の地方都市はマリアナ諸島などから飛び立ったB29などの米軍機により、激しい空襲を受けていました。空襲はどのようにして人々の生活を奪っていったのでしょうか。終戦直前の7月に空襲を受けた青森市と大分県保戸島の空襲体験者の証言を掲載します。

戦後70年特集「第3回 空襲」

戦後70年特集「第2回 沖縄と太平洋戦争」

沖縄は、太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ激しい地上戦の戦場となり、20万人を超す犠牲者が出ました。そのうち住民の死者は9万4千人にのぼります。激しい戦闘が行われた沖縄で、兵士は、そして市民はどのような体験をしたのでしょうか。

戦後70年特集「第2回 沖縄と太平洋戦争」

戦後70年特集「第1回 巨大戦艦 大和と武蔵」

戦時中、海軍の若者たちがあこがれた船がありました。日本海軍が建造した世界最大の戦艦「大和」とその姉妹艦「武蔵」です。厳しい選抜をくぐり抜けたものだけが、乗組員となることを許されました。

戦後70年特集「第1回 巨大戦艦 大和と武蔵」

「消えた女学校 女子学徒たちの沖縄戦」

1945年(昭和20年)3月からおよそ3か月間の地上戦で、20万人を超す死者を出した「沖縄戦」。いまの高校生にあたる女学校や師範学校の生徒が、戦場に駆り出され、多くの少女が命を失いました。戦争当時の少女たちと同じ世代の、高校3年生 宮崎花澄さんが、女子学徒として沖縄本島南部の戦場で過酷な体験をした方と共に、戦跡を訪ねました。花澄さんは、どんなことを感じたのでしょうか。

「消えた女学校 女子学徒たちの沖縄戦」

「沖縄と太平洋戦争」

沖縄は、太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ激しい地上戦の戦場となり、20万人を超す犠牲者が出ました。そのうち住民の死者は9万4千人にのぼります。ここでは、沖縄戦を体験した人々の証言と関連の番組を集めました。激しい戦闘が行われた沖縄で、兵士は、そして市民はどのような体験をしたのでしょうか。

「沖縄と太平洋戦争」

「太平洋戦争と空襲」

太平洋戦争の末期、日本は連合軍の空襲や艦砲射撃にさらされ、40万人の市民の命が奪われました。国民の士気を低下させることを狙いに、当初は軍需工場などを目標にしていた米軍は、その後、住宅街も無差別に焼夷弾で焼き払う空襲を行いました。過酷な空襲や艦砲射撃は、体験者の記憶にどのように刻まれているのでしょうか。

「太平洋戦争と空襲」

「人々は、開戦をどのようにうけとめたのか」

2014年12月で、太平洋戦争が始まって73年。昭和16年(1941年)12月8日、日本軍が、当時の英領マレーとアメリカ・ハワイの真珠湾を奇襲攻撃。太平洋戦争がはじまりました。あの日、この戦争が始まったことを人々はどのように受けとめたのでしょうか。

「人々は、開戦をどのようにうけとめたのか」

「巨大戦艦 大和」

太平洋戦争の末期の昭和20年4月。戦艦 大和の乗組員は沖縄への「特攻作戦」を命じられます。出撃後、大和は東シナ海でアメリカ軍艦載機の激しい攻撃を受けて沈没しました。戦艦大和の最後の日々を描いた番組と乗組員たちの証言を集めた特集です。生き残った乗組員たちは、戦後、どのような思いを抱いて生きてきたのでしょうか。

「巨大戦艦 大和」

「ふるさとの悲劇」

日中戦争、そして太平洋戦争。「昭和の戦争」で命を落とした日本人は300万人以上に上りました。その中には、地方の町や村で暮らし、戦争に巻き込まれた人も数多くいます。今戦時中、日本各地で起きた悲劇的な出来事について取材した番組や証言を集めました。「昭和の戦争」は、私たちのふるさとに何をもたらしたのでしょうか。

「ふるさとの悲劇」

「少年・少女が見た戦争」

日本が国の力を総動員して、アメリカやイギリスなどの連合軍と戦った太平洋戦争には、数多くの少年・少女たちが巻き込まれました。戦場に駆り出された少年兵。兵器工場などに動員され、厳しい労働を強いられた少女。当時、若くして戦争にほんろうされ、苛酷な体験をした人たちの声に耳を傾けてみてください。

「少年・少女が見た戦争」

「ビルマの戦い~インパール作戦」

昭和19年3月、日本軍は、連合軍の拠点であるインドのインパールを攻略する作戦を開始しました。しかし、補給が続かず、作戦は3か月あまりで失敗。撤退路で、多くの将兵が飢えと病に倒れました。 日本軍将兵や英軍将兵の証言、関連の番組でインパール作戦を始め、ビルマ戦線で何が起きたのかを伝えます。

「ビルマの戦い~インパール作戦」

「真珠湾70年・海軍航空隊と太平洋戦争」

太平洋戦争は、海軍航空隊によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃で始まりました。しかし、昭和17年6月のミッドウェー海戦で、空母4隻を失うという大敗北を喫します。太平洋戦争の始まりから敗戦に至るまでを、海軍航空隊に所属して戦った人々の証言や関連する番組、「日本ニュース」でたどります。

「真珠湾70年・海軍航空隊と太平洋戦争」

「特攻」

日本軍は、戦争の末期になると、爆弾を積んだ航空機や小型潜水艦、ボートを使った「特攻」を行うようになりました。搭乗員の死を前提にした体当たり作戦です。十分な訓練を受けずに出撃した若者も数多くいました。そして、彼らの多くは、標的や目的地に到達する前に命を落としたのです。

「特攻」

「二度のクーデター事件に関わったエリート兵団」

天皇と天皇の住まいである皇居を守るための部隊「陸軍近衛師団」。所属する兵士は全国から選抜されるエリート集団でしたが、政府を転覆しようとした昭和11年の2.26事件と、終戦を阻止し戦争を継続しようと皇居を占拠した「宮城事件」に関わりました。近衛師団の元兵士たちの証言と関連する番組、映像を集めました。

「二度のクーデター事件に関わったエリート兵団」

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