ホーム » マンガで学ぶ戦争体験

特集

子どもたちが昭和の戦争の時代を、そして戦争の体験を学ぶために、マンガの連載を始めました。サイト上のマンガのコマから、戦争体験の動画や当時のニュース映画、番組の動画を再生して見ることができます。

このマンガは、太平洋戦争が始まった年、1941年(昭和16年)から戦争が終わった1946年(昭和21年)までの、東京の商店街で小さな洋服屋を営んでいた家族の太平洋戦争をめぐる物語です。お父さんとお母さん、子どもたち、一家6人は戦争によって、大変つらい体験をします。しかし、これはなにも特別な体験でなく、この時代に日本に暮らしていたほとんどの人々が体験したことでもあります。

戦後、日本人は平和な時代を築いてきましたが、これからもこの平和を守っていくためには、あの時代の苦労やつらかった体験を知り、語り継いでいくことが大切だと思います。

作者紹介

マンガの作者は、沖縄在住の新里堅進(しんざとけんしん)さん。1973年に沖縄戦を題材にした「沖縄決戦」でデビュー。「ハブ捕り」では、日本漫画協会優秀賞を受賞。「琉球王朝史」や「琉球処分」など、沖縄の歴史をテーマにしたマンガで高く評価されています。

新里堅進さん

2014.12.11更新

最終話 「終戦、そして復興へ」 昭和20年8月~21年

昭和20年(1945年)8月、広島、長崎に原爆を落とされ、日本はポツダム宣言の受諾を決めます。天皇の「玉音放送」をラジオで聞いた中村一家は泣き崩れます。沖縄から生きて帰った光子は家族との再会を果たし、東京・武蔵小山のバラックに久しぶりの笑い声が響きます。一方、セブ島で捕虜となった幸一は復員する船から日本を見つめ涙します。
復興に向け動き出した東京、久しぶりに6人そろった中村一家は平和の大切さをかみしめます。

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2014.10.29更新

第6話 「沖縄 最後の抵抗の果てに」 昭和20年5月~6月

沖縄では、洞くつに潜んでいる日本兵に対して、アメリカ軍が爆雷を投げ込んだり、火炎放射器で焼くなど、苛烈な攻撃を加えていました。日本軍も激しく抵抗し、戦いを長引かそうとしますが、昭和20年(1945年)6月23日、牛島司令官が自決、組織的な戦闘は終結しました。投降を呼びかけるアメリカ兵に対して自決をはかる女子学徒もいましたが、長女の光子は生きる道を選びます。

スタート

2014.10.01更新

第5話 「苛烈になる空襲、沖縄では激闘が」 昭和20年1月~5月

東京・武蔵小山の商店街に暮らす中村家。昭和20年(1945年)4月15日の空襲で家が半壊してしまいます。幸い家族は無事でしたが、バラック生活が始まりました。

そのころ沖縄では本島中南部で日米両軍の主力が激突。昼夜分かたぬ激戦が展開されていました。長女の光子は日増しに増える負傷兵の看護に当たります。 そんな中、女学生の中にも犠牲者が出始めます。

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2014.09.03更新

第4話 「玉砕と空襲の日々、そして沖縄戦」 昭和19年10月~20年4月

長男の幸一はフィリピンのレイテ島で絶望的とも思われる突撃戦を繰り返していました。三女の良子が女学校受験のため疎開先から帰京した翌日、B29の大編隊が東京の下町を襲いました。東京大空襲です。長女の光子がいる沖縄には米軍が迫り、昭和20年(1945年)4月1日ついに沖縄本島へ上陸を開始。地上戦の火蓋が切られたのです。

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2014.08.06更新

第3話 「敗退への道・生活は完全に戦争のために」昭和18年6月~19年10月

昭和18年(1943年)6月になると、売る品物が無くなり長年続いた洋服店はついに閉店。お父さんは工場に働きに出ます。次女の幸子は勤労動員に明け暮れます。
さらに戦争が激しくなると、三女の良子は宮城県へ集団疎開するなど、中村家の生活は完全に戦争一色になっていきます。

そんな中、長女の光子は日赤によって戦時召集されて従軍看護婦として沖縄に行くことに。光子がそこで見たものは…。

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2014.08.06更新

第2話 「転機を迎えた太平洋戦争」 昭和17年2月~18年2月

昭和17年(1942年)になると、長男の幸一は、陸軍の兵士として満州(中国の東北部)へ渡りました。家族は、寒いところでどうしているのか心配をします。

一方、日本軍の連戦連勝が伝えられる中、4月から6月にかけては東京の初空襲やミッドウェー海戦があり、昭和18年(1943年)2月にはガダルカナル島からの「転進(敗退)」があり、戦況は日本軍にとって陰りを見せはじめます。

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2014.08.06更新

第1話 「中村家に迫る戦争の影」 昭和16年1月~12月

東京・武蔵小山の商店街に暮らす中村家は、両親と子ども4人の6人家族。小さな洋服店を、お父さんと19歳の長男の2人で切り盛りしています。
昭和16年(1941年)4月、長女の光子は、日赤の看護婦養成所へ、次女の幸子は、小学校を卒業して高等女学校へ進学しました。三女の良子は、この年から名称が変わった「国民学校」の3年生になりました。

しかし、長引く日中戦争で、品物が不足してきて、お店の経営にも影響が出てきました。 そして、12月、とうとう太平洋戦争がはじまると、長男の幸一は徴兵検査を受けて、軍隊へ入ることになります。

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