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2015.04.08更新

昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃で運命が大きく変わった日系アメリカ人。太平洋戦争が始まった当時、日本には4万人を超える日系アメリカ人がいました。その多くは、日本で教育を受けるため一時的に滞在していた二世の若者たちです。日米の開戦によって彼らはアメリカに帰る道を閉ざされたうえ、日本軍に徴兵されて母国アメリカと戦うことを強いられました。今回は3人の日系アメリカ人の方々と、熊本県水俣の日本窒素肥料株式会社(現チッソ)で空襲を体験した方、合わせて4名を掲載しました。

  • 「沖縄で戦争時代を過ごした」

    ケンユー・トクダさん

    日本兵になったアメリカ人

    戦地:ハワイ(真珠湾) 日本(沖縄)

  • 「語学に助けられた人生」

    マイク・イワサキさん

    日本兵になったアメリカ人

    戦地:アメリカ合衆国(カリフォルニア) シベリア 朝鮮

  • 「シベリア抑留を体験」

    サトル・トヨダさん

    日本兵になったアメリカ人

    戦地:アメリカ合衆国(カリフォルニア) シベリア

  • 「日本窒素水俣工場への空襲」

    渕上 一義さん

    日窒(現チッソ)水俣工場への空襲

    戦地:日本(熊本・水俣)

戦後70年特集

巨大戦艦 大和と武蔵 大日本帝国海軍(以下海軍)が建造した戦艦の艦型。海軍が建造した最後の戦艦である。戦艦としては、排水量と搭載主砲口径、共に現在に至るも世界最大である。

  • 日本海軍が建造した世界最大の戦艦、大和。全長263メートル、世界最大の46センチ砲は、1発で戦艦1隻を沈める威力があるとされていました。太平洋戦争の末期の昭和20年4月。大和の乗組員は沖縄への「特攻作戦」を命じられます。生きて帰ることを望んではならない作戦でした。大和を主力とする海上特攻部隊は、最後は浅瀬に乗り上げてでも、砲撃を続けるよう求められたのです。

    特集 巨大戦艦 大和→

  • 太平洋戦争終盤の昭和19年10月。敗色が濃厚となった日本海軍は、フィリピン・レイテ沖海戦で起死回生の戦いに挑みました。この戦いで、日本海軍の大きな期待を背負い、出撃した戦艦武蔵。しかし武蔵は、連合軍の一方的な攻撃にさらされ、沈没しました。当時、海での戦いの主役は、戦艦から航空機に移り代わり、戦艦に備えられた巨大な主砲は、もはや威力を発揮することはできなかったのです。