静岡県の戦争体験

太平洋戦争時、静岡県には軍に関連した施設が多かったほか、静岡市は陸軍の郷土連隊の編成地でした。静岡県出身の兵士で編成された連隊の多くは、中国戦線や南方で激戦を戦い、多くの犠牲者を出しました。そのうち、34連隊は日中戦争を終戦まで8年間戦い続けたほか、サイパンで玉砕した118連隊、レイテで全滅した13連隊、香港攻略戦などに参加したのちガダルカナルで多数の戦病死者を出した230連隊などがあります。

また、沼津には海軍の兵器工場である「海軍工廠」があったほか、浜松では、軍用機のプロペラやエンジンが製造されていました。戦争末期には静岡市とともに沼津、浜松が空襲や艦砲射撃を受け、合わせて6500人を超す死者が出ています。

さらに、日本一のカツオの水揚げを誇る「焼津漁港」からは、多くの漁船と漁師が徴用され、監視船として危険な任務に就かされました。船を失い衰退した鰹節製造は、魚を求めて南洋に移り、フィリピンに進出した焼津出身の人々は、米軍との戦闘に巻き込まれ多くの犠牲者を出しました。

このサイトでは、中国戦線を生き抜いた元34連隊の兵士や徴用された焼津の元漁船員の戦争体験を中心に、関連の番組、当時のニュース映画を公開します。

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フィリピンなどで鰹節生産に当たった焼津の人々