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毎月1回放送予定。
静岡出身の落語家、春風亭昇太さんとお届けする、
「春風亭昇太とゆく!しずおか城めぐり」。
お城大好き人間を自称する昇太さんが、県内の城跡を巡り、
その魅力とともに静岡の歴史の奥深さを再発見するコーナーです。
12月22日更新! しずおか城めぐり
『横須賀城』 12月22日(木) 放送
横須賀城
丸い石の石垣に覆われた城

徳川家康が遠州を侵攻する際に築いた城の1つ。
戦国時代、遠州では徳川氏と武田氏が激しく争っていた。
西から徐々に領土を広げてきた家康は、今の掛川市にある武田氏の遠州の拠点、『高天神城』を攻め落とすべく、天正六年(1578)〜天正八年(1580)頃に横須賀城を築いたといわれている(天正二年〜四年という説もあり)。
石垣には、他の城ではあまり見られない丸い石が用いられている。
天正九年(1581)に『高天神城』が落城した後も横須賀城は残り、江戸時代以降は『横須賀藩』の城として、明治時代まで使われた。
江戸時代中期までは城の目の前まで遠州灘から続く入江が広がり、海運業が栄えた。
しかし宝永四年(1707)に起きた宝永の大地震で地盤が隆起し海は陸になった。
明治時代以降、城は民間に払い下げられ、城門など一部は周辺の寺などに移築された。
現在は本丸の一部が復元され、自由に見学ができる。

「しずおか城めぐり」では、城の歴史や特徴的な石垣、城周辺に残る土塁や移築した城門などについて紹介しました。

※行き方
JR東海道本線・袋井駅からバスで約30分。
車の場合は、東名高速道路掛川I.Cから国道150号線方面に向かい約30分。
(駐車場あり)

【問い合わせ先】
掛川市教育委員会社会教育課
電話:(0537)21-1158
『掛川城』 11月30日(水) 放送
掛川城
貴重な現存御殿のある城

戦国時代に築かれ、明治時代まで使われていた城。
最初に築かれたのは、現在の位置より500メートル東の地点。
戦国時代の明応6年(1497)〜文亀元年(1501)の頃、今川氏が遠江支配の拠点として築城した(掛川古城とも呼ばれる)。
その後手狭となり、永正9年(1512)から翌年にかけて現在の位置に掛川城が築かれる。

桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、義元の子・氏真が武田氏に駿河を追われ、掛川城に立てこもる。
そこを徳川家康に攻められ、和睦により開城。
家康配下の城となったあと、豊臣秀吉配下の山内一豊が城主となり、初めて天守閣を建てる。
江戸時代以降は徳川家にゆかりのある大名家の居城となった。
今も残る御殿は江戸時代に作られたもので、江戸時代からの現存御殿は、全国で、高知城、二条城、川越城、掛川城の4つだけ。
国の重要文化財に指定されている。

「しずおか城めぐり」では、掛川城御殿内の部屋の特徴や御殿での城主の暮らしについて紹介しました。

※行き方
JR掛川駅北口から徒歩15分。
車の場合は、東名高速道路掛川I.Cから市街地方面に向かい、約10分。
(駐車場はありませんが、近くに有料駐車場あります)

【問い合わせ先】
掛川城管理事務所
電話:(0537)22-1146
『山中城』 9月30日(金)、10月21日(金) 放送
山中城
「小田原攻め」の火ぶたが切って落とされた、北条氏の築城術が残る城

戦国時代末期(1560年台)、関東を支配していた北条氏が築いた城。
現在の三島市山中新田、箱根に通じる街道沿いに築かれ、交通の要衝を守っていた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の「小田原攻め」の際に、関東に向かう豊臣勢の攻撃を受けた。
北条方は攻撃に備え、急きょ城の一部を増築して戦いに備えたが、城兵4千に対し、豊臣方は4万とも言われる大軍で山中城を攻撃。
大激戦の末、半日で落城したと伝えられている。
現在城には堀や土塁などの遺構が当時に近い姿で復元・保存されている。
堀の中に畝を作った『畝堀』や、堀の中に障子の桟のような道を作った『障子堀』など、北条氏の特徴的な築城技術が見られる遺構が残されている。昭和9年に国の史跡に指定。

「しずおか城めぐり」では、山中城の歴史的背景や、城の陣地の下に掘られた『畝堀』、城の西ノ丸付近に残る『障子堀』などを紹介しました。

※行き方
沼津インターチェンジから東駿河湾環状道路を車で箱根方面に向かい、約30分。
または、三島駅発「元箱根港」行きバスで27分、「山中城跡」バス亭下車すぐ。

【問い合わせ先】
三島市文化振興課
電話:(055)983-2672
『二俣城』 7月22日(金)放送
二俣城
家康の長男が切腹した悲劇の城

築城時期は不明。
永禄3年(1560)、桶狭間の戦いをきっかけに今川氏によって現在の形に整備された。
当時は城のすぐ下を天竜川と二俣川、2つの川が流れ、川を天然の堀とした難攻不落の城だった(その後二俣川は江戸時代の工事で位置が変わっている)。
今川氏が滅びたあとは徳川家康が支配下に置いたが、武田信玄に攻められ、2か月におよぶ戦いの末降伏。
しかし信玄の病死後、ただちに家康が奪還している。
また二俣城は家康の長男・信康が切腹した場所でもある。
信康は織田信長の娘と結婚。
義理の父親の信長が、謀反の疑いをかけたのが切腹の理由とも言われている。
関ヶ原の戦いのあと、城の重要性はなくなり廃城となった。

「しずおか城めぐり」では、川で守られていた地形の特徴や、信玄が二俣城をいかに攻め落としたのか、信康の切腹にまつわる逸話などを紹介しました。

※行き方
天竜浜名湖鉄道「二俣本町駅」から徒歩で10分。
国道152号線を二俣方面へ。
城跡入口に駐車場あり。

【問い合わせ先】
浜松市天竜区まちづくり推進課
電話:(053)922-0086
『高根城』 6月23日(木)放送
高根城
戦国時代の姿を今に伝える城

15世紀前半から中頃に、現在の浜松市天竜区水窪町を支配していた奥山氏によって築かれた。
16世紀に入ると、はじめは今川氏、その後武田氏の配下になる。
遠江と信濃を結ぶ秋葉街道に面し、街道を見張る拠点として整備された。
城に設けられた二重の堀切(尾根の一部を削って堀にしたもの)は武田氏の築城技術によるものと言われている。
天正4年(1576)に武田氏の勢力が徳川家康によって遠江から一掃されるとその役割を終え、廃城になったとされている。
現在は自由に見学できる公園になっている。
自治体の発掘調査にもとづいて、城内の櫓や城門などが復元された、全国的にも珍しい城跡。

「しずおか城めぐり」では、地形を生かした城の構造や、扉の角度を変えて守りやすくした城門、発掘調査を元に復元した櫓などを紹介しました。

※行き方
JR飯田線「向市場駅」から徒歩で30分。
国道152号線を水窪方面へ。
敷地内の公園にある駐車場から徒歩20分。

【問い合わせ先】
浜松市水窪文化会館
電話:(053)982-0013
『諏訪原城』 5月27日(金)放送
諏訪原城
牧之原台地に武田流築城術によって築かれた城

天正元年(1573)、武田勝頼が家臣の馬場美濃守信房に命じて築いた城とされる。
城の場所は駿河から遠江に入る要衝の地で、武田家の遠州攻略の足掛かりとして用いられた。また遠州に領土が広がってからは兵站基地の役割を担った。
天正3年(1575)、勝頼が長篠の合戦に敗れると徳川家康の猛攻を受け、同年攻め落とされる。その後は「牧野城」と改名され、徳川方による堀や塀の改修が行われたと推測されている。天正9年(1581)に高天神城が落城し翌年に武田氏が滅亡すると城の必要性がなくなり、天正18年(1590)頃廃城になったとされる。
昭和50年、国指定史跡になる。

「しずおか城めぐり」では、かつて深さ10mもあったという「空堀」や、武田流築城術の特徴とされる、防御や攻撃のための陣地「丸馬出」、「丸馬出」の前面に作られた三日月形の堀「三日月堀」などを紹介しました。

※行き方
JR東海道線「金谷駅」から徒歩で30分。
東名高速道路「相良・牧之原インターチェンジ」から車で20分。
(見学者用の駐車場あり)

【問い合わせ先】
島田市博物館 文化財係
電話:(0547)35-3008
『駿府城』 4月22日(金)放送
駿府城
天下統一を果たした徳川家康が、「大御所」となって晩年を過ごした城

駿河国を領土とした徳川家康が天正13年(1585)に築城を初め、天正17年に完成させた。その後家康の関東移封によって、一時豊臣方の中村一氏が城主となる。
関ヶ原の合戦に勝利し江戸幕府を開いた家康は、その後将軍職を2代秀忠に譲り駿府に戻る。慶長12年(1607)、「天下普請」によって駿府城を改修。本丸が完成するが、火事で焼失。直ちに再建にかかり、慶長15年(1610)、天守閣が完成。
現在は「駿府公園」として市民の憩いの場となっている。

「しずおか城めぐり」では、復元された「東御門」の構造・「内枡形虎口」がよく見える鑑賞ポイントと、駿府城が建つ前にこの付近にあったとされる「今川氏の館」のエピソードを紹介しました。

【問い合わせ先】
駿府城の歴史に関すること
静岡市文化スポーツ部文化財課
電話:(054)221-1085

駿府公園に関すること
静岡市公園整備課管理担当
電話:(054)251-0016
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