☆サイレントさん 埼玉県 18歳 男性
「僕が悩んでいるのは緊張する事です。
それもかなり親しくなれば普通に話せるのですが、普通の人の前でも上がってしゃべれないんです。休み時間など、相手の反応などを考えていると、話しづらくなる気持ちになるんです。
で、話そうと思ったときにはもう休み時間が終わっています。どうしたら友達と話すとき緊張しないでしょうか?」
白石
実際に誰かと会話する際、自分の思いどおりにいかなかった場合、それが気になってしまい、それにより焦燥感が生まれ、あるいは気分がふさぎ消極的になり、ますます失敗したくないという思いにかられ緊張してしまうこともあるかと存じます。
基本的には、失敗OKの精神で会話に臨んでみてはいかがでしょう。
失敗しないよう、こわごわ言葉を紡いで緊張してしまう話し方の人より堂々としている話っぷりの方が、ご本人様にとっても好感が持てるのではないでしょうか。堂々としている人はおおむね、あまり細かいことは考えていないものです。
ところで友達関係は、本来緊張することなくざっくばらんに話ができる間柄こそがのぞましいですね。少なくても友達と呼べる人には、あまり気遣いなさらない方が、その友人に対する礼儀かもしれませんね。
☆わたしもシライシですさん 群馬県 女性
「私はとてもとても緊張する性格です。
どうすれば緊張を楽しめるようになるのでしょうか。
白石さんは緊張をどうやってほぐしていますか?」
白石
緊張して、話したいことが話せないこと自体がもったいないことだと思って、自分がその場を満喫することを心がけています。
それでも、緊張によるおなかの痛みを感じることがたまにあります。
そのような時は、どうでもいい、くだらないことを空想するようにしています。
☆玉野 奈々さん 山口県 20歳 女性
「私はいざ話しかけようとすると話題が思いつきません。
どんな話をしたら盛り上がりますか?
とくに男子の場合が知りたいです。」
白石
盛り上がる話題は千差万別、十人十色につき、基本的にはあまり型にはまらない方がよろしいかと存じますが、いざ話しかける、という心構えの時は、少なくとも何らかの成果、ここでは相手の好反応を得たい場面かとお察しいたします。
という事で、"プチ褒め"などいかがでしょう。
褒めるといっても容姿や性格等、おもむろに本質的なことに触れてしまうと、手始めな話題としては場違いなこともあるかと思われますので、服装や身につけているもの、あるいは携帯のストラップ等、相手のセンスの良さをちょっとつまんでくすぐる感じで取り上げてみれば、よほどわざとらしくない限り、言われる方は悪い気はせず気分が高揚すると思いますよ。
と申しますのも、私がその典型です。褒められた日は、その晩床に着く前に「今日は良い日だったなあ」と恥ずかしながら思い返します。単純で申し訳ございません。
ただ翌日以降、きっとお相手のガードは少なからず下がっていると思いますよ。
☆さりこさん 群馬県 20歳 女性
「私は友達によく誕生日を聞くのですが、覚えられなくて、何回も何回もおんなじことを聞いてしまうんです。
他にも、「あれ、これ前に聞いたよね?」って、後で気づく事があります。
何回も聞かれる友達もあんまり、気持ち良くはないと思うし、どうしたら、何回も聞く癖を直すことができますか?」
白石
人によるかもしれませんが、私は同じことを聞かれても「前に言ったじゃん」と言葉には発しても特に気を悪くはしません。
そのあたりは気にしなくてもよろしいかと思われます。
そもそもの話になってしまいますが、例えば誕生日を聞いて覚えられないということ自体、ひょっとしたらご本人にとっても、それほど関心が無いのに、とりあえず聞いてしまっているのだとしたら、それこそ普段の会話に気を遣いすぎているのではないでしょうか。
もっと肩の力を抜いて良いと思いますよ。
とは言え、友人同士で誕生日を覚えていてもらうと素直にうれしいこともありますので、そのような情報は、メールでやり取りするのも一つの手段かと存じます。
削除しない限り受信フォルダに残るので、忘れ防止の一助となることでしょう。
☆マー画凛さん 兵庫県 28歳 男性
「わたしは文学研究科に通う大学院生です。
今年の4月から非常勤講師として近所の高校で現代文を教えています。
教壇に立つようになってから数ヶ月が経ちましたが、いまだに準備した知識を伝えるだけで精一杯です。
幸い生徒のみんなはおとなしく、話は静かに聞いてくれています。
でも、時々、自分が海やキャベツ畑に向かって叫んでいるような気分になり、不安になることがあります。
自分の高校時代を振り返ると、現代文の授業は、もっとワクワクしたような記憶があります。
もっと生徒の表情が見える授業がしたいのですが、私には何が足りていないのでしょうか......?」
白石
教壇に立ってまだ数か月、足りないものを強いて挙げるとするならば、経験とゆとりかと思われますが、これらはすべからく、積み重ねにより比例して増えるものではないでしょうか。立派に見える経験豊かな他の先生たちも必ず通った道、あまり気にかけずに生徒にとっての「先生」を示すためにも、どっしり構えるのがよろしいかと存じます。
私はその道の専門家ではないので何をか言わんやですが、自分自身の高校時代をかすかな記憶の中から呼び起こしてみると、現代国語の授業で印象に残っているのは、参加発言型の授業でした。
物語の登場人物について、自分ならばどのように行動しただろうか、あるいはこの話のテーマは何なのだろうかということ等々を近くの席同士で即席に班を組まされ、その班毎に司会・書記・発表者を決め、グループで討論したことを覚えています。今思えば、正解を導き出すことよりも、それらをすることで、現代国語そのものに関心を示してもらうことが目的だったような気がします。
これらが果たしてワクワクにつながるかは存じかねますが、先生の話を聞き取り板書を写す授業に比べると、生徒にはいやおうなしに戦りつが走ると思われます。ご参考の一助となれば幸いです。
今週もいい一週間を。