キャスター津田より

8月3日放送「岩手県 大槌町」

 いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。
 今回は、岩手県大槌町(おおつちちょう)です。

8月3日放送「岩手県 大槌町」

人口は1万1千あまりで、震災前に比べて4分の1(=約25%)も減少しました。20代以下は約30%減少していて、国勢調査での人口減少率は、県内最大です。津波で中心部が壊滅的な被害を受けましたが、現在は災害公営住宅がほぼ完成し、集団移転はこの4月に全て完了しました。町の核となる文化交流センターが去年誕生し、今年3月には三陸鉄道リアス線が開通して、津波で流された大槌駅も8年ぶりに復活しました。ただ、かさ上げして造成した中心部では、住宅や店舗の再建が滞っていて、空き地が目立つ状態です。

 

 はじめに大槌駅前で、車体を板で囲い、電球などで飾り立てた派手な自転車を見つけました。

8月3日放送「岩手県 大槌町」

まるで映画『トラック野郎』に出てくる“デコトラ”そっくりで、持ち主の高校3年の男子生徒に聞くと、“デコチャリ”と言うそうです。案の定、彼は『トラック野郎』を見て憧れたそうで、車体に文字を描くのも電球を配線するのも全て自ら行いました。被災した町を明るくしたいと、音楽をかけながら、いつも町内を走らせています。津波で自宅は全壊し、両親は4年前に別の場所で家を再建しました。車体には“俺の故郷は被災地”という文字も描かれていて、震災のことを忘れないでもらいたいという思いを込めたそうです。東北のデコチャリ仲間とグループを作り、会長も務めています。

 「見た人が“なんか変なのがいたよ”とかでも全然いいので、話題が増えればいいなと思っています。町はさら地の状態で、いろんな人が前に住んでいた地区を離れてバラバラになって、震災前の大槌はほぼ戻ってこないですけど、笑顔とか、そういうのは変わらず残るものなので、デコチャリを見て少しでも笑顔になってもらえたらと思っています。将来は救急救命士になって、今は笑顔を与えているけど、次は笑顔を守る立場になって、大槌や岩手に携わっていけたらなと思っています」

 次に、町内の“子ども教育センター”を訪ねました。放課後に子ども達が集う場所として、町が運営しています。子ども達は宿題をやったり自由に遊んだりしているほか、ものづくり体験や折り紙教室など、様々な活動も行われます。

8月3日放送「岩手県 大槌町」

漁師の傍らここで働いている40代の男性は、こう言いました。

 「家も流されましたし、仮設はあってもやっぱり狭かったので、子ども達がのびのびと遊べる所とか、勉強できる所がなかったんです。だから大槌町の子ども達がいつでも来られるような居場所づくり、子ども達がいつでも遊べるこういう建物は、必要だと思います。ただ、新しくつくられた市街地は広い公園がないし、ボールとか使える場所はかなり少なくなってきているので、そういう広い公園が 近くにあればいいかなとも思います。外で遊んだり、友達と一緒にわいわいとキャッチボールしたり、鬼ごっこしたりできるようになれば、本当の復興なのかなって思います」

 町は復興事業で30あまりの公園を整備しましたが、都市計画や財政上の課題もあり、どれも小規模で遊具はありません。人口減少が課題と言いつつ、まとまった雇用を確保できる場はなく、地元を離れた人が戻るのは厳しいでしょう。であれば、遊び場を確保して子育て世代にメリットの多い環境を整えるのは、最低限、今いる若い世代が町に残り、その次の世代も残るために必要なことかもしれません。

 さらに、中心部の町方(まちかた)地区にある末広町(すえひろちょう)商店街にも行きました。30軒あった店舗は全て被災し、再建したのは10軒のみです。

8月3日放送「岩手県 大槌町」

お茶の販売店を訪ねると、町の商工会の会長も務める70代の店主が話をしてくれました。店は津波と火災で全壊し、自宅も大規模半壊でした。震災後は仮設商店街で営業し、2年前、今の末広町商店街に店を再建したそうです。男性は商店街を活気づけようと、震災で途絶えていた夏祭りも復活させました。

 「再建した当初、新しい店が町方にできるということで、お客さんに結構来ていただいたんですよ。それから2年たって、ちょっと落ち着いた感じですね。まだまだ空き地があって、これを埋めるのは何年もかかると思います。8年前の、“何としても、絶対再建するんだ”という気持ちの人はいっぱいいたんです。でも、70代の経営者が8年経って80歳を超えて、亡くなった方や、“もう再建しない”という方がいますね。やっぱり資金力がないと、なかなか再建できないですから。これからは若い人を中心に、継続した事業をしてほしいと思います。なんとしても、元の町のようなにしたいなぁ」

 商店街には、今ある店以外に新たな再建の話はないそうです。町方地区は、復興事業が当初の計画よりだいぶ遅れ、震災後5年近く経ってから一部で土地の引き渡しが始まり、店の再建が始まったのはその翌年です。その間、店主たちは資金、後継者、人口減少などの不安に襲われ、再建への思いは削がれていきました。店が減った上、住む人も少ない空間に活気を取り戻す、非常に難しい挑戦が続きます。

 

 その後、海から2km離れた桜木町(さくらぎちょう)地区で、震災の10か月後にも取材した、70代の女性を訪ねました。

8月3日放送「岩手県 大槌町」

自宅は床上1m50cmまで浸水し、あらゆる家具と家電は廃棄を余儀なくされました。震災の7か月後には家を修繕し、以後ずっと夫婦2人で暮らしています。前回会ったのは、被災者向けの就職相談会の会場で、当時60代だった女性は、再就職先を探しているところでした。

 「自分に合った仕事が欲しいです。希望は調理ですけど、店が復興してないので、なかなか探すのが大変です。家にいると、忘れたころにどうしてもまた震災を思い出してね…まだ1年経ってないから」

 あれから7年半…。女性は就職を諦め、今は年金を頼りに生活しています。友人の誘いで“さをり織り”を始め、週に1回、仲間とともに機を織りながら語らう時間が楽しみだそうです。

 「今は自分で働きたいと思っても、ついていけない…足腰とか痛くなってきているし、今からはもう、できないです。7年前にはその気持ちはあったけどね。みんなでわいわいしている時は、亡くなった友達のことを忘れる時もあるね。話をしている間だけでも…。そういう時間は大事ですね。皆さんと話をしたり、仲良くして過ごしていきたいです。 やっぱり、一番は健康ですね」

 そして町内の高台に行くと、移動販売の車を見つけました。地元農協が運営する産直施設が、週に5日、野菜や飲料、台所用品などを軽トラックに積み、町内を広く回っています。

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1日の利用者は50人ほどで、買い物が困難な高齢者は個別訪問しています。この日も1人暮らしのお年寄りの家を訪ねましたが、近くには自動販売機すらなく、ジュース1本買うのも移動販売が頼りのようでした。40代から60代の女性スタッフたちは、口々にこう言いました。

 「スーパーとか、大手のものは町内にあるんですけど、家の近くにある店がないんですよね。だから 私たちが役に立てればなって思います。おじいちゃん、おばあちゃんと接することが多くて、みんなに元気になってもらいたいです。もうみんな、顔なじみだもんね。毎週来ている人が急に来なくなると、“どうしたのかな”って思いますね。家族みたいで、いないと心配になるし…。お年寄りに“来てくれてありがたいよ”って声をかけられると、それが励みになって、私たちも頑張らなきゃと思います」

 さらに、吉里吉里(きりきり)地区に行き、震災の2か月後に会った、当時60代の女性を再び訪ねてみました。

8月3日放送「岩手県 大槌町」

当時は、避難所となった体育館の床に座り、こう言っていました。

 「元の吉里吉里に戻るよう祈りたいです。すごく海がきれいで、ここから離れたくない…人間的にも良い所です。震災のすぐ次の日から、がれきの撤去や炊事など、お互いが積極的に助け合いました」

 あれから8年…。女性は大好きな地元を離れず、同じ地区内の高台に造成された団地に、自宅を再建しました。夫婦2人の暮らしで、漁師だった80代の夫は2年前に大病を患い、今も療養中です。この夫婦も産直施設の移動販売を利用していますが、移動販売車には冷蔵庫が無く、常温で運べるものしか手に入りません。今の心の支えは孫やひ孫の成長だそうで、去年、孫の結婚式にも参加しました。

 「買い物で言えば、ちょっとしたお魚屋さんとかが近くにあればいいんだけど…。結局、夫と2人でリュックを背負って、バスで行きます。トイレットペーパーとか買った時はタクシーで行きますけど、短い余生を、なるべくお金を無駄に使わないようにしないと…子ども達に迷惑かけたくないからね。今の主人の生きがいは、ひ孫。ランドセルを背負って学校に行く姿を楽しみにして生きたいって言っているの。やっぱり、夢がないと生きられないものね。そういうのを思いつつ生きています」

 元々、多くの人は店も身近で暮らしやすい市街地に住んでいましたが、中心部の復興の遅れにより、高台など離れた所に居を移す人が多くなりました。家の建設費が高騰して、高台の災害公営住宅に入る人がいたり、津波が来た場所には戻りたくないという人もいます。どの被災地も復興は思い通りになりませんが、せめて移動販売のような、足りない部分を埋めていく努力がこれから非常に大事になります。

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