キャスター津田より

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、福島県に住む若者や子どもの声をお伝えします。最初は、南相馬(みなみそうま)市です。市内の一部に避難指示が出されましたが、2年前(2016年7月)に解除されました。避難指示が出ていなかった地域を含め、人口の流出や風評被害など、原発事故の影響は少なくありません。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

市内にある縫製工場では、業界の復興に取り組む若い世代と出会いました。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

もともと県の沿岸部は縫製業が盛んでしたが、原発事故後は働き手が集まらず、縫製工場は最盛期の半分以下に減りました。業界の衰退をくい止めようと、3年前から、地元業者が合同でファッションショーを開いています。全国から寄せられた300以上のデザインから優秀作品を選び、ステージで披露します。スタッフが訪れた縫製工場では、第1回から実行委員として参加する23歳の女性がいました。

「自分がやりたいことができているので、成長できるように、これからも勉強していきたいです。ショーを通して服をもっと知ってもらったり、縫製工場も知ってもらえるようにしたいのと、何よりショー見に来て、たくさんの方が“楽しい”と笑顔になってもらえるように、精一杯頑張りたいです」

また、実行委員の仲間で、地元で自社ブランドを立ち上げた35才の男性は、こう言いました。

「震災があったからこその、団結力がありますよね。震災がなければ、各々の工場はそれぞれでやっていて、自分も個人でやっていて、まさかこんなファッションショーを一緒に協力してやるところまで思い至らなかったと思うので…。そこはやはり、“ここから立ち上がるんだ”という気持ちでしょうね」

次に、浪江町(なみえまち)に行きました。全域に避難指示が出されたものの、去年3月、一部の帰還困難区域を除いて避難指示は解除されました。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

現在の人口のうち、町内に住むのは4.5%に過ぎません。
夜、6月にできた宿泊施設に、若者たちが集まっていました。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

“ふるさと未来創造会議”のメンバーで、いずれも全域に避難指示が出た、浪江町、双葉町(ふたばまち)、大熊町(おおくままち)、葛尾村(かつらおむら)の未来について、青年世代が考えようというものです。メンバーの1人、浪江町出身の33才の男性は、避難先の隣町で家業の電器店を再開し、現在は“標葉(しねは)祭り”の復活に向けて奔走中です。祭りでは、3町1村の特産品や伝統芸能が一堂に集まり、故郷の味や文化を堪能できます。

「特に震災後に生まれた子を意識しているんですけど、“あったものを変えていこう、よくしていこう”よりは、“あったものを忘れないで、次世代につないでいこう”をコンセプトに活動しています。お祭りも“できる?できない?”と言っていたら、結局いつまでも“できないかもしれない”となってしまうので、もう、やるだけです」

さらに、葛尾村にも行きました。おととし6月に、帰還困難区域を除いて避難指示が解除されましたが、実際に村に住むのは人口の2割にとどまります。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

葛尾小学校を訪ねると、来月の発表会に向けてダンスの練習が行われていました。今年4月から、小中学校は町外の仮設校舎を閉じて、元の場所で再開しています。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

しかし小学校の全校児童は7人で、震災前の1割ほどです。ダンスには、葛尾村で700年近く受け継がれてきた伝統芸能『宝財(ほうさい)踊り』も取り入れていて、アイデアを出したのは、4年生の女の子でした。ある新聞記事を見て、踊りを取り入れたいと提案したそうです。

「子どもが帰ってくる可能性が低くて、宝財踊りが復活できないかもしれないという記事でした。これは困ると思って、葛尾村の踊りが消えちゃうのは寂しいから、復活させたいと思いました。やっぱり難しいけれど、慣れてくると楽しい踊りだから、もっとやりたいなと思って…」

担任の先生はこう言います。

「子ども達が“これをやりたい”というところからスタートしたので、そこは本当に応援したいです。それで葛尾村の人たちもすごく喜んでくださると思うので、ものすごくうれしいなって思っています」

避難指示区域となった小中学校、41校を合わせた子どもの数は、原発事故の前年と比べて9割も減っています。例えば浪江町は、99%減少してわずか10人です。原発事故後は、生まれた町に住んだことも行ったこともなく、故郷の自覚も持てず、実質的には別の町の子ども…という小学生が増え続けています。真の意味で“町が廃れる”というのは、人口減少ではなく、地域の尊厳が失われることです。祭りにしろ、伝統の舞にしろ、原発事故前のふるさとを次世代につないでいく取り組みは、非常に重要です。

葛尾村では、去年春に帰還し、畜産を再開した25歳の男性も訪ねました。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

江戸時代から続く農家で、母と2人で15頭の肉牛を育てています。9月にあった品評会では、最優秀賞にも輝きました。私たちは6年前、三春町(みはるまち)の仮設住宅でこの男性を取材していて、当時はこう言っていました。

「休みの日を利用して兼業農家でやろうと思っていたんですけど、原発事故でこれからどうしようか、農家をやるかどうか考えていて…。仮設に一番最初に入ったんですけど、その日の夜に三春の人が来てくれて、“大丈夫か?”って、野菜をくれたりしたので…助かっています」

最後は涙ぐみ、声に詰まった男性。その後も帰村や家業を継ぐことを迷っていましたが、祖父の死をきっかけに、2年前、畜産の再開を決心しました。牛舎を増築し、隣町の農家に預けた牛も戻しました。

「じいちゃんは“村に戻って牛飼いをやる”って、亡くなる1、2年前はいろんな牛舎を見に行ったり、自分も一緒に行ったりしたんです。やっぱり、先祖代々が守ってきた場所なので、村に戻ってこなかったら、自分が死んでご先祖様のところに行った時、怒られますもんね。“若い人に頑張ってもらわないと”って結構言われてるんで、その声に応えて、絶やさないように自分が守っていきたいなと思って…」

 

  

その後、広野町(ひろのまち)にも行きました。福島第1原発から20~30kmにある、人口4700あまりの町です。原発事故後すぐ、町は独自に全町民に避難を指示しました。国からの避難指示はなかったものの、1年間、全町避難を続けました。今は人口の8割が町内で暮らし、施設の整備も進んでいます。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

町内の幼稚園で行われていた運動会を訪ねると、29歳の消防士の男性が、2人の娘を熱心に応援していました。いわき市に避難し、4年前に家族で帰還したそうです。男性の呼びかけで、今年、震災後に途絶えていた伝統行事『酉小屋』(とりごや)が復活しました。1月7日、豊作を願って行われる行事で、田んぼの中に竹などで小屋を建てます。そこで住民たちがごちそうを食べ、最後は小屋ととともに正月飾りを燃やして、松が明けます。男性は、震災後に集落で途絶えていた子ども会も復活させたそうです。

「昔、自分たちが楽しみにしていた伝統行事を子ども達に伝えて、子どもが笑えば大人も笑うし、町もにぎわうって思います。震災がなかったら、ここまで自分のふるさとを思っていなかったですね。震災前は施錠しないのが当たり前で、家に帰ったら、なぜか隣のおばあちゃんが洗濯物をたたんでいたり…。田舎は嫌だってずっと思っていたのに、今は一番住みやすいし、広野が好きなんだって思います」

また、広野町にある県立ふたば未来学園高校では、カフェの開店を目指す高校生たちに出会いました。

10月6日放送「若者子ども編・福島県」

この高校は来年、新校舎に移転しますが、校内には誰でも立ち寄れるカフェがつくられます。社会勉強も兼ねて生徒たちが運営することになっており、地元住民との交流も大事な目的です。現在、開店に関わる生徒たちがメニューの試作や内装の検討を続けており、小さい子ども達が自由に落書きできるスペースも作る予定です。1年生の女子生徒は、こう言いました。

「“カフェができるよ”って言われて、なんか楽しそうと思って…。自分から話しかけるのも好きだし、話しかけられるのも好きだし、みんなで話す機会があるところに行きたいなと思いました。小さな子どもから年配の方まで来てくれると思うので、季節にあったメニューとか出して、小さな交流の場にしたいです。そこで意見交換したことを種にして、次は土にうめて、やがては実らせたいなと思っています」

広野町は、国の避難指示が出ていた市町村の近くにあり、廃炉や除染、復旧事業の拠点が置かれ、作業に従事する人の宿舎やアパートが急増しました。今も多くの作業員が町内に住んでいて、住民登録せずに町内に暮らす人を含めると、実際の居住者は人口の約1.5倍です。町民にすれば、知らない人が増えた現在の町の姿や雰囲気は、以前とは大きく異なります。そうした中では、伝統行事を復活させることや地域交流の場を提供することには、大切な意味があるのかもしれません。

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