キャスター津田より

2月4日放送「岩手県 陸前高田市」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、岩手県陸前高田市(りくぜんたかたし)です。

2月4日放送「岩手県 陸前高田市」

人口は約19000で、津波で1700人が亡くなり、今も200人ほどが行方不明です。大部分の市民が住んでいた平地が最も深刻な被害を受け、山から直接土砂を運ぶ大型のベルトコンベアーを設置し、10m前後のかさ上げを行いました。中心部の高田地区だけでも180haを越える市街地整備が行われ、"被災地最大の復興事業"と言われています。そこでは去年4月、市立図書館を併設した大型商業施設も完成し、周辺には再建した店などが建ち始めています。

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はじめに、新しい大型商業施設に近い理容店に行きました。なんと、取材した日がオープン初日でした。

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店主の30代の男性は、震災前は市内の理容店に勤めていましたが、店は津波で流され、仮設店舗での営業を余儀なくされました。勤め先のオーナーやお客さんの後押しもあり、自分の店を出す決心をしたそうです。この日も早速、なじみのお客さんが次々と訪れ、男性は笑顔でカットしていました。

「震災後に印象に残ったのは、子どもを亡くされたお客さんの話で、"朝、行ってらっしゃいを言わなくて、今も後悔している"とか…。苦しい思いをしている人がいっぱいいたんで、"話を聞いてもらうだけでもスッキリしたよ"って言われたり、心のモヤモヤがとれたとか言ってもらうのがうれしかったです。震災の時は1歳で、お母さんに抱っこされてカットした子が、今はウチの息子とテニスやっていますし…ホントに家族ですよね、お客さんは。みんな、顔が晴れやかになるように、仕事していきたいですね」

 

また、同じく大型商業施設の近くにある、去年10月にオープンしたカフェにも行きました。

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店主の30代の男性は、震災前は東京で会社員をしていたそうです。津波で実家が流され、両親と祖母を亡くしました。立ち直れないほどの悲しみの中、親戚が市内で開いたカフェを訪ね、故郷に戻ろうと決めたそうです。焙煎機も設置し、本格的なコーヒーを提供する専門店にこだわっています。

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「当時は、戻ってきても家もない、家族もいないというので、戻る理由はもはやないなという感じでしたね。でも親戚のカフェには、それまで高田にはいなかった職種の方…デザイナーさんとか、そういう方の打ち合わせに使われているのを見て、これから高田でもこういう面白い場所ができて、いろんな人が集まるようになったらいいなと思ったんですね。店が復興につながっている実感は、今のところ微妙だけど、次の春にはあと何店舗かできて、少しずつ人の流れが変わっていくのかなと思っています」

ちなみに男性は、亡くなったおばあちゃんがやっていた、たばこ店の仕事も引き継いだそうです。

 

そして、中心部から2kmほど離れた仲の沢(なかのさわ)集落に行きました。ここには、陸前高田など気仙(けせん)地方で脈々と続いてきた"ツバキ油"を製造する工場があり、60代の夫婦が営んでいます。

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津波で自宅と工場を流され、去年11月に仮設工場で再開しました。震災前、後継ぎの30代の息子さんは、仕事を辞めて家業の技術を勉強中でした。しかし、震災の時に消防団員の任務に出て、犠牲になったそうです。息子のため、搾油機などの機械を更新したばかりでした。夫婦はこう言いました。

「この6年、何にもやる気がなかったのね。やろうとも思わなかった…ショックがあまりにも大きすぎて。でも、"やってよ"とか、"あなたが絞った油を食べたいんだ"というお客さんがいっぱいだったの。心は震災の時と同じだけど、やっぱりいつまでもこうしていられない、一歩でも何歩でも、前進しなきゃならないって気持ちになってね。最初にできた油は、息子に持っていって、"できたよ"って、仏壇にずっと上げっぱなしで置いていましたけど…。気仙地方は北限のツバキだということで、やっぱり絶やしてはならないと、気仙の特産を守っていきたいと思います」

 

さらに中心部から車で10分ほど行くと、壁に大きな絵が描かれた建物を見つけました。

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訪ねると、そこは地元の画家の絵画サロンでした。30代の画家の男性は知的障害があり、父親の勧めで小学1年生から絵を描いているそうです。淡い黄色やピンクを背景に、キャンバスの下にガレキらしきものと多くの人を描き、そこから上のほうに向けて、葉っぱに乗った人々が一本の道を流れていくような絵がありました。

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70代の父親は、こう言いました。

「高田は203名の方がまだ行方不明で、息子の中じゃ、亡くなった方はみんな天国に行くという思いがあるもので、その人たちが笹船に乗って天国に行っているっていうストーリーになったんです。被災地のことを描いていたものですから、息子の気持ちが届く時があるんですよね、見た方に。そうすると絵の中に入り込んでくれて、涙しながら見てくれるという方が何人もいてくれて…」

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男性の一家は津波で自宅を流され、描きためた約200点の絵も失いました。ショックのため、男性は一時、絵が描けなくなり、再びキャンバスに向かったのは震災の3か月後でした。

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完成したのは、肖像画です。キャンバスの中に6人の顔を大きく描きました。その方々は津波で亡くなったご近所さんで、皆さんは進んで男性の話し相手になり、身内同様に気にかけて、成長を見守ってきたそうです。また、障害のある我が子を育てる両親も支えてきました。"だからこそ、やってこられた"と両親は言います。

「息子の中では、言葉にできないものを絵で表現できる、そんな思いがあったんだと思うんですね。私たち障害のある家庭は、どうしても何か皆さんに助けていただかなくちゃならないことが多いんです。障害があるけども、地域の中で一緒に生きてほしいって、特に震災後は思っていまして、高田全体にそういう輪が広がればいいなと思っています」

震災後、15%という高い人口減少率や、被災地最大の復興事業といわれながら、かさ上げした造成地の半分以上で利用が決まらないなど、ニュースでは陸前高田に関する厳しい現実が報じられます。しかし実際に一人一人にお会いすると、皆さん、"ここで強く生きていく"という決意と覚悟に満ちています。

 

さて今回も、以前取材した方を再び訪ねました。震災から1年3か月後の陸前高田市では、被災した人々が、自宅があった場所に花を植えているところに出くわしました。

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そこには"五本松"という、地域の象徴だった大きな松の木がありましたが、津波で失われました。

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70代の女性に聞くと、五本松の近くにあった実家が、津波で流されたそうです。女性は声を詰まらせて、こう言いました。

「五本松っていうのは、それこそ1才半くらいから皆で遊んだ場所なんです。私の同級生だけでも、13人亡くなっています。まだ見つかってない人もいるし、それ思うと、やはり花を植えて、どっからでも見ていてほしいって思うし…。やっぱり自分も生きていかないと、努力しないとって感じています」

あれから6年…。女性は3年前に、市内に自宅を再建していました。

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夫と息子家族の6人で暮らしています。五本松の場所はかさ上げ工事で土が盛られ、花壇もなくなりました。

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女性は思い出にしようと、五本松の近くにあったマメザクラを自宅の庭に植え替えました。

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「あそこ(=五本松の場所)を通るたびに涙が出る…高くなってからは行っていないんです。行けば思い出してしまうからね。マメザクラの花を見たいと思って植えたんだけど、去年咲いたの。うれしくてうれしくて…うれしかったです。よくぞ咲いてくれたと思って。今年も絶対に咲かせます。もう一回でいいから、五本松に帰って来てほしい…ほんとに、何で津波来たんだべって、悔しいっていうか…」

 

また、震災から1年3か月後には、更地になった市街地で1軒だけ営業していた農機具店を訪ねました。

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70代の男性店主に聞くと、店は跡形もなく流され、震災から1年ほどで仮設店舗を構えたそうです。

「残された人生、あと10年頑張りたいです。もう辞めても、お客さんも許してくれるだろうと思っていたの。避難所で1か月過ぎると、得意さんが故障した機械を持ってきて、何とかしてくれって…。直るとお客さんの喜ぶ顔がね…もっとも、そりゃそうだと思って。ぼちぼち再開しなきゃいけないと…」

あれから6年…。男性は今も仮設店舗で、農機具の修理を行っていました。来年度、所有地のかさ上げが終わり次第、念願の店を再建するつもりです。

「お客さんの顔を見たり、仕事をしながら、10年が再延長になるなと思ってね。今から10年…笑われますけどね。いつも思っていますが、いろんな話をしながら修理をして、"これでどうですか?" "いいな!"って喜んで帰っていく、その時に人生の満足感というか、うれしいんだね。感謝の気持ちだよ」

震災がなければ、とっくに引退し、今ほどお客さんのありがたさも知らずにいたでしょう。津波で店は失くしたものの、"得たものも大きい"という思いは、男性が見せた満面の笑みによく表れていました。

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