キャスター津田より

10月1日放送 「福島県 葛尾村」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、福島県葛尾村(かつらおむら)です。福島第1原発から20km~30kmの山あいにある、人口1500足らずの小さな村です。村の全域に避難指示が出され、全ての住民が三春町(みはるまち)などの村外に避難しました。避難指示が出された中では、一番小さい自治体です。去年6月、一部の帰還困難区域を除いて避難指示は解除されましたが、小中学校や診療所は、まだ村で再開していません。

10月1日放送「福島県 葛尾村」

10月1日放送「福島県 葛尾村」

 

はじめに、お年寄り達が通うサロンを訪ねました。帰還した高齢者の孤立を防ごうと、村が開いています。5か月前に避難先の郡山市(こおりやまし)から帰還した90歳の女性は、4世代6人で暮らしていた自宅に、今は一人で住んでいます。食料や日用品は、息子や娘がほぼ毎日届けに来るそうです。

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「村がいいよ、やっぱり。山を眺めて、田んぼを眺めて…。郡山の避難先なんか庭もいじれない、ちょっとしかないんだもん。家族と離れ離れなのが一番悲しいな。もうみんなが一緒に集まるってことはない、孫やひ孫と一緒にここに住むなんてことはない、そう考えているから…。孫と遊べないのはホントにつらいけど、私は度胸を決めた、心を決めた…。家が一番いいです。6年も苦労してきたから」

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自宅の前は除染廃棄物の仮置き場で、おばあちゃん以外の家族は帰還をためらっています。息子さんに聞くと、廃棄物の山を指差して、"これだって、いつ撤去になるか分かんないべ。だから子どもを連れて帰ってくるのは無理だな"と言いました。葛尾村は本当にのどかな、まるで昔話に出てきそうな美しい山村です。人々はそこで、満ち足りた生活を送っていました。その同じ場所で、最終盤の余生を楽しむべき90歳の方に、寂しい1人暮らしを強いているのが原発事故です。それを忘れてはなりません。

 

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また村では、防犯のためパトロールも行われています。村民を中心に結成された"見守り隊"が、1日3交代、24時間村内を巡回しています。隊員の7割は60歳以上で、帰還した高齢者を訪ねる"安否確認"も重要な仕事です。隊員の70代の男性は、巡回中の車内で、"若い人が増えるようになれば明るいけどな…これから葛尾村、どういうふうになるんだかな…"と、遠い目でこぼしました。この男性は郡山市で暮らし、帰還のめどは立っていません。隊員の中にはすでに別の町で家を新築した人もいますが、村の中で働くのが一番だと、隊の活動に参加しています。70代の男性はこう言いました。

「今できることをやるしかない…複雑なことはいっぱい絡んでいるけど、やっぱり前に進むっていうことですね。戻れたら、っていうことよりも、葛尾を忘れることができないから…。つながりはまだ切れたわけじゃないからね…つながっているんじゃないですか、ずっと。みんなつながっていると思うよ」

約1500人の村民のうち、帰還したのは169人です。その7割近くは65歳以上で、40歳未満は帰還者の5%に過ぎません。そもそも買い物や通院などが他の町に比べて不便で、以前から過疎や高齢化も進んでいました。そうした場所に若い世代が再び戻るには、他の町よりさらに強い動機が必要になります。このままでは、10年、20年先には誰も住んでいないという可能性も否定できません。

 

ただ、村の再建に向けた取り組みも少しずつ行われています。村では今年、以前の7%ほどの面積ではありますが、出荷に向けた本格的な米作りが始まりました。

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郡山市に避難中という60代の農家の男性は、自ら志願して、他の人の田んぼでも草取りなどを続けています。男性は農地管理などを行う会社を設立し、年内には村に戻って息子たちと働くつもりです。

10月1日放送「福島県 葛尾村」

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「帰還していいって言われても、農地も荒れ放題では人も来ないなと思って…。村を歩く人たちも、田んぼを整備しておけば、ある程度、村が動いているっていうのが分かるし…。もう少し、頑張んべ。耕していたところは全部、元の田畑に戻れば最高じゃない。やっぱり、生まれ故郷で一生働いていくのが、俺の仕事かなと思って…。葛尾村で農業をやっていけるんだって、見せてやりたいべ、みんなに…」

 

さらに村では、96戸あった畜産農家のうち、この春、4戸の農家が再開しました。その内の1人、50代の男性は、牛とともに隣の田村市(たむらし)に避難し、今年3月に帰還しました。

10月1日放送「福島県 葛尾村」

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9頭の母牛を飼い、子牛の繁殖を行っています。牛のために帰還したものの、現在は電気もガスも来ていない、倉庫の2階に仮住まいです。以前のエサは稲わらでしたが、田んぼが再開できないため、今は外国産の牧草を使っています。

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放牧地の除染は終わっても、周囲の森林は除染されていないため、放牧ができません。

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「マイナスからの挑戦です。今まで何気なく使っているものも、全然使えなくなってしまった…でも、いつまでも甘えている訳にはいかないので、挑戦して自分から前に進みます。戻ると決めた以上は、再開でなく"開拓"していかないと住めないと思って、帰ってきた…今までと同じ状況で生活できるとは思っていない、それは覚悟で帰ってきています。"開拓"なんだよね」

稲作や畜産の他にも、村では今年、商店や食堂など、戦後間もなくから営業してきた3つの店が再開しました。不便や過疎を指摘されても村で暮らし続けてきたのは、皆さん、村への愛が強いからです。その郷土愛を持ち続けても、今後の村がどうなるかは誰にも保障できません。しかし、郷土愛すら失われたら、村の消滅は現実になります。そのギリギリのところで、いま村は踏ん張っているのです。

 

さて今回も、以前取材した人を再び訪ねました。

10月1日放送「福島県 葛尾村」

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今から4年前、村内の日用品を扱う商店で、片づけをしていた70代の男性店主と出会いました。避難指示の解除後、店を再開するかどうか迷っていました。

「もう2年離れていた訳ですけど、片づけに戻ってみれば、前と同じように空気のおいしいふるさとでした。でも人口が多くない所で、また減ったなら、お客さんがその分減るだけですし…」

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あれから4年…男性は今年7月、妻と息子の3人で店を再開しました。取材の日はお彼岸で、避難先から多くの村民が店にやって来ました。男性はほぼ全ての村民の顔を知っており、お客さんとあいさつを交わします。帰還が進まないため売り上げは伸びませんが、来春、小中学校が村で再開するのに備え、早くも運動着を陳列していました。

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男性は、"とにかく子ども達には戻ってきてほしい"と言いました。

「現実は、以前の売り上げの3分の1…果たして経営的にはどうなのか…。でも、もう少し村が活気づけばいいという考えで、我々のやっていることが復興に少しでも役立つと信じるしかないです。村が消えてしまうという心配がどこかにあって、できることなら何とかしたいという気持ちが湧いてきます」

先ほど村はギリギリのところで踏ん張っていると言いましたが、男性もまさに、そのうちの一人です。

 

また、原発事故から1年半後の三春町では、仮設店舗で居酒屋を営む、葛尾村の30代の男性に出会いました。

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村で10年、店を続けてきたそうです。娘2人は、小学校と幼稚園に通っていました。

「できるだけ子ども達のために、これからホントに頑張るぞという気持ちですね。自分なんかはどうでもいいから、やっぱり子どもが安心な未来を作れるように、頑張っていきたいなと思っていますね」

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あれから5年…。男性は三春町にある村の復興公営住宅で、家族と新たな生活を始めていました。店も新しい仮設店舗に移転し、賠償金や貯蓄をつぎ込んで、内装や設備を整えました。

10月1日放送「福島県 葛尾村」

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客層も葛尾村の人よりは、三春町の人が多くなったそうです。上の娘は中学3年生、下の娘は小学5年生になりました。

「葛尾にどうやって早く帰るか、帰ってどうやって生活を立て直すかをすごく考えていたんですけど、避難指示が解除された後の状況をみると、やっぱり帰って商売するのは厳しいだろうっていうことで…。ここで何とか生活をして、家族を食わせていかなきゃならないという気持ちに変わっていきました」

下の娘は、来春、村で再開する小学校に通いたいと言っているそうです。三春町からスクールバスが出るものの、片道で小一時間もかかります。男性は悩んでいました。

「三春にするなら、早めにそう決めて、三春小学校、三春中学校に通わせたほうが、友達もすぐできやすいとは思ったんですけど…。実際の気持ちとしては、葛尾小学校を卒業してくれればうれしいですし…まあ難しいところですね。葛尾大好き、三春も好き…家族みんな、そんな気持ちです」

 

事故後、村の小中学校は三春町の仮校舎に移りました。村による保護者アンケートでは、来春、村で再開する小中学校に通う見込みなのは、今のところあわせて16人です。村が大好きな思いはずっと変わらないまま、生きていく以上は、別の町でも明るく生きていこうと家族で支えあう姿が印象的でした。

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