キャスター津田より

9月17日放送 「若者子ども編・岩手県」

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。
今回は「若者・子ども編」、岩手県陸前高田市(りくぜんたかたし)の若い世代の声です。

陸前高田市は人口が約2万で、震災では1800人もの市民が犠牲になりました。平らな土地はほぼ全て津波に襲われ、車で走っても延々と建物の土台だけが広がる光景は、強く印象に残っています。被災地最大の面積といわれる大事業で土地を10mもかさ上げし、今年4月には、大型スーパーをはじめ20ほどの店が入る商業施設が完成しました。一方で人口が流出し、震災前より2割近く減っています(先月末時点)。直近(2015年)の国勢調査では人口減少率が15.2%となり、県で2番目の高さとなりました。

はじめに、家族でカキの養殖をしている34才の男性を訪ねました。

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

陸前高田市の前に広がる広田湾(ひろたわん)のカキは、中身も大きく味わいがあり、震災前は高値で取引されました。男性は津波で養殖いかだを全て流され、祖父も亡くしました。現在、陸前高田市のカキの生産量は、震災前の6割しか回復しておらず、湾内の漁師も半減しました。

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

男性は震災後、カキに栄養を行き渡らせる独自の方法をネットで公開したり、東京の支援者の力を借りて、漁の様子をネットやイベントで公開しています。

「例えば、夏場にお湯でカキをゆでる作業なんかは、今まで外に出さないで隠していたんですね。これからはどんどん打ち出していって、この産地のものは手間暇かかっているんだよ、って分かってもらうのが、すごく大事だと気づいて…。漁師さんがどう面白く取り組んでいるか、そういうものを伝えて、知って食べるって、すごく楽しいじゃないですか」

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

男性の不安は、やはり後継者問題です。漁師の減少には、何より危機感を抱いています。

「親から子へって引き継いできたんですけど、それでは途絶えていくので、外からどんどん募って、漁業をやりたい人を受け入れるような浜にしたいですね。僕も昔、浜が遊び場で、学校から帰ってきて、浜で遊びながら仕事を見ているみたいな…。家族と接する時間も長いし、やっぱりこの仕事っていいなと思います。とりあえず僕が楽しく水産業をやることで、子どもが真似してくれればと思います」

 

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

その夜、市内の小学校の体育館では、年に1度の"全国太鼓フェスティバル"に向け、地元の創作太鼓『氷上(ひかみ)太鼓』の練習が行われていました。

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

20年ほど前に始まり、現在メンバーは、小学生から60代までの40人です。震災では仲間7人が犠牲となり、存続の危機に立たされました。太鼓の打ち手は半分近くまで減り、1人で数種類の太鼓を掛け持ちしています。メンバーの中には、3か月前に入団したばかりの、介護施設で働く18歳の女性もいました。もともと郷土芸能が好きだったそうです。

「震災はあまり意識してなくて、被災地だから元気を届けたいとか、そういうのではなくて、ただ、お客さんに楽しんでもらえたら…被災地の方だけじゃなく、県外から来て下さる方もいるので、その方々にも元気と笑顔と感動を与えられればと考えています。お客さんが笑顔になると、とてもうれしくて…。演奏してよかったって思うんですよね。笑顔になるのは元気になってくれたってことかなって…」

リーダーの男性によれば、仲間が亡くなり、正直、続けるのは精神的にもつらかったそうです。しかし、被災地の自分たちがやるからこそ、同じ被災地の人も頑張れる…という思いで続けているそうです。そうした中で18歳のこの女性は、他のメンバー達の新たな力になっています。

 

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

さらに別の日、市の中心部から車で20分ほどの広田(ひろた)地区に行きました。3700あった地区の人口は、震災後、500人以上流出しています。この地区では、20人ほどの地元の高校生が、NPOとともに地域おこしの活動をしています。この夏は、震災前に行っていた地元の運動会を復活させたほか、年末には、地区の1000世帯すべてにプレゼントを配る"サンタプロジェクト"を4年間続けてきました。中心メンバーの1人、高校2年生の男子生徒は、自宅を流されて仮設で暮らした後、この春、両親と災害公営住宅に入居しました。広田地区の魅力を伝えようと自ら写真を撮り、彼が中心となって制作した地元をPRするパンフレットは、いま市内各所に置かれています。

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

「陸前高田市のため…極端な話ですけど、市長とか、そういう大きな仕事をしていきたいという思いはあります。陸前高田はすごくいい所で、それを変えるとかじゃなくて、とにかくみんなに、もっと魅力を知ってもらいたいです。地元のために何ができるかを考えて、できることを精一杯やっていきたいです。大学で別にやりたいことができたら、そっちを優先して地元に戻って来られない可能性はあるんですけど、今の時点では、こっちに戻ってきて、こっちのために活動したいと思っています」

前述したように、陸前高田市は人口減少に直面しています。市内の事業主も2割近くが津波の犠牲になり、廃業や市外に出た業者も相次ぎました。市の調査によれば、かさ上げした広大な土地も、半分以上が空き地になりかねない状況です。そうした町で、これまで紹介した皆さんは、被災地意識を振り払い、地域の誇りに目を向け、明るい未来を信じています。本当に頭の下がる若者たちです。

 

広田地区では他にも、毎月東京から通い続け、地元の人々と地域おこしを行なってきた大学生に出会いました。この日、彼は地元で集めた材料を使い、ドアのモニュメントを作っていました。

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

9月17日放送「若者子ども編・岩手県」

「知り合いのカキの漁師さんが、"お前、そうやって何度も広田に来ているんだったら、防波堤に海の絵を描いてくれ。そうしたら作業も楽しくなって、俺も毎日楽しくなるよ"って言ったんですね。そこで貝や流木で海を想起させるものを作って飾ろうと思ったんです。自分がこれをやりたいと言うと、町の人は"やったらいい"とどんどん応援してくれて…それが励みになっています。これからも来つづけると思います。"また来たのか"と言われながらも…自分とは、切っても切れない町になりましたね」

 

さて今回も、以前取材した方々を再び訪ねました。震災から1か月後の陸前高田市広田地区では、地元の寺に35人が避難していました。ここで、小学5年生の野球少年2人が話をしてくれました。

「野球の大会がしたいです。まずは町のことが大切だけど、復興して、早く思いっきり野球がしたい」

あれから6年…。高校3年生になった2人は、肩幅も広くなり、がっしりした体格に変わっていました。中学・高校とも同じチームでプレーし、今も大の仲良しです。中学校も仮設グラウンドでしたが、見事、県大会で優勝したそうです。

「小学5年生で野球ができなくなって、そこでグラウンドを提供してもらって野球ができたり、中学校の時も仮設グラウンドでしたけど、地域の方々が支援してくださったり…。支援してくださった方に、何とか恩返しできればと思って…。6年半、地域のために何もできなかったので、これからは自分が地域の力になっていければ…消防士になって、直接的に地域の方々の命を守る仕事に就きたいと思います」

そして、もう1人はこう言いました。

「野球っていうのは、中学でも高校でも、周りの方からの支えがあって初めてやれることだと、自分が一番実感しているので、これから先も感謝という気持ちを伝えていきたいです。震災直後は、海上輸送船、フェリーやタンカーによって送られてきた支援物資に、私たちの地元がすごく助けられて、その時に初めて、自分も船に乗って誰かの役に立ちたいと思って…。航海士になって、そこで色んな人々に感謝の気持を伝えられるよう、頑張っていけたらって思っています」

 

この6年半、2人は、"子供らしいことができるのは決して当たり前のことではない"という貴重な学びを得て、感謝しながら生活しています。震災がない方がよいのは当たり前ですが、現実に自分が震災に遭ってしまった以上、そこから何を学び、亡くなった人の分まで生きていくかが、子供も大人も問われているのだと気づかされます。

▲ ページの先頭へ