キャスター津田より

3月23日放送 「若者子ども編・岩手県」

今年度最後の「被災地からの声」は、若い世代の声を特集する「若者・子ども編」です。岩手県野田村(のだむら)で取材しました。野田村は人口が約4400、震災では500棟以上の建物が津波の被害を受けました。村内の災害公営住宅は全て完成し、新しい町並みができつつあります。

初めに、村に一つだけの中学校、野田中学校の卒業式に行きました。

3月23日放送 「若者子ども編・岩手県」

32人が学び舎を巣立ち、式の後には、保護者への感謝を込めて創作太鼓を演奏しました。傷ついた故郷を元気づけようと、震災の翌年から地域の祭りなどで演奏してきたそうです。費用がなかったため、太鼓代わりにタイヤや竹も使ってきました。

3月23日放送 「若者子ども編・岩手県」

この学校の生徒たちは、震災後、“私たちが野田村の太陽になろう”という目標を掲げて、学校生活を送っています。太鼓をはじめ、植樹や防災マップ作りなど、地域のため熱心に活動してきました。自宅が津波で全壊し、4年間仮設住宅で暮らしたという卒業生の男子は、こう言いました。

「地域の人から“卒業おめでとう”って言われた後、“今までありがとう”って言われると、みんなのために頑張ってきた甲斐はあったかなって感じで…。太陽になれたかなっていう感じはします。まずは思いを言葉にして地域に届けて、その言葉を次は行動に起こして、形にしていこうとやってきました」

もう一人、卒業生の女子生徒に聞くと、

「自分たちが支援されて、今ここにいるということを大事にしていきたいし、みんなこれから、野田村だけじゃなく、いろんな所で自分の道を生きていくと思うので、私も一生懸命頑張りたいと思います」

と言いました。男子生徒の目標は、高校に入って柔道を頑張ること、女子生徒の目標は、高校に行って専門学校に進み、調理関係の仕事に就くことだそうです。

次に、村の農家が営む食堂に行きました。子供たちの歓声が外まで響いています。ここでは月に数回、村内の若い母親たちが子どもを連れて集まります。いま村では、復興事業で子ども向けの公園や遊具の設備が進んでいます。野田村は子育ての支援が手厚く、3才以下か、第2子以降なら保育料は無料、高校までは医療費の自己負担も無料です。第3子以降には、独自の祝い金も出ます。3年前から出生数は増え続け、食堂に集まる母親たちは、ここで育児の情報交換を行っています。さらに、みんなでアクセサリーを手作りし、道の駅に隣接した農産物直売所などで販売しているそうです。

3月23日放送 「若者子ども編・岩手県」

ある20代の母親は、

「ここがあって外に出る機会が増えたし、友達になる人もできたので、私はすごくうれしいですね」

と言いました。また、自宅が津波で全壊したという別の20代の母親は、

「村の雰囲気はすごい明るくなりました。公園も増えたし、遊び場も増えて、よくなりました。仮設にいる時は、海が近いから波の音を聞くと怖くなるし、子どもと2人きりだったから不安でした。今はみんなで集まると笑顔になるから…みんなの話を聞いている時が、笑顔になれます」

そう語る母親の笑顔と子どもたちの歓声に、心が安らぎます。

その後、村の活性化に取り組むNPOを訪ね、20代の代表の女性に話を聞きました。実家は、津波で流されたそうです。以前は東京で働いていましたが、被災した両親と暮らすため、震災の5か月後にUターンし、両親や子どもと仮設で暮らし始めました。はじめは様々な残骸で埋め尽くされた津波の爪痕を見て、“自分にはもう何もできない”と思ったそうです。しかしその後、気持ちは一変しました。

「仮設の集まりに子どもを連れて行くと、すごいかわいがってくれて…。私もこういう場所に居ていいんだ、みたいな…。震災を経験して、“みんなで頑張ろうね”って空気があるんですよね、仮設って。なので、その中でみんなと一緒に頑張るのが、今、自分の中で必要なことかなって思って…」

そして今から2年前、女性はNPOを設立しました。大学生などに一般の家庭で“民泊”してもらい、漁業体験も行って、村のファンを増やそうとしています。民泊の協力者を増やそうと村内をくまなく訪れ、今では高齢者から、“年寄りを相手にしてくれてありがたい”と感謝されるまでになりました。

「私たちの活動で、“私も何かやっていいのかな?”って思う人が、村の中にも増えた感覚がありますね。この人、前はこんな感じじゃなかったな…っていう人も増えてくれているんで、活動にはそういう効果もあるのかな、って思います」

民泊を通じ、彼女はますます故郷の魅力にはまったそうです。やりがいに満ちた目は輝いていました。

そして今回、下安家(しもあっか)地区では、若手漁師の男性に話を聞きました。津波で甚大な被災を受けたこの地区を、去年8月、台風10号が襲いました。2mも浸水し、道路も崩壊。震災から復旧したばかりのサケふ化場も壊滅しました。

3月23日放送 「若者子ども編・岩手県」

養殖ワカメの水揚げを行っていた30代の漁師さんは、津波で船や資材、作業小屋など、4500万円の被害を受けました。船や道具を新たにそろえ、養殖が軌道に乗った矢先、今度は台風に遭いました。国からの補助金は出ず、自己資金で再び資材をそろえるしかありませんでした。それだけでなく、津波で全壊した後に建て直した自宅も、台風で再び浸水しました。

「小屋の中にあった養殖の資材を…せっかく津波で流されたものをそろえたのに、全て流されてしまって…。津波の時は“まだ何とかなる”と思ったけど、心のダメージは台風のほうが大きかったですね。やっぱり結婚して子どももいるし、これはもう頑張るしかないと思って…。昔から、仕事となれば家族全員が浜にいるので、自然と浜辺で飯も食ったり、本当に小さい時から海に親しんでいました。ここで生きていくには、やっぱり漁師しかないと思って…。どっかに行きたいって思うことはなかったです」

野田村の下安家地区は、番組でも“台風10号特別編”で取材しました。安家川が氾濫し、家屋は人の背丈以上も浸水し、山から流れてきた膨大な量の木が、橋に引っかかっていました。そんな中でも、男性の父親は、一切弱音を吐かず、つらい顔も見せずに養殖の復旧にあたったそうです。そんな父親を、男性は“尊敬している”と言いました。父親も、とにかく息子を漁師にしたくて育ててきたそうで、こうした家族のつながりは、どんな災害が起こっても奪われない“財産”だとつくづく思います。

最後に、開店から1周年を迎えた、村内のイタリア料理店に行きました。地元で採れたワカメとホタテのリゾットが、一番人気だそうです。

3月23日放送 「若者子ども編・岩手県」

シェフは村出身の20代の女性で、東京の有名店でシェフを務めていましたが、震災後に親が病気になり、一緒に暮らすために村へ戻りました。去年、食材の調達をきっかけに知り合った漁師さんと、出会って7か月という“スピード婚”で結ばれました。店ではご主人が育てたホタテを使っています。“ホタテがつないでくれた縁ですね”と笑いました。

「震災後に野田の食材を食べた時に、“ああ、野田の食材ってすごいおいしいな”と、他に負けない食材だなと思って、改めて惚れ直して…。やっぱり、ちっちゃい頃から自分を育ててくれた人たちが作っているものだと分かるし、そういう人たちが一生懸命汗を垂らしながら頑張っている姿に、おいしさが出ているなと思います。この店を始めて、ほんの少しでも村の人の笑顔を作れたのかなって思います」

女性は、野田村ではなく、一定の人口がある隣の久慈市や盛岡で店をやってはどうか?とすいぶん薦められたそうです。それでも震災後、親と一緒に暮らしたいという思いにこだわりました。結果、今はお母さんが店で接客しています。シェフとして食材に恵まれ、パートナーにも恵まれ、被災地で幸せをつかんだこの女性。 彼女が“良き先例”となって、きっと下の世代へ刺激を与えることでしょう。

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