キャスター津田より

9月14日放送「岩手県 陸前高田市」

 いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます。
 今回は、岩手県陸前高田(りくぜんたかた)市です。震災では約1700人が犠牲になり、全壊・大規模半壊した建物は3200棟を超えています。陸前高田市では、被災地最大の土地区画整理事業が行われ、山を削って宅地を造成し、そこで出た膨大な土砂を巨大なベルトコンベアで平地まで運んだうえ、かさ上げ工事に使いました。
例えば中心部の高田地区では、186haのうち87haが最大12mかさ上げされ、そのうち6~7割の土地は利用が決まっていないものの、2年前に大型商業施設がオープンし、隣には市立図書館もオープンしました(来館者は今年3月で25万人)。近くには、商店主が協力して建てた共同店舗や個人店舗も着実に再建されており、4年前に集団移転先の造成が、2年前には災害公営住宅の整備が終わっています。
しかし、土地の造成を待てずに転出する市民も相次いで、国勢調査ベースでは、人口は震災前より15%減少しました(現在の人口は約2万)。

 

 はじめに、市役所の近くにある高田地区大石(おおいし)集落に行きました。

9月14日放送「岩手県 陸前高田市」

 155戸あった集落も、 震災後は40戸ほどに減っています。ここでは、集落の絆を深めようと半世紀ほど前に始まった、“虎舞(とらまい)”という小正月行事が受け継がれており、スタイルは一般的な獅子舞と変わりませんが、獅子ではなく、虎をかたどっています。虎舞の道具は流失を免れ、震災翌年には行事を再開し、仮設住宅で舞って住民を元気づけたそうです。

9月14日放送「岩手県 陸前高田市」

以前は50人ほどだったメンバーも、震災後は10人足らずになりましたが、メンバーの40代の男性はこう言いました。

 「せっかく道具、頭(かしら)もあるので、途切れさせないで、やれるうちはやろうと…。やって良かったなと思います。ずっと続けてくることができたので、自分がやれるうちは続けて、途切れさせることなく、次の世代につなげていけたらいいと思います」

 虎舞の保存に尽力してきた70代の男性は、こう付け加えました。

 「私の若い頃、こういうふうに集落の行事に参加したあの頃に…あのくらいの人数、各世帯が増えて、元に戻ればいいと思っています」

 その後、中心部から15km離れた広田(ひろた)地区に行きました。田んぼの近くで、70代の農家の男性2人に聞くと、栽培しているのは陸前高田市のオリジナル米“たかたのゆめ”で、震災翌年から作付けしています。

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 大手の民間企業が研究費をかけ、独自に開発した品種ですが、農業の復興支援として、企業が種もみを無償で提供しました。市内で作付けされた田んぼの約8割は、津波をかぶって土を入れ替えた田んぼで、昨年度は44戸の農家が栽培し、収量は206tです。冷めても固くならず食味も落ちないと実証されており、9月22日にオープン予定の“道の駅・高田松原”でも販売されます。

 「震災当時、我々の田んぼの整備なんかにお金をかけて工事をやってくれるか、ずいぶん心配したんですけど、立派な田んぼができて何とかやっています。独自のコメなので、市全体がコメ作りを通して元気になるように、取り組んでいるところです。みんなに食べていただいて、ファンがいっぱい増えるよう、思いを託したいです。どんどん売れれば農家収入も増えるので、期待しているところです」

 さらに、同じ広田地区にある長洞(ながほら)集落にも行きました。津波で60戸のうち28戸が全壊しましたが、地域の絆が強い土地柄で、被害の少ない家で共同生活しながら乗り切ったそうです。集落の中にある高台に自分たちで土地を確保し、集団で移転しました。
この集落では震災伝承に力を入れていて、小学生から社会人まで、積極的に受け入れています。昼食作りなど、住民との交流もあるそうです。集落の住民で、60代のある男性は、被災した自宅を私費で維持し、中で写真などの津波資料を公開しています。被災体験を元にした特別授業も行っていて、この日は県南部の小学生たちが訪れ、“自治会に加入しない世帯にも支援物資を配るべきか?”など、男性は具体的に問いかけていました。

 「子ども達の中に、防災の知恵、生き抜く知恵が少しずつできているなと、今日は実感させられましたね。私自身、地域の祭りやコミュニティーに関わることで、生き抜く力を学ぶことができ、生きる力が育まれていたんだということを、震災を経験してつくづく感じさせられています。その思いを子どもたちに、その学びを子どもたちに、きっちり伝えていきたいと思っているんです」

 そして、再び中心部に戻り、長男を亡くされた50代の女性から話を聞きました。今年4月、中心市街地から高台へつながる道が開通しましたが、高台までのルートを分かりやすくしようと、道路沿いにハナミズキを植樹する活動が進行中です。女性はその活動の中心となっている方で、長男は指定避難所だった市民会館に避難しましたが、その市民会館が津波にのまれました。ハナミズキの花言葉は“私の想いを受けてください”です。息子を亡くした悔しさを知ってほしかったとのことです。

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 「長男が避難所に来たんですけど、そこで私に“御無事で何より”と声をかけてくれました。“当たり前じゃない”ぐらいの感覚で、避難所に逃げてきたので私は安心して、一人で高台の自宅に向かったんです。頭の中に津波の意識がなかった…息子に詫びる気持ちと、自分の至らなさに悔しい気持ちをずっとずっと持ちながら、泣いていました。恥ずかしいですけど、こんな母親がいてはだめなんです。この先、繰り返しちゃだめだという思いで、“高台はこっちだよ”と、避難路をハナミズキで明示しているんです。繰り返さないように、命を守る術として伝えていきたいという、思いのこもった道です」

 陸前高田市には、国や県が“高田松原津波復興祈念公園”を整備し、中には、屋上まで浸水した旧気仙(けせん)中学校の校舎、外壁が大破した旧道の駅など、5つの震災遺構があります。さらに市も加わって、被災者の証言などを紹介する津波伝承館も整備されます。8年半が過ぎ、長洞地区の男性やハナミズキを植える女性のような“個人”のレベルで、あるいは国、県、市といった行政のレベルで、復興に関心を持つだけでなく、教訓を後世に残す社会的責任をどう果たすかが問われています。

 

 その後、中心部から10km離れた小友(おとも)地区で、5年前に会った60代の男性を再訪しました。自宅を流され、その跡地に自力でプレハブ住宅を建てて暮らしていた方です。市によれば、移転先の高台の土地を購入するまで、自宅跡地に住むことは可能です。当時、はっきりこう言いました。

 「これは仮住まい。今後は高台に建てるしかないんだね。来月あたりで造成が終わるようだけど…」

 あれから5年…。男性は今も、高台に移っていませんでした。妻と息子の3人でプレハブ住宅に住み、理由を聞くと、奥様が土地に強い愛着を持っており、何よりも、新築資金が足りないと言いました。

 「今年、体の調子が悪くて、サンマ漁に稼ぎに行けなくなったしね…。世間では、“あの家族、家を建てないのか”と思うだろうけど、見栄を張っても仕方ないから、とりあえずここの方が住みやすいなら、まあ、津波はある程度忘れてね、ここでもいいかと思って…。正直、今でも迷っている状態だけど、何事もなく、このままの状態でできればいい、それだけだね。欲を出してもしょうがないからね」

 さらに今回、市内に残る仮設住宅でも話を聞くことができました。陸前高田市では、現在も135世帯336人がプレハブの仮設住宅に暮らしていて、スタッフが訪ねた滝の里(たきのさと)工業団地にある仮設住宅では、6割が退去し、現在 34世帯が暮らしています。

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ここに住む60代の男性は、自宅を流され、90代の母親と2人で暮らしていました。土地区画整理事業により、高台に代替地を用意されましたが、2年前に脳梗塞になって左半身に麻痺が残り、働くことができません。つまり、土地はあっても住宅ローンが組めないのです。災害公営住宅に入るしかないと感じていますが、複雑だと言います。

  「再建のめどはつきませんし、とはいえ災害公営住宅といっても、母も私もあまり入りたくない…コミュニティーがあまり良くないって話をずいぶん聞くんですよ。仮設よりも孤独になってしまう感じがすると言っていましたね。近所のお付き合いが少ないというか、お隣が誰だかは分からないような…。仮設だと、みなさん気軽にあいさつしたり、窓越しに話ができる状態ですけども…。とにかく仮設では、皆様のご支援、何もないところからいろんな物をいただいて、本当に直接、お返しできたらと思っているんです。ただこのような状態ですので、お許しくださいという感じです。本当にありがたくてね」

 放送から8年半が過ぎ、被災地で会う方々は、家を再建した人や、災害公営住宅に住む人がほとんどです。宮城県では複数の自治体で、仮設住宅から全員が退去して数年以上経ちました。スタッフも今回のような取材は久しぶりで、男性が指摘する災害公営住宅だけでなく、今いる仮設住宅でさえ、退去者が増えてお互いに目が届く関係は薄れています。生活再建に課題を抱える方々への視線は、改めて大事だと気づかされます。

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