東北大学 黄色い消火栓の謎
今回寄せられたのはこちらの質問です。
「東北大学(川内キャンパス)の消火栓はなぜか黄色です。赤じゃない理由を調べてほしいです。」
確かに消防車も赤ですし、消火栓も赤のイメージがありますが、一体なぜ黄色なのか。
ニュースサイト編集長の安藤歩美さんと一緒に、黄色い消化栓の謎を調査してきました。
実物を見に行ってみた!
早速黄色い消火栓があるという、東北大学・川内キャンパスを訪れました。
探してみると…本当に黄色い消火栓を発見!
かなりさびて古そうです。1952年の表記があり、70年ほど前のものでしょうか。
なぜ黄色なのか。学生に聞いてみると…「なんでだろう」「全然分からない」という反応でした。
東北大学史料館で意外な真実が判明!
さらなる手がかりを求めて、東北大学史料館へ。東北大の歴史に詳しい加藤諭准教授に聞いてみると、
加藤准教授:
「川内キャンパスができる前の1945~1957年には、アメリカ軍のキャンプ、駐屯していた基地が置かれていました。黄色い消化栓はまさにアメリカ軍のキャンプがあったときのものです。」
黄色い消火栓は、大学ができる前にアメリカ軍が設置したものだと判明しました。
つまり、当時アメリカ軍のキャンプがあったので、アメリカ軍が作った黄色い消火栓が残っているということでした。
加藤准教授の調べによると、川内キャンパスの南側に少なくとも5つ当時の消火栓が残っているそうです。
東北大学川内キャンパスの歴史
歴史を遡ると、川内キャンパスの土地は江戸時代、仙台城の二の丸だった場所。
明治維新後は国の土地となり、陸軍第二師団の司令部が置かれました。
そして終戦後、司令部の跡地に、アメリカ軍の駐屯地「キャンプ・センダイ」が作られました。
今回、貴重なキャンプ・センダイ内の消防署の写真が見つかりました。
消防車の横に、確かに黄色い消火栓が写っていました!
アメリカ軍は12年間、キャンプ・センダイに駐屯しました。
その後東北大学のキャンパスになった後も、アメリカ兵たちが暮らした宿舎などはしばらく校舎として使われました。
大学では米軍の建物や設備を利用していました。
例えば米軍のチャペルは、昭和40年代半ばまで講義室として使われたそうです。
加藤准教授:「米軍キャンプ時代の建物は現存していませんが、消火栓はおそらく上に建物がたつこともなく、残って現在に至ったのだと思っています。」
黄色い消火栓はアメリカ軍がいたころの面影を今に伝える、貴重な歴史遺産なのでした。
さらに調べてみると…
他にも調べたところ、東京・府中の公園や、宮城・多賀城のまちなかにも、黄色い消火栓があるそうです。
いずれも米軍の基地や施設、米軍家族の住宅などがあった跡地だそうです。
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