大相撲 新十両 栗原市出身・時疾風とは【髙木優吾アナ】

大相撲中継の実況を担当しているアナウンサーの髙木優吾です。

3月29日に夏場所の番付編成会議が開かれ、時津風部屋の時疾風(ときはやて・栗原市出身)が、新十両に昇進することが決まりました。宮城県出身力士としては、平成7年名古屋場所の五城楼以来、28年ぶりの快挙です。私は時疾風が入門した4年前から取材を続けてきました。春場所前には「今場所で決めます」と話していた時疾風。有言実行で関取になる夢を叶えることができました。時疾風とはどんな力士なのか、詳しく解説します。

【左四つの型 正攻法の相撲】

時疾風は平成8年生まれの26歳。大関・貴景勝や阿武咲、錦富士や翠富士も同学年です。特に阿武咲や錦富士は同じ東北出身ということで、昔から合宿などで切磋琢磨してきました。小学2年生の時、地域の相撲大会に出場したことがきっかけで、バレーボールやサッカーなど、ほかのスポーツと並行して相撲を始めました。

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地元・栗駒中学校へ進学してからは本格的に相撲に取り組み、小牛田農林高校時代には、全国高校総体で個人3位に入るなど、実績も残しました。東京農業大学に進学してからは、団体戦などでも活躍しています。時疾風が高校時代から磨いてきたのが「左四つ」の型です。右上手を取れば万全です。大相撲でも大きな相手に対して胸から当たる立ち合いで、組み止めて勝つ相撲を続けてきました。新十両の場所でも、持ち味の左四つの相撲で白星を重ねることが期待されています。

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(得意の左四つ右上手)

【新十両を決めた要因 “体を大きくしたこと”】

過去2回、新十両のチャンスを逃した時疾風。春場所は東幕下3枚目の自己最高位タイで臨みました。3勝3敗で迎えた最後の相撲は、十両の土俵で栃武蔵関との対戦でしたが、立ち合いですぐに右の上手をつかむと、そのまま攻め続けて勝ち越しを決めました。新十両をつかみとることができた要因の1つが「体を大きくしたこと」です。時疾風は高校時代から太りにくい体質に悩んでいました。 

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(高校時代の時疾風)

入門時は体重が120キロなかった時疾風。相手の圧力に負けない体を作ろうと、この1年は体重を増やすことに取り組んできました。夜食を増やし、稽古後に白米を多く食べるようにしたことで体重が130キロ近くまで増えたということです。その効果を時疾風本人も口にしています。

時疾風
「体が大きくなったことで、立ち合いの踏み込みが良くなった。押す力もついてきた。重みが出てきた部分が本場所でも生きたと思う」


【母親や恩師も祝福 「ここからが勝負」】

栗原市に住む母親の路子(みちこ)さんは、新十両昇進が決まった日の午前中に、本人から電話で知らせを受けたということです。「良かったね」と喜びを伝えたということで、路子さんは周りへの感謝と母親としての思いを口にしていました。

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母:路子さん
「これまで指導していただいた方に感謝しています。先生方の指導があって、今の秀喜(時疾風の本名:冨栄秀喜/とみえ・ひでき)があります。夢だった新十両が決まって、本当に良かったと思いますが、上に上がると大変なので体だけが心配です」

 高校時代の相撲部の恩師、伊藤裕之(ひろゆき)さんにも話が聞けました。時疾風は高校時代、団体戦では最後に登場する“大将”として活躍し、大将戦までもつれても、必ず勝ってくれる安定感があったそうです。さらに時疾風は部活だけではなく勉強も怠らず、文武両道を貫き、ほかの生徒の模範になっていたということです。恩師の伊藤さんにも本人から報告があり、伊藤さんはメールで「謙虚な姿勢とさらなる向上心により、相撲道に美学を貫いてください」と送ったところ、時疾風から返信がありました。時疾風らしい実直な性格がうかがえる内容です。

時疾風 メール文面
「おかげさまで十両昇進することができました。気を引き締めて稽古します」

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(高校時代の恩師・伊藤裕之さん)

伊藤さんは、今後の時疾風への期待も話していました。

伊藤裕之さん
「小さいながらも仕切りの美しさ、真っ向勝負で逃げない相撲が彼の魅力なので、相撲に美学を貫いて欲しい」


【新十両昇進会見Q&A 「宮城を少しでも元気づけたい」】 

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――新十両昇進を果たした気持ちは?

(時疾風)うれしい。ドキドキもあるが、ここからだという気持ちがある。番付を上げたい一心でここまでやってきて、今後は応援してくれる人も増えると思うし、地元からの応援もあると思うので、一番一番大切にとっていきたいなという気持ちがある。

 ――春場所は東幕下3枚目だったが、どんな気持ちで臨んだのか?

(時疾風)意識すると固くなると思っていたので、気持ちの面ではあまり意識しないようにしていた。ただ、最初は体が固かったと思うし、緊張もあった。自分の相撲を取り切ろうと、途中から気持ちを切り替えたことが良かったと思う。勝ち越しを決めた一番は、受けにまわらずに自分から攻めることができたので、理想の相撲がとれた。あの相撲がとれれば、これからも勝てるかなと感じた。

――宮城県からは28年ぶりの新十両。どう捉えているか?

(時疾風)そんなに間が空いていたのは知らなかった。宮城も震災とかあったので、これで少しでも盛り上げられたら良いと思う。

――東日本大震災については胸にあったか?

(時疾風)あった。震災は中学2年生の時だったので、次の日が卒業式で準備をするために体育館にいた。すごく揺れて外に出たのを覚えている。親戚や知り合いに被害はなかったが、自分の家も物が散乱していて、電気や水道が1ヵ月以上も止まった。津波で被害にあった地域を見に行ったりもした。相撲で宮城を元気づけられるかもしれないという気持ちが当時から頭の片隅にあった。

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――地元の子どもたちにはどんな姿を見せたいか?

(時疾風)あきらめずにやれば結果はついてくるということと、体が大きくなくても頑張れば結果が出るということを伝えたい。

――刺激を受ける存在は?

(時疾風)同学年はみんな意識するが、中でも錦富士関は中学や高校と合宿を一緒にやってきて、大会とかでも対戦したので意識する。翠富士関も土俵を盛り上げていたので、悔しさはあった。早く追いつきたい。

――新十両として臨む夏場所の目標は?

(時疾風)勝ち越しはもちろんだが、自分の相撲をとりきること。それができれば結果もついてくると思う。相手は体が大きいが、体重も増やして、当たり負けしないように、これから精進していきたい。

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(地元・栗原市役所入口付近には横断幕)

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(地元で新十両昇進を報告する時疾風)