福原愛さんインタビュー、会社設立で恩返しを

2月10日(水)放送の「ゴジだっちゃ!」では、元卓球選手の福原愛さんに電話でご出演いただき、新会社の設立にかける思いなどをお聞きしました。

出演者
福原愛(元卓球選手、株式会社「omusubi」代表)
杉尾宗紀(「ゴジだっちゃ!」パーソナリティ)
名雪祥代(サックスプレイヤー、「ゴジだっちゃ!」水曜レギュラー)

目次
新会社「omusubi」の設立にかける思い
このタイミングで新会社を設立した理由
被災地となった故郷への思い
中国での活躍とその原動力
コロナ禍での子育てと家事
これからの活動について

杉尾)東京からご出演いただきありがとうございます。

愛さん)こちらこそありがとうございます。

杉尾)福原愛さんは仙台の吉成小学校のご出身で本当に身近ですよね。

愛さん)はい、吉成小学校に通っていました。

杉尾)それから大阪に転校なさって、その後は青森山田中学校・高等学校へと進学されました。そして、オリンピックは4大会連続出場して銀メダルと銅メダルを1つずつ!すごいですよね。

愛さん)いえいえ、ありがとうございます。

杉尾)私の年齢は60歳を過ぎて昭和の男なのですが、愛ちゃんといえば「泣き虫天才卓球少女の愛ちゃん」のイメージです。

愛さん)はい、でも私も昭和の女なので(笑)。昭和63年生まれです。

名雪)私たちからすれば本当に小さな頃から卓球台と変わらないぐらいの身長で、こんなにラリーが続けられるんだ。すごい!という感じでついつい愛ちゃんと言ってしまうんですよね。

愛さん)本当に小さな頃から皆さんに温かく見守って頂いて、今日こうして宮城県や仙台の方に直接お話を聞いて頂けるという事でとても光栄な機会をありがとうございます。

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杉尾)きょう(2月10日)はニュースがありまして、NHKでも朝から伝えています。そのニュースを紹介させていただきます。

<NHKニュース>
オリンピックの卓球で活躍した仙台市出身の福原愛さんが、卓球の普及に取り組む新たな会社を設立し、子どもたちが夢に向かう環境をつくりたいなどと設立のねらいを発表しました。福原さんが設立したのは自身が代表を務める株式会社「omusubi」と言う会社です。きょう(2月10日)の早朝に会社のホームページを立ち上げ、設立を明らかにしました。福原さんは新たに会社を設立した事でより幅広い取り組みを実現したいとしていて、まずは宮城県で子ども向けの卓球大会「愛ちゃんカップ」を開催することや、県内の障害者福祉施設に卓球台を寄贈することなどを計画しているということです。

名雪)おめでとうございます!この「omusubi」という文字ですが、とてもキュートできっと色々な意味や思いが詰まっているんですよね。

愛さん)はい。おにぎりは小さい頃からずっと母に作ってもらっていまして、アスリート時代の捕食でもありまして、食べると「よし、頑張るぞ!」という風に気持ちを新たにして。派手な料理ではないんですが、お腹も満たされますし、安心感がある、そんな存在になっていきたいなと。あとは3歳から卓球をずっと続けてくることができたご縁を結ぶという2つの意味を込めて「omusubi」という社名をつけさせていただきました。

杉尾)おむすびは現役時代の試合直前や試合中にも食べられていたんですか。

愛さん)はい。現役時代もどこに行くにも炊飯機を持ち歩いていました。その炊飯器でおむすびを作って配ったり、後輩達と一緒に食べたりとか、

名雪)なるほど。「omusubi」にはそのような意味が込められているのですね。そして、ニュース原稿によりますと宮城県で子ども向けの卓球大会「愛ちゃんカップ」を開催するのですね?

愛さん)本当は去年開催できればいいなと思って計画をしていたんですが、コロナの影響でちょっと延期になってしまっているんですけれども、絶対に開催をしたいなと思っています。

杉尾)「愛ちゃんカップ」を開催したいというモチベーションは分かりますが、どうして会社を設立しようと思われたのですか?

愛さん)選手時代はやっぱりすごくトレーニングや練習がきつかったりするんですけれども、でも自分が結果を残す事によって本当に周りの方に喜んで頂けて。大変ですけどこれ以上幸せな事ってなかったんだなっていうふうに思ったんですね。こう自分が頑張るだけで周りの方が喜んで下さるということが現役を引退してからはなかったので、すごく幸せな環境にいれたんだなということを実感しまして。この2、3年は子育てなどで日々をこなす事で精いっぱいだったのですが、生活にもちょっとずつ慣れてきたり。娘も3歳になりまして、自分の中でも心の余裕が少し出てきていた時に、自分の未来とか自分の子どもたちとか次世代の選手たちの未来を考える時間が本当に多くなりました。どういう事をすれば、選手ではない立場として恩返しができるのかなということを考えた時に、いろいろな方にお話を聞かせて頂きました。ずっとトレーニングコーチだった中野ジェームズ修一さんや、元陸上選手の為末大さんなど色々な方にお話を聞かせて頂いて、まずは会社を設立して、やっていくのが一番いいのではないかと。恩返しといいますか、今までは選手として明るいニュースを届けるっていうのが自分の中ですごく大きな目標だったのですが、今度は心が温かくなるようなニュースをお届けできればなと思っています。

名雪)タイミング的にはなぜ今なのでしょうか。

愛さん)世界中がこのような大変な状況のなか、今なのかとすごく考えました。今ちょうど卓球台を作る事にも取り組んでいまして、きっかけというのが卓球が3世代でできる数少ないスポーツだと思うんですね。

杉尾)温泉場に行くと昔から欠かせませんからね。

愛さん)私も4歳の時に92歳のおばあちゃまとラリーをしたことがありまして、でもなかなか卓球台は日本だと家の中に無かったりして。あとは、あったとしてもそれが頻繁には使われていなかったり。また、ハンディキャップがある方だとなかなか一緒にやれなかったりということがあります。私の母が今車椅子で生活をしておりまして、一緒に生活をするなかで卓球が大好きだった母がいかに大好きな卓球ができるようになるのかな、コロナ禍という状況で「おうち時間」を楽しんでもらえるのかなとかそういった事を考えまして、今なのかは本当に最後の最後まで、悩んだのですが、決断させていただきました。

名雪)でも、この「omusubi」設立というニュースを見たとき、パーッと明るくなったような感じがしました。実は私の父は82歳で現役で今卓球やっています。サークルで60歳ぐらいから80歳後半ぐらいまでの方々みんなで楽しんでいるみたいです。まさに愛さんがやりたいなと思っておる事ですよね。

愛さん)本当にボーダレスにお子さんから高齢の方、そしてハンディキャップを抱えた方、本当にたくさんの方がいろいろな形で卓球を楽しんで、幸せを感じてほしいなという気持ちがとても強くなりました。

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杉尾)なぜ今このタイミングかと伺ったのは、実は今年がちょうど震災から10年というタイミングでもあったからです。震災から10年ということに対する思いもありますよね。

愛さん)私の中では10年というタイミングは全くなくて。1年目でも2年目でも本当に変わりはなくて。ただ10年前の当日、中国の広東省で世界選手権に向けて合宿を行っていたのですが、チームメイトから「愛の故郷が大変なことになっているよ」という話を聞いて、練習が終わって急いで宿舎に戻って、信じられない光景とかその当時の事を今でもはっきりと思い出せますし、震災から10年だからこの会社というわけでは全くないです。

杉尾)311のあの日からもずっと思いを持ってやって来られて、その途上でこの会社があるという事ですよね。

愛さん)はい。今までは結果を残して故郷でもある被災地になってしまった皆様のもとに明るいニュースを届けると思っていたのができなくなってしまったので、また選手ではない立場で少しでも楽しみに待っていただけるような活動をして、少しでも元気とか勇気とかをお届けできればなっていうふうに考えています。

杉尾)これまでも福原愛さんが今こうしているという情報はいろいろ入ってきています。もちろん、オリンピックでのメダルもそうですし、中国の卓球のリーグに出て、中国でもすごく流ちょうな中国語を覚えられて中国でも人気が出たという。その努力というか、この人すごいなと思っていましたが、そういう事ができる原動力は何なのでしょうか。

愛さん)本当に私は周りの方に恵まれているという感謝の気持ちでいっぱいなのですが、原動力は皆様に少しでも喜んで頂きたいというのが信念にあります。現役時代も自分のためにプレーをした事が結局最後までありませんでした。頑張ったり結果を残す事によって喜んでいただきたいというのが私にとって一番の原動力だったので、パワーを少しでも届けたいというのが原動力なのですが、逆に、被災地にお邪魔したときは私がパワーを頂いたりしてしまい、申し訳なく思っていたのですが、パワーをお伝えしたいというのが一番の原動力になっています。

杉尾)中国語はどうやって覚えられましたか。

愛さん)コーチが中国の方で、日本語がお話しできなかったので、最初から中国語で話していました。座学ではなく耳で覚えた形なので、最近だと読めるようにはなってきましたが、書くとなるとやっぱりまだちょっと難しいので携帯で入力をしてそれを見ながら書いています。

杉尾)台湾でご主人とお子さんと一緒にいらっしゃいますけれども、行ったり来たりですが。そうやって耳から覚えたんですね。ほんとに中国でもすごい人気だということが色々な情報で入ってきて。そのパーソナリティーはやっぱりすごいなと思いますね。

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杉尾)さあ、そしてご結婚なさって。ご主人と3歳の女の子、1歳の男の子のお母さんいう事ですが、まだまだ子育て真っ盛りという感じですよね。

愛さん)ただ言葉が通じるようになりすごく楽になりましたね。

名雪)台湾と日本との行き来が沢山ありますから、その中でのご苦労もありますよね。

愛さん)はい。コロナ禍になる前は行ったり来たりという生活がすごく多かったです。

杉尾)「omusubi」という社名じゃないですか。ご自身のお子さんに作ってあげるおむすびは、どんなおむすびなんですか。

愛さん)栄養面を考えて、小さい子は小さいおむすびを作ればみんなパクパク食べてくれるんですね。なので、私の場合はもうひき肉を入れたりとか、鶏五目にしたり、小松菜を入れたりとか、色とか形とかできるだけ変えて、飽きないで楽しく栄養をとってもらえるように作っています。

名雪)愛ちゃんがお母さんになってる!

杉尾)話を伺っているだけで料理がとても上手なように感じます。世界中に炊飯器を持って行っていましたもんね。

愛さん)ヨーロッパにはまな板とかも持って行っていたので、マッサージの先生に何でまな板が入っているの?と聞かれたり。食材を切るのに近くのスーパーを探したりとかして。炊飯器で煮物を作ったりしていたので、すごく不思議に思われることが多かったです。

名雪)そういう話は中々伺えないから嬉しいですね。

杉尾)会社も設立されて、これからどういう形でいろんな事に向き合っていこうと思っていらっしゃいますでしょうか。

愛さん)現在は具体的な活動に移れるように整えている段階なんですが、先ほどお話させていただいた通り、コロナが落ち着いてきたら「愛ちゃんカップ」を開催したり、あとは卓球台とかを作って寄付できるような形を整えていけたらいいなと思っています。

杉尾)障害のある方やお年寄りでも楽しめる特別な卓球台を作りたいっていう事なんですよね。

愛さん)リオオリンピックでも使用された三栄さんという卓球のメーカーがありまして、一緒に卓球台を今作っている段階です。

杉尾)何が違うのですか。

愛さん)形も高さも大きさも丸っきり違います。

名雪)それがいつか宮城県で見られる日が来るのですね。

愛さん)もちろんです。今まで25年間卓球やっていたことって社会人としてはそこまで、役に立たないことが多いのかなっていうふうに思った事もあって。私が経験させて頂いた事って多分ちょっと違ったりとかするので、そういったことを活かして、皆さんのお役に立てるような活動をしていきたいなっていうふうに考えています。

名雪)本当にいい方ですね。常にポジティブですよね。いつも前向きに考えてらっしゃいますけれども、それって何かこういつも気にされている事はあったりするんですか。

愛さん)いや、私もものすごく落ち込みますよ。今回の会社を一緒に二人三脚で頑張っていこうと。学校の同級生と。そういった方に話を聞いてもらったり、あとは悩むのではなく解決策を探すっていう方向に行くようにします。

杉尾)本当に今日はいいお話、沢山ありがとうございました。

愛さん)こちらこそありがとうございました。

杉尾)今日発表された株式会社「omusubi」代表の福原愛さんに話を伺いました。