【キャスター津田より】11月5日放送「福島県 大熊町」

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 今回は、福島県大熊町(おおくままち)です。人口は約1万で、事故を起こした福島第一原発が立地し、県内の除染で出た土などを保管する中間貯蔵施設もあります。96%の町民の自宅が、放射線量が高い帰還困難区域にあり、全町避難しました。帰還困難区域を外れたのは、大川原(おおがわら)地区と中屋敷(ちゅうやしき)地区の2地区だけです。

2019年4月、その2地区で避難指示が解除されました。大川原地区には役場庁舎が新設され、近くに災害公営住宅や賃貸住宅が100戸あまり整備されました。役場の周囲には福祉施設や商業施設も建てられ、福祉施設の中には高齢者グループホームや町立診療所(診察は週1回)があります。商業施設には、飲食店、コンビニ、電器店、美容室などが揃い、大浴場付きの宿泊施設や駐在所も整備されました。小中学校3校を統合した小中一貫校の新校舎も役場東側に整備中で、来年夏に授業を始める予定です。

 さらに、今から4か月前の6月30日、帰還困難区域の一部(=町面積の約1割)で、避難指示が解除されました。震災前は町の中心部で、人口の半数超にあたる約6000人が住んでいたエリアです。JR大野(おおの)駅を中心に住宅地をつくり、商店や飲食店などを集めた商業施設を設ける予定です。誘致企業を集積する産業用地、廃炉関連企業の入居を見込む産業交流施設の建設も計画しています。今年7月には、ベンチャー企業の支援施設もオープンし、36の企業や団体が入居しました。解除に先行して、2020年からコメの試験栽培も始まっています。
しかし約1万の人口のうち、他市町村に7700人余、他の都道府県に2200人余が暮らし、町内居住者は395人、東電社員など住民登録のない人を含めても936人(推計)に過ぎません(10月1日現在)。

 はじめに、下野上(しものがみ)地区の畑を訪ね、震災前に大熊町で農業をしていた人から話を聞きました。サツマイモの収穫中で、将来の出荷を見据え、去年から試験栽培しています。会津若松(あいづわかまつ)市で義父、息子夫婦、孫と暮らす70代の女性は、自宅が中間貯蔵施設の敷地に入り、土地は環境省に売ったと言いました。すでに先祖の墓も会津に移したそうです。

「帰りたくても、(土地が)無いから帰れないし…。でも、うちの94歳のおじいちゃんは、文句一つ言わずに会津で生活しているよ。私は元の土地で農業ができなくなったから、戻れる土地がある人は早く戻って、農業を復活していただきたい…。でも戻ってくる人は高齢者で、若い人は避難した先で仕事しているから、戻って農業やるっていうのは なかなか難しいと思っているんですけど…」

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 その後、今年2月にJR大野駅前にオープンした地域活動拠点を訪ねました。避難先から町に来た人が気軽に訪れて語らう場となっており、マルシェやワークショップなどの催しも開いています。運営スタッフは楢葉町(ならはまち)から通う50代と40代の夫婦で、施設にふらっと立ち寄る人も増え、知り合いと久しぶりに再会するのが楽しみだと言いました。奥様の実家は避難指示が解除されていない野上(のがみ)地区にあり、いつか両親とともに家に戻れば、年老いた両親も元気になると信じています。

「よく言われるんです。大熊は解除したんだから、大熊に住めばいいじゃんって…。でも、私の家は野上です。家があるのに、何でわざわざよその地区に住まなきゃいけないんだって思いますよね。まだ希望があるので、絶対自分の家に帰る…よその地区に住む理由はありません。6月30日の避難指示解除が、本当に第2のスタートみたいな…着地するのはまだまだ先ですけど。1日でも早く戻るためにはいろんな情報が必要で、ここは情報が入ってくるので、本当にいい所で働かせてもらって感謝しています」

 さらに、町から約130キロ離れた、会津(あいづ)地方の喜多方(きたかた)市に行きました。ここには約40人の大熊町民が暮らしています。以前取材した70代の夫婦に再びお会いしようと、2人が経営する、震災翌年に開業したリサイクル工場を訪ねました。10年ぶりですが2人ともお元気で、喜多方に新たに構えた自宅に暮らし、経営も順調です。以前、ご主人はこう言っていました。

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「大熊に戻るという考えがあっても、会津地区で事業再開して5年、10年たったら、生活の基盤が会津になるんですよ。私らの地区、原発から2㎞圏内ですが、もう帰れないと、5年じゃなくて10年、20年、無理ですよと、はっきりした言葉を出していただきたい」

 今回、10年ぶりにお会いして改めて当時の気持ちを尋ねると、奥様は“何も考えたくなかった。考えるといろんなことが重なって、頭がパニックになっちゃうから”と言いました。大熊町で経営していた工場は、今も避難指示の解除が未定です。よく大熊の自宅を見に行くそうで、奥様はこう言いました。

「大熊の工場の建物はあるんですけど、仕事をしていた状態そのままだから、草から何からいっぱいで、散らかって手の施しようがないから、使うことはできないと思います。今はもう、喜多方の生活は違和感ないですね。私は仲間と卓球したり、バドミントンしたり、お父さんはカラオケの会に入ってね。私も4月から入れてもらったんです。会津の人って、悪い人いないですよ。みんなあったかい人。ただ、こっちにいる時は何ともないんですけどね、向こう(大熊町)に行くと何か寂しくなるね…」

ご主人は隣で深くうなずきながら、“大熊の家に行くと、箸1本でも持って帰りたい気持ちになるんです…何だか知らないけどね”とこぼしました。多くの町民には避難して建てた家があり、避難して得た仕事もあり、その地に子どもの学校もあり、親しい隣人や商売相手もいます。一朝一夕には動かしがたい様々な生活事情が重なり、避難指示が解除されても全く帰還に現実味を感じないのが実態です。

 その後、大熊町に戻り、大川原地区で5年前に取材した60代の男性を再び訪ねました。以前は避難指示解除の前で、日中のみ立ち入りが許可されていました。男性は避難中に雨漏りのひどくなった自宅の解体を決め、畑だった場所に家を新築済みでした。週末になると、避難先のいわき市から1時間かけて新居に通っていて、当時はこう言いました。

「帰って来たい人たちのためには、家を建てて良かったと思います。やっぱり誰かが先駆けて行動を起こさなければ、次についてくる人たちもいないと思いますので。やっぱり、ふるさとですから…」

 その後、男性は父親と妻の3人で帰還しました。庭で家庭菜園を始め、90歳のお父さんが手入れしています。長男も次男も独立して家庭を持ち、最近、いわき市で就職した次男のところに初孫も生まれました。ただ、息子たちが大熊に戻る予定はないそうです。

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「あれから5年たったんですけど、役場も戻ってきて、復興住宅やアパートもずいぶん建ちまして、人は確かに増えたと思うんですけど、やはり、子どもがいないのが一番の課題と思っています。子どもの声だけが聞こえないもんですから…。来年度、小中学校が再開するんですけど、大勢の子どもたちで活気のあふれる町になってほしいと願っています。でも、何か矛盾しているんですよね。こんなことを言いながら、わが子には何とも言えないですから…切ないです。本来なら、大熊町で孫を育ててほしい気持ちもあるんですけど、なかなか一概に“戻ってきてくれ”とは言えないのが実情なので…。そこが一番、皆さんも思っている悩みの一つかと思います」

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 最後に大川原地区で、敷地内でたくさんの花を育てている家を見つけ、訪ねてみました。赤や黄色、紫など色とりどりに咲いているのは“ざる菊”という花で、一株から小さな菊が何本も花をつけ、きれいな半球状にかたまって咲きます。栽培しているのは80代の男性で、避難指示解除とともに夫婦で帰還しました。満開の季節になると、男性の家には避難先で知り合った町民が集まるそうで、この日も数人の女性たちが来ていました。いわき市から来た女性は、“私たちも大熊の空気を吸いに来るのが楽しみです。こういう所がないと、来る場所がないから”と言いました。町を訪れる人の心を少しでも明るくしようと、男性は震災後、町内の至る所に“ざる菊”を植え、町の景色に彩りを加えています。

「1年目は20株ぐらいだったけど、今は600~700株ぐらいあるかな。花は咲かせると、必ず人を呼ぶから。大熊の皆さん、早く帰って下さい。一緒に花で楽しみましょう。健康なうちは続けて、頑張っていきたいです。花を通して1人でも多くの方と知り合ったり、お付き合いできるのが楽しみですね」

 帰還した人たちには、当然ながら、町内にもっと人が増えてほしいという思いがあります。ただ、それを声高に語ることが“押し付け”になってはいけないと、気持ちを表に出せないもどかしさもあります。町が抱える課題の複雑さを象徴する、帰還した方々の声でした。