未来への証言 翌朝、防災対策庁舎で

今回は、宮城県南三陸町の高橋一清さんです。
高橋さんは当時50歳、役場の職員でした。
町の幹部をはじめ多くの仲間は防災対策庁舎にいましたが、
3階建ての屋上を超える津波が押し寄せ、
43人が犠牲になりました。
助かったのは、屋上のアンテナにしがみついた人など10人でした。
一方、高橋さんはそこから離れた高台にいて、
住民の避難誘導にあたっていました。
聞き手は、NHKアナウンサーの手嶌真吾です。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

高橋)もうすでに住民の方々も、結構避難していました。
で、住民の方と一緒に、次々上がってくる方々の様子を見ながら。
そうしているうちに、もう津波が襲ってきて。
橋を渡ってぎりぎりのバスを見ながら、
うわあ流れる!早く急げ!っていうような声をかけて。
もうあとは町が、津波にのみ込まれていく姿に、悲鳴を上げながら私も見ていましたね。
…本当に、信じられない光景でしたね。
夜明け近くになって、誰かが、「防災庁舎に職員が生き残っているかもしれない」
という話を言ったんですね。私はもう、完全にあの光景の中で、
防災庁舎どころか、もう町の職員は全滅したんだろうっていうぐらいに
ショックを受けていましたんで。その話を聞いた時に、
何か自分の中でも、行動すべきことが見えてきたっていう気がしましたね。
夜明けの後、防災対策庁舎に向かって走りだしたんですね。

手嶌)近づいていって、どうでした。分かったことというのは。
高橋)えっと、夢中で走っていったんですけども。
副町長の声が聞こえて。「おーい!」っていう掛け声と同時に、
「ここにがれき積んで、降りれるようにしてくれ!」って言われたんですね。

手嶌)庁舎の足下?
高橋)ええ、庁舎から階段を降りてこれるような状況じゃないのと、
後で分かるんですけども、本当に(庁舎の屋上で一夜を明かした人たちは)
体が冷えきっていて。何ていうかひざをかがむのも容易でないほど、
体が動きにくい状態でいたので。ですから私もその様子を見て、
とにかく、滑り台みたいに、がれきの長いやつを渡して、
それをするする、滑り降りる、ずり落ちながら、降りてこれるようにして。

手嶌)ずり降ろしていくといいますか。
高橋)ええ、ずり降ろしてくるみたいにして。
そこにいた10人の人全員を降ろして。
すぐ、「あの志津川小学校の高台に上がりましょう!」って。
走っていくつもりで声をかけたらば、もうよろよろして、
まっすぐ歩くこともできないな状態だってことに気付いて。
あと、やっぱはだしでいた人もいたんですかね。だからもう、腹を決めて。
とにかくこの人たちのペースで、志津川小学校まで
なんとか無事に上がれればいいなと思いながら、歩きだしたんですけどね。
その時に、1人の先輩が私の肩を抱いて、
「あんたの課長も一緒にいたんだけどもさ。残念だった」って言われた瞬間に
もう、現実を知って。私自身も何か自分の中で涙が出て止まらなかったですよね。
本当に、みな仲間たちでしたからね。