未来への証言 サーフィンの聖地の再起

今回は、気仙沼市でサーフショップを営む、鈴木優美さんです。
鈴木さんは、当時44歳。東北有数のサーフィンの名所・小泉海岸にあった店舗兼自宅を津波で失いました。
しかし、震災直後から海岸のがれき撤去などを行い、4か月後には店を再開しました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

鈴木)あの時間は、ちょうどお店の向かいのプレハブの中で、近所の奥さんたちとワカメの作業をしていました。
その時になんか揺れが始まって、「帰ったほうがいいね」って私言って、そのプレハブから外に出たんですね。そしたら、目の前のブロック塀が揺れたので、それを避けつつ向かいの店に行きました。
その時、空を見上げると「ゴー」という音が聞こえたような気がします。
で、もう長靴のまんま家の中に入っていって、まぁ、あまり何も考えずに貴重品のバッグを持って裏口から店に入りました。で、店のカウンターの物とか置物とか全部崩れてて、そうこうしてるうちに、橋を渡ってきた地元のサーファーが「川の水ないよ」って玄関から入ってきました。
でそれを聞いてもピンと来なくて、「へー」っていう言葉だけで。
店内のサーフボードとかあったんですけど、その若いサーファーが「何持ってくの」って私に聞くので「じゃ、そこら辺の」って言って。
自分はもう本当に頭の中、半信半疑で。「これは普通じゃないな」ってのは感じてんですけど、ま、そういう状況でした。
最終的に、そこからセブンイレブン、高台に行ったら、その時言われたのが「優美さんが店の中からでてきた。橋を渡ってた車の後ろにドンと津波が来ていた」っていうのはあとから聞きましたけど。で、次の日歩いて下に降りて行ったら…「ここどこ」って。単純に。
全然何だろ…なんだろう、本当に「ここどこ」って感じしか思い浮かばなかったっていうか…うーん。

深澤)それでもすぐに海岸のがれき撤去だったり色んな活動をして、お店も再開する。
「サーフィンは遊びだ」と考える人も中にはいる。それができたのはどうして?
鈴木)400人ぐらいの大世帯の避難所で、毎週玄関から入ってくるサーファー見るわけですよ。
何でかって、前の年、全国大会やっているので。親子連れで東京から物資集めてきたりとか、
段ボール運んできた時に、ふと、ご近所さんが
「やっぱり小泉はサーフィンやんなきゃいげねぇんじゃねぇ」って、ふといったんですよ、避難所で。
私が「どこでやるんですか」って言った時に、「だれーえ、こんなに来るもの」みたいな。
それ聞いた時に「ふーん」と思って。小泉にはそれが普通なのかなってふと思ったりして。
思いを寄せる方たちの気持ちがなんかこう後ろからグンとくるというか。
やっぱりその人たちにとって、“前のように”っていうのがまず理想なんだろうなっていうのもあったし。
地域とかひっくるめて良い方向を選んだっていう感じで来たと思うんですけど、
でもやっぱり、それは良いのか悪いのか分かんないですけど…。

深澤)震災や津波もありましたが、鈴木さんにとって海ってどんなものですか?
鈴木)色んなことを教えてくれる場所ですかね。サーフィンしてても多分そうだと思うんですけど、簡単にこうもう波にもっていかれたりとか、抗えないものわかっているので、厳しいだったり楽しさだったり、安心感だったり。海ってそういうものなんじゃないかと思います。
今はこの素晴らしい反面、万が一の事を常に頭に入れておくっていう。
どこの海に訪れる人でも、その知識っていうんですか。この土地はこういうことがあってって事は、分かってた方がよりもっと身近に感じるんじゃないですかね。