津波の犠牲者数 『伝承』が影響

東北地方は過去、昭和三陸津波など何度も災害を経験してきました。
かつての災害の教訓をどのように受け継いできたかということが、東日本大震災での避難行動に影響していたことが専門家の調査で分かってきました。

(記者 塘田捷人)

【伝承の効果で犠牲者ゼロ】

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太平洋に面している岩手県洋野町八木地区では、東日本大震災で最大13メートルの津波に襲われましたが、犠牲者はひとりもでませんでした。
この地域ではおよそ90年前に起きた「昭和三陸津波」でおよそ80人が犠牲になり、住民たちはその記憶を代々伝えてきました。

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伝承の場となったのが、毎年ほぼ欠かさず行ってきた慰霊祭です。ことし3月6日に行われた慰霊祭には、地震の被害を伝える石碑の前に、およそ50人が集まりました。
3人の子どもを連れて慰霊祭に参加した女性の言葉が印象的でした。

「子どもたちには小さいうちから、ちょっとでも過去の津波被害について知ってほしいと思って参加しました」

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八木地区の石碑はあえて、町の人がふだん使う生活道路沿いに置かれ、日々の生活の中で津波災害の教訓が受け継がれてきました。
この地区で自治会長を務める藏德平さんが、石碑の前でかつて見かけた様子を教えてくれました。

「小さい子どもが石碑に上がって遊んでいると、大人が『上がって遊んではいけないよ』と言って、過去の災害について教えてきた。その中で、津波が来るからすぐに逃げなさいと伝えてきた」

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その教訓が生かされたのが11年前の東日本大震災です。藏さんが目にしたのは、真っ先に逃げていた子供たちの姿でした。

「誰に言われなくても、子どもたちが自ら避難していた。これからも教訓を代々語り継いで、津波の犠牲者がいないようにしなくてはいけない」 

【災害伝承の要は“人”】

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震災で津波の被害にあった、岩手県と宮城県の383か所の津波の高さと死亡率のグラフです。津波が高くても犠牲者の割合が低いところがある一方、津波が比較的低くても犠牲者の割合が高い地域がありました。

調査をまとめたのは、東北大学の佐藤翔輔准教授です。犠牲者がなかった岩手県洋野町八木地区など、多くの被災地で伝承に関する調査を行ってきました。
震災では地形や人口などのほか、過去の災害の伝承のあり方が大きな要因のひとつになったと考えています。

「石碑などが残され、追悼の行事が続けられていれば、親子や住民の間で『あのときああだったね。こういうことを忘れないようにしようね』という対話が生まれて、おのずと地域のなかに記憶が定着していく。それが洋野町八木地区だった。どんな立派な物を作ったとしても、災害伝承の要は〝人〟だ」

【教訓が生かされなかった地区】

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一方、宮城県名取市閖上地区では震災の中では津波が比較的低かったものの、住民の15%近くが亡くなりました。この地区にも昭和三陸津波の石碑があったにも関わらず、地域で教訓が生かされなかったと言われています。

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<撮影:東北大学災害科学国際研究所 佐藤翔輔准教授>

11年前に津波の被害を受けた後、がれきの中から昭和三陸津波の石碑が見つかりました。
実はそれまで、石碑の存在自体、知らない住民も多かったといいます。

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東日本大震災後にできた伝承館には、当時地区に住んでいた人の証言が展示されています。
『津波は絶対来ない』『逃げる感覚なんて誰もなかった』
地区では、昭和三陸津波は忘れられ、町は安全という認識が広がっていたと言います。


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がれきの中から見つかった昭和三陸津波の石碑は修復され、市によって建てられました。

「この碑に『地震があったら津波に用心』と刻まれているのを見て、ドキッとしましたね」と語るのは、地区で小中学校の校長を務める八森伸さんです。震災当時、閖上にある中学校に勤務していましたが、石碑の存在を知りませんでした。
中学校では生徒14人が津波で亡くなりました。八森さんは震災のあと、「二度と同じ過ちはおかさない」という思いで、防災教育に力を入れています。

「震災の前に石碑の存在を知っていたら、もしかしたらあのとき、何かが変わっていたかもしれないという思いがある。津波に備えておかなければならないんだということを、後世に伝えていかなければならない」


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塘田捷人
(平成30年入局)
事件・仙台市政を担当後
現在は防災取材などを担当