僕と東北とのど自慢とペペロンチーノ

先月、3月13日の日曜日、「NHKのど自慢」が福島県田村市で開催されました。この「のど自慢」は、私たち制作者にとっても特別な思いで迎えた回でした。いまから11年前、2011年の同じ日、同じ会場で「のど自慢」の放送が予定されていました。

その2日前に起きた東日本大震災で、放送は中止に。僕たちが放送の準備を進めていた会場の総合体育館は、避難所になりました。

あれから11年…いろいろな思いを抱えた地元の方たち、そして私たち制作担当者が、「のど自慢」の会場に集まったのです。

特別な思いで迎えたのど自慢

NHKで「のど自慢」などのエンターテインメント番組の制作担当をしている青木です。

東日本大震災から11年、今回実現した「のど自慢」を機に、僕の仕事に対する思いの移り変わりをつづらせていただきたいと思います。よろしければお付き合いください。

日曜日に生放送される「のど自慢」はたいてい、2日前の金曜日にステージが設営されて、土曜日に予選会、そして日曜日が本番というスケジュールで進みます。

今年の3月11日(金)、僕は番組の担当として、東京から福島に入っていました。

新型コロナの影響でおよそ3か月ぶりとなった生放送での「のど自慢」は、出場18組のみなさんをはじめ、地元のたくさんの方々のご協力のおかげで、笑いあり涙ありで盛り上がり、すばらしい放送を出すことができました。

220406_nodo_01.jpg

11年前に、中止となった田村市での「のど自慢」—―今回は、当時予選に参加するはずだった方や、11年前にこの会場にいた番組スタッフなどもいて、それぞれが何かしら特別な思いを持って参加していました。そして僕もそのうちの一人でした。

220406_nodo_02.jpg

エンターテインメントって何だ?震災後の自問自答

東日本大震災が起こった2011年、僕はNHK仙台局でディレクターをしていて、主に音楽やバラエティーなどのエンターテインメント番組を中心に制作していました。

しかし3月11日以降はすっかり震災の取材一辺倒になりました。
本来なら福島県田村市で「のど自慢」が放送されるはずだった、震災2日後の3月13日から宮城県南三陸町に入り、その後東京に異動になるまで2年にわたって現地に通いました。

そこで自分が見たもの、感じたもの、出会った人、風景、におい・・・あまりにも衝撃が大きすぎて、正直言ってはっきりと思い出せないこともあります。

ただ、自分の中でいろんなことが大きく変わったのは確かです。そして、今まで自分が真剣に向き合ってきたエンターテインメント番組の制作についても気持ちが揺らいだ時がありました。

”こんな状況で音楽や笑いは必要とされないのではー“あまりにも自分が無力だという現実を突きつけられました。

「自分は何のために今の仕事をしているのか?」
「本当の幸せとは?」
「生きるとは?」

そんな答えの出ない問いがずっと頭の中でぐるぐるしている日々。取材にいけば、最愛の家族を亡くし悲しみに打ちひしがれる人たちを前に、何もできない自分、そんな無力な自分と向き合う日々。

しばらくすると、世の中では震災復興応援と銘打ってさまざまな歌手やアーティストが歌を作って励ましたり、「絆」という言葉がさかんに叫ばれたり、「頑張ろう!」的なメッセージであふれました。誤解を恐れずに言うと当時の僕には、そのどれもが薄っぺらく感じられました。だって、歌や言葉で励ますことで人を救うことはできないから。その時はそう感じていました。

震災2か月後から始めた「歌おう!東北のど自慢」

2011年の5月くらいだったと思います。同じエンターテインメント番組を中心に制作している先輩ディレクターが、東北の被災地でローカル版の「のど自慢」をやろうと言い出しました。まったくそんな気分にはなれない自分がいたのを覚えています。

ただその後、どういう経緯だったか忘れましたが、流されるままに僕がディレクターを担当することになりました。そしてその第1回の場所が、今回11年ぶりに「NHKのど自慢」を開催した福島県田村市の総合体育館だったのです。

「歌おう!東北のど自慢」というタイトルで「本家のど自慢」とは違い、カラオケマシーンを使って、簡単な美術セットをバックに歌う、悪く言えば本家をスケールダウンさせたような番組でした。

2011年6月にイベント収録をしたのですが、予選に集まった人たちは40組弱だったと思います。ちなみに「本家のど自慢」は250組が予選に参加します(コロナ禍の現在はもう少し少なくなっていますが)。こんな状況の中、集まってくれたみなさんに感謝しつつも、果たしてこんな時に「のど自慢」なんてやっていいんだろうか?そんな不安が拭いきれませんでした。

しかし、いざ始まってみると、3月に行われるはずだった「のど自慢」に出場予定だった人、原発の影響で田村市に避難してきている方、家族を亡くした方・・・さまざまな境遇の方が参加してくれていました。

それぞれがそれぞれのやり方で、言葉だけではうまく伝えきれない気持ちを歌にのせて表現していました。泣いたり、笑ったり、怒ったり、いろんな表情を見せる出場者のみなさんが、なぜか僕にはみんなどこか充実した表情に感じられました。そして会場でお客さんとして見ている方たちも、まるで日常に戻ったかのように楽しそうで。

220406_nodo_03.jpg
「歌おう!東北のど自慢」

泣きじゃくっていた彼女が笑顔でAKBを歌った

その後、2012年2月まで「歌おう!東北のど自慢」は続き、僕は南三陸町に通いドキュメンタリー番組を制作するのと並行して、このローカル版「のど自慢」も担当し、福島、宮城、岩手の計5か所で開催しました。

その最後の回になった場所は、僕がずっと通い続けた南三陸町。そこでは震災直後から取材を通して交流のあった、役場職員の20代の女性が職場の仲間と一緒に出場していました。

「自分の知っている故郷とは景色が変わりすぎてしまったけど、やっぱり故郷のことが大好きだ」と泣きじゃくりながら話す彼女が、ものすごい笑顔で仲間と楽しそうにAKB48の「ヘビーローテーション」を歌って踊る姿を見て、なぜか、「ああ、この企画をやってよかった」と思えた自分がいました。

うまく言葉にできませんが、ずっと自分の中にあったモヤモヤが晴れた感覚が確かにあったのを覚えています。安易に「音楽の力」とか言いたくはないですが、それに近い何かがエンターテインメントにはあるのかもという可能性を感じたのは間違いないです。

「東北でやり残したことがある」

その後、2013年夏に東京に異動になり、引き続き音楽番組を中心に担当しましたが、東北でやり残したことがあるという思いがずっとどこかに引っかかっていて、2016年に再び仙台局に戻ることになります。

東北で開催される「NHKのど自慢」の制作や、被災地域の人たちの何か役に立てるようなことをしたくて、町を盛り上げる祭りをやりたいという南三陸町の人たちと一緒に手作りの音楽フェスを開催したり(つくづく南三陸町とは縁があるんですよね)、全線開通した三陸鉄道を沿線の人と一緒に盛り上げるイベント・番組を制作したりと、エンターテインメントとドキュメンタリー、両方を一緒にしたような番組を主に作っていました。

このころの自分の思いは、とにかく地域の人にとって役に立つこと、喜んでもらえること。
そのことをいちばんに考えて番組制作をしていました。その思いは現在も変わっていません。震災前に東京で音楽番組を作っていたころは、とにかくかっこいい、とがった番組が作りたいと思っていた自分が、震災を経て大きく変わったことの一つです。

10年後に生まれたドラマ「ペペロンチーノ」

震災10年を前に、仙台局では震災をテーマにしたドラマ制作の話が持ち上がっていました。それが「ペペロンチーノ」というドラマです。僕は制作の責任者を担当することになりました。

220406_nodo_09.jpg
ペペロンチーノ | NHK 宮城発地域ドラマ

正直に言うと、最初にドラマの話を聞いたとき、実はあまり気乗りがしませんでした。震災という共感を呼びやすいテーマを、悪く言えば“利用”して、わかりやすい前向きな感動物語を作ろうとしているのではないのか。

そんな単純なことではないし、人によって本当にさまざまだし、複雑だし。日々現場でみなさんの声を聞き続けている仙台局がそんなドラマを作るなんて間違っているのでは、とさえ思っていました。

しかし、ニュースやドキュメンタリー番組では届かない層も確かにあって、ドラマという形だから届けられることもあるわけで・・・。そんな複雑な思いを抱えながらも、ドラマもエンターテインメントだからということで、結局僕が制作統括という制作の責任者を担当することになったのです。

「東北のど自慢」の時もそうでしたが、僕が発案したわけではなく、流されて結果的に自分がやるというパターンが多いみたいです。流されるままに身を委ねるというのが僕には合っているのかもしれません。

僕が抱いていたドラマに対する複雑な思いは、脚本の一色伸幸さん(代表作は「私をスキーに連れてって」「ラジオ」などなど)と話し、一色さんのアイデアを聞くことで、迷いがなくなっていきました。

まず、一色さんご自身が被災地域に足しげく通っていて、取材する側、される側ということではなく、普通に友人として地元の人たちと交流していること。そこから紡がれるリアルな登場人物の設定や本音のセリフ。

そして被災地域で暮らす家族を亡くした方、被災地域だけど特に被害のなかった方、東京から移り住んできた方・・など多様な境遇の人たちの、いわゆる「被災のグラデーション」がしっかり描かれていること。

さらにこれはリアルなドキュメントではあるけど、ドラマというエンターテインメントでもあるから、どこか柔らかい雰囲気もある「童話」のような物語にしたい。そんなことを一色さんと話していて、すっと腹落ちしたというか。自分がずっと感じて、考えて、思っていたことと通ずるというか、とにかくこれだったらドラマを作りたいと心の底から思えたんです。

「ペペロンチーノ」というタイトルも、柔らかく、何だかちょっとかわいい感じがして好きでした。

そこからは100%の気持ちでドラマ制作に突入していくのですが、仙台局にはいわゆるドラマ制作の経験者が僕も含めほぼいませんでした。

演出の丸山ディレクターは「NHKスペシャル」などドキュメンタリー畑のディレクターですし、撮影チーフもバリバリのドキュメンタリーカメラマン。他のスタッフもごく一部を除いてドラマの現場は初めてというメンバーばかりでした。

それに加えて、撮影が行われた2020年12月は新型コロナウイルスが猛威を振るっていた時期。さらにロケ地の石巻、女川の沿岸は本当に寒かった。そんな逆風の中だったからか、とにかくチーム一丸となって同じ方向を見て撮影できたと今は思えます。そして何よりキャストのみなさんの、この作品にかける思いがとっても熱く真摯しんしなものだったこと。

中でも印象的だったのは、全ての撮影が終了し、いわゆるクランクアップのセレモニーの中で主演の草彅剛さんと、その妻役の吉田羊さんにお言葉をいただいたとき、お2人とも感極まって言葉にならなくなってしまったこと。その姿を見たときに、本当に強い思いを持ってこの作品に参加してくれていたんだなという感謝の気持ちと、このドラマを作ることができて良かったなと素直に思えた自分がいました。

放送後はありがたいことに視聴者のみなさんから、たくさんの好意的な感想をいただき、僕にとってはドラマというエンターテインメントの力を実感できた経験となりました。

ちなみに、NHKオンデマンドではまだ「ペペロンチーノ」を見ることができると思いますので、よかったら是非ご覧ください。

宮城発地域ドラマ「ペペロンチーノ」 -NHKオンデマンド


あの日、あなたは、何をしていましたか?

ドラマ制作に先駆け、震災10年を迎えるにあたり、仙台局の中で「市民と考える震災伝承プロジェクト」というチームが立ち上がり、僕もそのプロジェクトに参加しました。

簡単に言えば、震災で得た教訓や、記憶をきちんと後世に受け継いでいこうということになるのですが、時間の経過とともに、震災や被災地への関心は薄れていき、伝え続けていく難しさというものに仙台局全体として直面していました。

プロジェクトのメンバーを中心に仙台局内での議論や、被災地内外のさまざまな人への聞き取りをしていく中で、東日本大震災は被災地域の方だけでなく、その被災度合いの濃淡はあるにせよ、日本全国(時には海外も含め)の多くの人にとっても、何かしら影響を与えたものだった、という思いを強くしました。

さらに言うと、みんなにとってある種の喪失体験であり、11年前のあの日に感じたこと、考えたこと、あの時の気持ちを思い出してもらうことが、少しでも当事者意識をもってもらって、さらに伝えていくということにつながるのではないか。そのような話し合いを経て、「あの日、何をしていましたか?」というテーマで、みなさんのエピソードを集めることを始めました。

220406_nodo_0101.jpg
あの日、何をしていましたか?|NHK仙台 震災伝承プロジェクト


投稿は東北の被災地域だけでなく、日本全国、海外からも集まりました。投稿をくれた人たちの年代も幅広く、当時まだ子供だった中高生からの投稿もありました。

どの投稿にもそれぞれのストーリー、思いがあり、そして時間が経過するとともに、置かれている状況も本当に多様だということが伝わってきます。

その後そこから派生して「もっと市民と考える”あの日“」というタイトルで、投稿をくれた方に集まってもらいざっくばらんに話し合う場を設けました。番組を作るという意識でなく、お茶会のようなイメージでざっくばらんに自由にだべる場を作るだけ。

番組を作るとなると、何かしらの結論を出したり、起承転結をつけて構成したり、みたいなことになりがちですが、この場合は結論なんて出ないし、こちらで考える構成になんて収まるはずがありません。

とにかく自由に何でも話せる場を作ることで、そこから何か震災を伝えていくヒントみたいなものが見つかればいいな、という思いで始めました。

220406_nodo_04.jpg
「もっと市民と考える“あの日”」2020年12月18日放送

▼放送の内容はこちらでご覧いただけます▼

この「もっと市民と考える”あの日“」の中で、印象的だった言葉は「被災のグラデーション」や「話しづらさ」といったものでした。集まった人たちの被災のグラデーションの幅が大きいほど、お互いに気づきや学びの多い場になるし、一方で被災のグラデ-ションが濃い人は、グラデーションが淡い人には気軽に話せない、という現実もありました。

220406_nodo_05.jpg

10代、20代の投稿者のみなさんに集まってもらって開いた会の中で、中学3年生の時に震災で母が行方不明になり、現在も見つかっていない女性が、「震災以降、自分の中で変わったことはありますか?」という問いに、最初は「時間がたって少しは前向きに考えられるようになった」と答えたのですが、その後、みんながそれぞれの経験を話し、聞いていく中で、最後にその女性が

「さっきは前向きになったと言ったんですけど、本当のところはやっぱり10年前から何も変わってない。ずっと気持ちが沈んだままの自分がいる」

と告白した場面がありました。

ある20代の男性は福島出身なのですが、

「震災前まではこんな田舎早く出たいなと思ってたけど、震災後に進学した先の東京で、福島のことを悪く言われたらものすごく腹が立った。原発事故の影響で福島出身であることを隠す人もいるという報道を見て、逆に積極的に自分は福島出身ですって言ってやろうと思った」

と言いました。

ある気仙沼の女子高生は

「震災の後、ガレキを片付けたりして率先して地元のために頑張っている父の姿がかっこいいと思った。だから自分も将来地元のために役に立つ大人になりたい」

と言いました。

どれもがハッとさせられる言葉でした。
メディアで取り上げられるのは往々にして、際立った活動をしている方や、もしくはとても悲惨な状況にいる人など、どちらかというと「大きな声」が取り上げられることが多いですが、ごくごく普通に暮らしている人たちの「小さな声」を丁寧にすくい上げることが、このプロジェクトが大切にするべきことなんじゃないか。

そしてそういったさまざまな「小さな声」が出会って交わる場を作っていくことに意味があるのでは。少し大げさに言えば、その交わったやりとりの中に、言葉に、私たちにとっての”生きるヒント”や“幸せのヒント”があるんじゃないだろうか。

そんな思いを持つようになりました。この思いはプロジェクトのメンバーにも共有されていて、現在も仙台局では20代の若手メンバーを中心にこの取り組みは継続されています。

余談ですが、僕が2013年に仙台を離れたとき、東北でやり残したことがあると言いましたが、仙台で最後に書いた番組の提案が「幸せのヒント」というタイトルで、内容は福島や宮城、岩手の被災地域と、そうでない土地に住む20、30代の女性が集まってお茶会のような雰囲気で自由に語り合うという内容でした。

これは福島の20代の女性2人を取材したときに、放射能の影響を考えて移住する人と逆に福島に残る決断をした人の話を聞いて、当時の自分にとっては、これから先に出産や結婚を控える女性たちの方が、より現実的に真っ直ぐに自分の将来と向き合い決断をしているという実感があったのと、そこに何か大切な生きる上でのヒントがあるんじゃないかと思って書いた提案でした。

2013年には実現することはできなかったのですが、そこから7年たって、はからずも、それに似たことをやっていたんだなと今になって気づきました。

それぞれの11年の物語

2021年11月に再び東京に異動になり、「鶴瓶の家族に乾杯」、そして「NHKのど自慢」を担当することになりました。前回2013年に仙台を離れたときには、東北でやり残したことがあるという気持ちが強かったですが、今回は不思議とその感覚はなくて、むしろ地域の人たちに役に立つ、喜んでもらえることは自分がどこにいたってできる、という気持ちでした。

そして迎えた、先日の「のど自慢」。

220406_nodo_06.jpg

220406_nodo_07.jpg

220406_nodo_08.jpg

11年前のあの日から、ここまで書いたような経験を経て僕は再び福島県田村市の会場にいました。11年前にも予選に出場するはずだった人で今回の予選を見事勝ち進み、本番の放送に出演した方もいます。逆に惜しくも予選で落選してしまった方も。

予選に参加した180組の人たちには、それぞれのこの11年の物語があって、そのどれもがきっとかけがえのないものだと思います。

「のど自慢」というエンターテインメントの仕掛けの中で見えてくる、この11年間のさまざまな人間ドラマを凝縮した番組が東北で放送されるようですので、よかったらぜひご覧ください。僕も楽しみにしています。

 

20220406_000224806.jpg
東北ココから

僕が担当しているもう一つの番組「鶴瓶の家族に乾杯」は”ぶっつけ本番旅“といって、一切台本がない、どこに行って誰に会って何をするかまったくわからない番組です。

鶴瓶さんがよく口にするのが「人生、成り行き」という言葉。流れにまかせた方がうまく行くし、何よりその方がおもしろいと鶴瓶さんは言います。

振り返ってみると僕自身も自分で決めたというより、何かに流されて気づいたらやっていた番組が多かったなと。ここまで来たら、これから先もエンターテインメントの力を借りながら、流されるがままに”幸せのヒント“を探したいと思います。

いつの日か、ぶっつけ本番旅でお目にかかれる日を楽しみに。 

 


220406_nodo_aoki.jpg

青木 一徳
メディア総局 第3制作センター(エンターテインメント)

2000年入局。東京、大阪で音楽・バラエティー番組を中心に制作
した後に2009年~2013年、2016年~2021年仙台局勤務。
現在は「NHKのど自慢」「鶴瓶の家族に乾杯」を担当。