【丹沢 研二】閖上と佐賀をつなぐ風船
アナウンサーの丹沢研二です。
ふるさとや、旅行で訪れたことのある地名をどこかで見かけると「おっ」と目が行く。
そんなことはありませんか?
私にとっては「佐賀県」がそういう土地の一つです。
2010年から2015年までの5年間を過ごし、
大切な友人や沢山の学びをくれた恩人がいる町です。
たとえば女川水産業体験館「あがいんステーション」に立ち寄った時。
佐賀からの寄せ書きが壁に貼ってありました。
女川で「佐賀」に出会うとは思わず、しばらく眺めてしまいました。
3月11日。
名取市閖上の津波復興祈念館「閖上の記憶」からラジオの放送を出しました。
そこでも佐賀との出会いがありました。
閖上では震災の翌年から、亡くなった人へのメッセージや復興の願いなどを書いた風船を飛ばす催しが開かれています。風船は土に戻る素材で出来ています。
メッセージの入った風船は県外からも届くのですが、
その中で一番多いのが佐賀県だそうです。
こちらは佐賀県から届いた風船の一部。全部で15枚も届いたそうです。
なぜ閖上と佐賀がつながっているのだろう…?
風船を送った方に話を聞いてみることにしました。
送り主は佐賀市に住む富田万里さん。
仙台市出身で、結婚を機に佐賀に引っ越しました。
震災後「ふるさとのために何かしなきゃ」という思いにかられた富田さんは
新聞広告で仲間を募集し、2011年5月に「宮城県人会さが」を立ち上げました。
佐賀で宮城県産品の販売会を開いたり、被災地に食べ物や日用品を送ったりしてきました。
2015年に「閖上の記憶」代表の丹野祐子さんを佐賀市の高校に招いて講演してもらったことがあり、それからメッセージ入りの風船を送り続けているそうです。
発足当初は9人だった「宮城県人会さが」のメンバーは徐々に増え、47人に。
3月11日には県人会のメンバーが中心となって佐賀県庁で宮城県産品の販売会を開いたそうです。海産物や仙台麩、お菓子が並んでいます。
「ラジオで閖上からの中継を聴きながらみんなで黙とうしましたよ」と話していました。
風船にメッセージを書きたいという人も年々増えているそうです。
こちらは佐賀県唐津市から。
玄界灘に面した港町で、佐賀市からは結構離れています。
メッセージの中に、知り合いの名前(あだ名)を見つけました。
9年前、私が佐賀県を自転車で巡る番組を担当していた時に出会った方です。
電話してみました。
佐賀県唐津市の「異世代交流スペースComodo」代表の福浦恵理子さん。
様々な世代の人の居場所作りや観光ガイドなど幅広く活動しています。
(なぜか娘さんの中学校の卒業式のときの写真です)
福浦さんは震災後、石巻に手作りのポケットティッシュケースや子どものおもちゃを送る活動をしてきました。富田さんたちが閖上に風船を送っているという話を聞いて「唐津からも送りたい」とお願いしたといいます。
福浦さんも唐津市で、震災後の石巻の状況などを写真で伝えるパネル展を行っています。
佐賀県でも東北に思いを寄せる方の輪が広がっていました。
宮城と佐賀。私の大好きな2つの土地をつないだ縁。
「つながっている」と感じられるだけでも不思議と心強く感じます。