「限界集落 住んでみた 宮城 七ヶ宿町 干蒲集落編」ディレクターが語ってみた

「限界集落」とは・・・人口の半分超が65歳以上の集落のこと。
「若者がいなければ学校もない、病院もない…」なんとなく寂しいイメージありますよね。でも実際はどんな所か知る人は多くないと思います。どんな人がどんな暮らしをしているのでしょう。


「限界集落住んでみた」ディレクターが“放送後”を語ってみた

「限界集落 住んでみた」の第1回を担当したNHKエンタープライズ東北の中関です。
おじゃましたのは去年の秋から晩秋にかけて。場所は宮城県の南西の隅っこ、奥羽山脈のまっただ中にある七ヶ宿町・干蒲(ひかば)集落でした。住んでいたのは9世帯15人。1人を除いて全員が65歳以上という、限界集落界の横綱のような場所です。もちろん民宿なんてないので、集落の真ん中にテントを張らせて頂き滞在することにしました。その様子は、2021年11月26日(初回放送)に放送しました。

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みんな寝るのが早くて、僕も夜9時には寝袋へ。満天の星空と秋の虫やフクロウの声を聞きながら眠りにつくのは最高でした(ただしクマやイノシシにおびえつつ)。そして夜明け前に誰かの家から聞こえ出す物音で目覚め、小さなカメラ片手にとぼとぼと様子を見に行くという日々。集落のゆったりとしたリズムと心洗われる自然。そして昔から綿々と続く豊かな暮らしの知恵に魅せられ続けた1か月でした。

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「雪さえなければねえ」の声 いざ!冬の干蒲へ

干蒲に滞在中、よく交わした会話がありました。ここに惚れ込んだ僕が思わず「いい所ですね」と言うと、必ず「雪さえなければねえ」。そう、七ヶ宿町は宮城県でも有数の豪雪地帯。中でも山形との県境にある干蒲は雪深さでも群を抜いています。みんな口々に「今度、雪のある時においで」とにこやかに笑うのです。そこで、放送後の2月に行ってみました。

9月下旬の干蒲はこう↓でしたが…
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2月のこの日、積雪は優に2メートルを超えて別世界!
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この時も秋同様、既に干蒲を離れて暮らす息子世代がやってきて、実家の屋根の雪下ろしをしたり、隣の家の玄関先の除雪をしてあげたりしていました。

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「すごいでしょ?これさえなければ帰ってきてもいいんだけどな…っていう者も多いんだ」

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少しずつかわる集落の姿 お別れも

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秋葉ミツ子さん(84)が自分の車庫の前の雪かきをしていました。
去年干蒲に来た時に最初に声を掛けてくれた人です。

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病気がちだった夫の常幸さんが、前の週に山形の病院で亡くなったと教えてくれました。
「入院は短かったんだ、しょうがないな…私も行って最後会えたからいがったー」
ミツ子さんは静かに微笑んでいました。

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番組のラストシーンに登場した秋葉常幸さん(85)

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「若いころ、干蒲を出て上山(隣接する山形県)で働くって選択肢もあったけど、結局、親の土地と家を継いだんだ。長男としては、親孝行できて良かったかなと思ってんだ」と話していた常幸さん。
「雪は大変だけど、夫婦2人でいる間は干蒲さいようと思ってんだ」とも言っていました。
残されたミツ子さん、当面は上山の息子さんの家と干蒲を行ったり来たりの暮らしをするそうです。


そして…変わらない笑顔のご夫婦

番組の中で、いつも素敵な笑顔で昔から変わらぬ「手まめな仕事」を見せてくれた秋葉進さん(90)・末恵子さん(89)ご夫婦。進さんいわく「7尺(2.1m)」積もった雪を越えてお宅を訪ねると、2人でこたつに入ってやっぱり笑顔。

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「ほれ、これだ」と末恵子さんが笑顔で出してくれたのは、虎豆の煮付け。
秋のある日、「寒くなったら煮付けにすんだ。冬は何も食べるものないからね、うふふふ」と教えてくれた、その完成品でした。甘辛くて美味しくて、またまた食べる手とおしゃべりが止まらないひとときを過ごさせて頂きました。

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変わってゆくもの。変わらぬもの。でもやっぱり…

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今回、1年ぶりの再放送のことを干蒲の皆さんにお伝えすると、みんな口々に「ま~たか?」「やっとほとぼりが冷めてきたとごだったのに!」と嬉しそうに笑ってくれました。さらに移住してくる人が現れたというニュースも。

うわさに聞いていた深い雪の干蒲。区長さんはじめ、住民も、息子たち世代も、それぞれがそれぞれのできることを淡々とこなしながら、助け合って春の訪れを待っていました。
変わっていくもの。変わらないもの。それでもやっぱり「大事なものは、自分たちで守る」。
相変わらず、小さくて豊かで優しい干蒲集落です。


昨年末に取材のウラ話を書いた記事はこちら