震災証言インタビュー/女川町 防災無線担当 元役場職員・八木真理さん(震災当時36歳)

アナウンサーの黒住駿です。今回お話を伺ったのは、東日本大震災発生時に女川町役場で防災行政無線の呼びかけを担当した八木真理(やぎ・まり)さんです。八木さんの声を耳にして、高台に避難したという声も多くありました。ラジオ放送(※21.12.17金 R1「ゴジだっちゃ」内)では伝え切れなかった“今の八木さんの思い”を中心にお伝えします。

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<女川町・八木真理さん(現在は保育士に)>

(黒住)
震災の時、役場の中というのはどんな状況でしたか?
(八木さん)
まず最初の揺れで立っていられなくて、机の下に潜っていました。
とにかく「すぐ津波が来る」って考えて…
どれぐらいのが来るんだろうって思いながら、すぐ防災無線の放送に向かいました。

(黒住)
放送では、どんな言葉で皆さんに呼びかけたんですか?
(八木さん)
「大津波警報が発令されていますので、至急高台に避難してください」とひたすら繰り返しました。
切羽詰まったような呼びかけをすると町民の人がパニックになるんじゃないかと思って、
自分の中では、落ち着きながら…でもちょっと緊急性を持ってしゃべろうって意識をしていました。

(黒住)
役場も、津波で3階まで浸水をした。どんな状況でしたか?
(八木さん)
呼び掛け中に防災係長が突然入ってきて、「ここも危ないから屋上に上がれ!」って…。
「えっ!」ってその時初めて思って、放送室を出たら、もう2階と3階の踊り場まで水が来ていました。
本当に間一髪で、防災係長が来てくれなかったら助からなかったと思っています。

(黒住)
震災後、町民の方からなにか言葉は届きましたか?
(八木さん)
「まだ津波は見えていなかったけど、呼び掛けを聞いて大変なことが起きてると思って避難した」っていう話は聞きました。そんなふうに聞いてくれていた人がいたんだなと思って、あの放送でよかったのか葛藤もあったんですが、ちょっと救われた気持ちになりました。

多くの人を救った八木さん。震災で祖母と弟を津波で亡くしました。
辛い思いを抱えながらも、八木さんは震災後、役場の職員として避難所の運営に携わります。
その中で、折り紙で遊ぶなど子どもたちと触れ合う機会が多くなりました。
それらの経験を通じて“地元の子供たちの成長に関わりたい”と強い思いを抱くようになり、
2013年から保育士として働いています。

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<女川町の保育所で働く八木真理さん>

(黒住)
子どもたちに震災の話をすることはありますか?
(八木さん)
あんまり恐怖心だけを伝えるのもよくないなって思う反面、
赤ちゃんとかも亡くなっちゃったっていう話をして、命は本当に大事なんだって伝えています。

(黒住)
子どもたちの笑顔や声が戻ってきたことについては、保育士としてどんなこと感じますか?
(八木さん)
弟がすごく女川のことが好きだったんですけど、震災で亡くなってしまいました。
“今の子どもたちが元気に大きくなることが自分にできる復興なんじゃないかな”という思いが
女川の保育士になる時に大きく自分の中にありました。今も、それだけはずっと心に留めて保育をしています。
女川が大好きな子になってほしいと思っています。

(黒住)
10年経って、防災への考えはいかがですか?
(八木さん)
祖母からチリ地震津波のことをいつも聞いていて…「津波が来てもここは大丈夫」と話していたのが、すごく印象に残っていたんですけど、東日本大震災で女川は壊滅的に流されてしまった。自分の過去の経験とか思い込みで決めつけてしまうことが、こんなに怖いことなんだと震災で思い知りました。だから「ここは大丈夫」なんて思わないで、「もっと上に、もっと遠くに」避難しないとダメなんだって改めて思っています。