【森田茉里恵】震災証言インタビュー/仙台観光国際協会 職員 菊池哲佳(きくち・あきよし)さん

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菊池哲佳さん(47) ※年齢や情報は取材時点
仙台観光国際協会の職員として、普段から外国人の支援を行う菊池哲佳(きくち・あきよし)さん。震災時、被災した外国人の相談窓口となる「仙台市災害多言語支援センター」を運営し、被災した外国の人々の支援のため、奔走しました。

(聞き手・構成:森田茉里恵アナウンサー 令和3年8月27日取材)

森田)2011年3月11日。地震が起きた日のことを教えて下さい

菊池)幸い家は無事で、すぐ職場に出勤しました。以前からエフエム仙台さんと防災のラジオ番組を作っていた経緯もあり「外国語で災害情報の発信をするべきではないか」という話になり、放送局に向かいました。番組スタッフの打合せ後、すぐに英語、中国語、韓国語の3か国語に翻訳し、やさしい日本語でも情報発信を行いました。当初は「余震に気をつけましょう」、「津波が来るので高い所に逃げましょう」、「仙台市災害多言語支援センターを設置しました。お困りの方はお電話下さい」といった基本的な情報しか発信できなかったのですが、それを聞いた外国人から「母国語で情報を得られてほっとした」などという声があり、安心を届ける効果はあったのかなと思います。

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今後同じようなことが起きたときのために、菊池さんは、震災当日のFM放送をスマートフォンに録音していました。

森田)混乱もかなりあったのではないでしょうか?

菊池)海外のメディアから支援センターに取材の電話が何本もありました。「いま仙台はどうなっていますか?」と聞かれても、私たちの手元に情報がなく、答えられませんでした。「日本政府が言っている原発事故の情報は本当でしょうか?」という問い合わせもかなり寄せられました。それについては、政府や自治体などが発信する複雑な情報を、正確に丁寧に翻訳して発信して、あとは受け取った外国人に判断してもらうことにしました。

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震災2日後の、仙台市災害多言語支援センター 暗闇の中での支援が続いた

森田)当時は、どんな情報が必要とされたのですか?

菊池)震災が起きてから時間がたつにつれてどんどん変わってきました。最初のころは「息子が仙台に留学しているが、無事でしょうか」といった安否確認の問い合わせが殺到しました。その後は「原発事故があったので、国外に退避したい」といった相談が多かったですね。一方で、仙台に残りたいけれど家族や友達を安心させるために仙台を離れなきゃいけないといったジレンマに苦しんでいる外国人もいたようです。それから「給水の場所はどこですか」「空いている銭湯はあるでしょうか」などといった身近な生活関連の情報や、り災証明書の申請の方法など行政手続きについての問い合わせなど、多岐にわたる相談が寄せられました。

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避難所巡回のため、外国人ボランティアと共にミーティングを行っている様子

森田)菊池さんは避難所の見回りにも行かれていましたよね?

菊池)はい。避難所へ出向いて運営者の方に「こちらに外国人避難者はいますか?」と聞くと、「うちは来てない」ということがよくあったんです。でも、実際に避難所のなかに入って探してみると結構いるんです。日本語に自信がない人は「いまつらい」「困っています」という声をなかなかあげづらい。一方で、避難所を運営する人たちも、避難所に外国人が来ているってことに気付かないことが多かったですね。

菊池さんの勤める仙台観光国際協会では震災後、地域の日本人と共に防災を担う「外国人防災リーダー」を育成しています。

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2020年度の外国人防災リーダー研修

菊池)災害時の外国人支援という課題は、全国でかなり認識されるようになってきていると思います。一方で、「災害時に外国人をどう支援するか」という視点だけではなく、「日本人と外国人が助け合う『共助』の関係をどのように築いていくか」という視点も大切です。大規模災害が起きた時は、もちろんマニュアルは必要ですが、マニュアルだけでは対応できないと思うんです。そこで生きてくるのは日頃からのネットワーク。日頃から、地域の人たちと留学生や外国人住民とのネットワーク関係を作っていくことが、私たちに求められることだと思います。