【打越裕樹】震災証言インタビュー/仙台市南蒲生浄化センター職員 菅野清司(かんの・せいじ)さん

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菅野清司さん(62歳) ※年齢や情報は取材時点

◆松林超える大津波が施設を襲った

打越)菅野さんは震災当時52歳。地震発生時には、海に面した下水処理施設で業務をしていました。当時の記憶をたどっていただいてよろしいですか?

菅野さん)あの日は機械室の地下で、最終段階を迎えたある設備工事の現場に立ち会っていました。すると、急にグラッと強い揺れが来たので「まずい」と言うことで、すぐに上に上がろうと階段を上って外に飛び出しました。一端、揺れが収まったように感じたんですが、その後に地響きがあって、体を支えるものがないと立っていられないような揺れが発生したんです。そばに合ったガードレールに同僚としがみついて、体を支えているような状況でした。

打越)地響きってどんな音が聞こえたのですか?

菅野さん)地鳴りというかゴーッと、奥の方に響くようなすごく恐怖感のある耳に残っています。私たちの職場は下水処理場のものですから、汚水を処理する池がいっぱいあるんですが、その池の水が揺れてですね、壁にぶち当たって水柱が上がったんですよ。そばで作業をされていた業者さんたちもそこから飛び出すように出てきて、これはとんでもないことだと思いました。みんなでいけるところまで高いところに上がりましょうと、屋上に避難して様子を見ていました。

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打越)施設でみた外の光景はどうでした。屋上から何が見えましたか?

菅野さん)当然みんな海の方をじーっと固唾を飲んで様子を見ていたんですけれども、そのとき、気温が急に下がりましてね、雪が降り出したんですよ。寒いねーっていって松林の海の方を見ていたんです。最初、林の下をするするっと、海水が上ってくるのが見えたんです。それで川を海水が遡上する状況がみえて、「あっ、きたきたきた」って。そしたら数分を経たない間に第二波が来たんです。その第二波が来たときが印象的で、その高い松林が一瞬にして消えたんですよ。それで真っ黒の墨汁って言うか、墨を溶かしたような真っ黒な水が設備をのみ込んでいった状態で、我々の車もあー俺の車流されたーという声がいろいろあって。

打越)最終的に職員の皆さんは自衛隊機で救護されたと。

菅野さん)ヘリコプターにわれわれが乗せてもらって、(駐屯地のある)霞目のほうに飛んでいったんです。ヘリコプターに乗ったのは初めてだったもんですから、上空から窓の外をじーっと見ていました。みんな無言でしたね。下には灰色の世界なんですが、水がキラキラ光っていて。そこには流された家屋とか、水浸しの家屋とか、たぶん生き物はいないと思うんですよね。ところが七郷中学校辺りの上空に来たら、水に濡れていない地面が見えるんですよ。七郷中学校の手前が津波の末端だったんですね。そこから人と車が動いているんですよ。それがすごく印象的でしたね。「あっ、人がここから生きているんだ」って。

打越)そのときの心境は。

菅野さん)なんか納得できないというか。こっちは死の世界じゃないですか。ショックだったですね。

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◆級友失った無念・・・「共助」を考え続ける決意

打越)職場での被災体験の一方で、ご家庭も被災されたんですよね。

菅野さん)私の自宅は、震災で700名以上の方が亡くなった名取市閖上地区のそばにあって、海から自宅までは3キロ離れています。震災前は沿岸に松林があって、海をすごく遠くに感じていたんです。幸い家族は無事でしたが、戻ってみると地区をヘドロとがれきが覆い尽くしていて、途方に暮れました。

打越)当時は津波がきたらとか、大きな地震が起きたらとか、家族の中でお話しされていましたか?

菅野さん)いや、当時は全然ないですよ。自分たちの住宅まで津波が来るだろうなという話は、一度もしたことはないと思います。ただ、私の同級生は津波で12人亡くなってしまったんです。それが無念なんです。どういった形で亡くなったのかを生き残った者同士で話をして分かったんですが、みなさん働き盛りで、職場で働いていて大きな地震があった。大津波警報が出たけれども、あのとき親や子どもをみんな迎えに行ったんですよ。車で助け出そうとして街に戻ったんですね。それで閖上の港町はメイン道路が少ないんでそこで大渋滞が起きてしまって、進めなくなって。そのうちに津波が来てしまったということだったようなんです。でも、あのときどう行動をした方が良かったかと、よくいろんな番組とか報道とかで検証されているんですけれど、難しいと思いますね。『津波てんでんこ』って言いますが、てんでんに逃げられない人もいたんですから。高齢の方の犠牲も多かったんです。共助のあり方を考え続けないといけないと思います。災害があったらどうするかを考え続けることが大切で、たぶん切れ目がないと思うんです。安全な毎日がずーっと続くとその重要性が忘れ去られてしまいますからね。

(聞き手・構成=仙台局アナウンサー 打越裕樹、21年8月19日取材)

今週(9/6~9)の『ゴジだっちゃ!』では東日本大震災から10年半になるのを前に『震災証言インタビュー』をお送りしています。