【相馬宏男】朝ドラ 鈴木京香さん 「君の名は」で思い出したこと

戦後ラジオドラマで多くのリスナーを引き付けた「君の名は」。手に汗を握る展開でハラハラドキドキの連続でラジオにかじりついた人も多い。
「君の名は」は1991年には朝の連続テレビ小説として放送された。主人公の真知子役は仙台市泉区出身の鈴木京香さんだ。実は、私は1991年6月3日の雲仙普賢岳災害の時、長崎県島原市に設置されたミニ放送局「島原放送局」に2ヶ月余り派遣され、噴火情報や生活情報を伝え続けた。普賢岳の火砕流では消防団員やマスコミ関係者など43人が亡くなっている。
島原放送局の聴取エリアは島原市と深江町、地域限定のまさにミニ放送局だ。
今のコミュニティFMの走りともいえるもの。アナウンサーは私一人。ローカル放送の時間になると手動ボタンを自分で押し、地域向けに切り替える。また雲仙普賢岳が噴火をした際には、噴火時間などその規模を臨時に速報するという役割も担っている。

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そうした中、連続テレビ小説の撮影が終わったのを機会に鈴木京香さんが島原市を訪れた。その機会にインタビューすることになった。長崎局のローカル番組向けだった。雲仙普賢岳が見える現場でのインタビューだった。やや疲れ気味の鈴木さんだったが「君の名は」でのエピソードなどを交え語ってくれた。その夜は放送責任者と鈴木さんと一緒に話す機会もあり、朝ドラを見て雲仙普賢岳災害当時のことを思い出した。

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今、テレビでは「おかえりモネ」の放送中。主人公モネの母親役が鈴木京香さん。気仙沼弁も駆使、宮城らしさを発揮している。朝ドラを見て30年前の島原市でのインタビューの様子もふと思い出した「朝」だった。