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      2019年1月18日

      2019年01月18日 (金)
      【真下 貴】阪神淡路大震災から24年

       ことしもこの日を迎えました。1月17日午前5時46分

      私は当時神戸放送局に勤務していました。25歳でした。自宅のワンルームマンションで寝ていたのですが、不思議なことに揺れの30秒ほど前に目が覚めました。

      真っ暗な中、なんだろうと思ったその瞬間、すさまじい地鳴りがしました。まるで自分の部屋に向かってロケットか何かが飛んでくるような音。その直後、突然の激しい揺れで体は宙に浮いていました。

      揺れている間は地震かどうかもわからず、ただ命の危険を感じていました。

      揺れが収まると、停電した暗がりの中で倒れたタンスを起こし、手探りでスーツとネクタイを探し出して着替え職場に向かいました。

       私が住んでいたのは神戸市灘区、震度7の地域でした。布団をかぶった人、パジャマ姿の人、通りでは多くの人とすれ違うのですが誰も何も口にしません。静寂の中、ひたすら歩いていると徐々に夜が明けてきました。

      見渡すと、目の前のビルも左右の建物もすべて傾いています。しかも西からも東からも真っ黒な煙が上がるのが見えました。火災です。「これは本当に大変なことになった」と思いました。

       道路も大きく陥没し、車は皆跳びはねるように通り過ぎていきます。タクシーが通るたびに手を挙げるのですが、お客を乗せているような場合ではないので、当然止まってくれません。それでも歩きながらひたすら手を挙げていると、1台が止まってくれました。

      「NHKまで」と言うと、自宅と方向が同じだからと乗せてくれたのです。

       ほどなく神戸放送局の前に着きます。どうやら局の壁にもひびが入り被害を受けている様子です。料金を払おうとすると、運転手さんは「こんな時はお互い様やから」と受け取ろうとしません。そんなわけにはいかないと押し問答をしていると、運転手さんがしびれを切らしたように「ええから、早よ行って、この状況をみんなに伝えてくれや。頼んだで」と大きな声で言ったのです。

      はじかれるように車から降りると、タクシーは地震で波打った道路を、やはり飛ぶように走り去っていきました。

       

      実は学生当時、私はディレクターを志望していました。採用時にアナウンサーと言われ、正直アナウンサーとしての仕事の意味が、よくわからずにいたのではないかと思います。

      しかし、タクシーの運転手さんの一言「被災した人のために、何が何でも伝えるんだ」という気持ちになりました。私の「報道」に対する原点になった出来事でした。

       

      img_190118.jpg

      (写真は、阪神淡路大震災当日、神戸のスタジオからニュースを伝えていた私です)

       

      「復興」とは元に戻ることではありません。多くの命が奪われ、思い出の景色が失われる中で、望む望まないに関わらず、変わっていかざるを得ません。私たちが伝えるのは単に一つ一つの事実だけではありませんその事実をお伝えすることで皆さんの「思い」を「伝える」ことだと思うのです。

       

       神戸は24年たちましたが、当然すべてが癒やされたわけではありません。東日本大震災の被災地でも「辛い思い」や「悲しみ」が簡単に解消されるわけではありません。

      神戸では新たにビルが立ち並び、東日本大震災の被災地では防潮堤やかさ上げの工事が行われて、景色は一変していきます。

      だからこそ目の前の景色だけでなく、皆さんの思いを忘れずにお伝えしていきたいのです。

      24年前に阪神淡路大震災を経験した私、東日本大震災の被災地を思い、そんなことを考えた1日でした。

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