

およそ千四百年前に仏典を求めて中国(唐)からインドへと旅した玄奘三蔵(三蔵法師)は、途中バーミヤンに立ち寄り、次のような記録を残しました。「伽藍が立ち並び、僧侶の数は数千人にのぼり、大仏は黄金に輝いていた」。当時、バーミヤンは一大仏教王国だったのです。王国の栄華を伝える大仏は、2001年にタリバンによって爆破されてしまいました。2003年の世界遺産(危機遺産)登録後、バーミヤンでは遺跡の修復と保存に向けた活動が始まっています。
「シリーズ世界遺産100」の第2回では、日本隊による遺跡調査を通じて、遺跡の保護と住民の生活の再建をどう両立すべきなのかを考えます。日本隊の発掘調査で、大仏がある崖から1.5kmも離れた丘の近くから、仏塔(ストゥーパ)の土台と見られる、石が整然と積み重ねられた遺構が発見されました。このことは、バーミヤンの仏教王国が、予想以上の広がりを持っていたことを示しています。石窟からも新しい壁画が次々に発見されています。しかし、そうした石窟にも住民が住んでいる場合があります。新しく遺跡が見つかった場所から移動を求められる住民は多数にのぼっています。遺跡の保護と住民の生活の再建をどう両立するのか。バーミヤンでは今、模索が続いています。

