2019年11月07日 (木)あきらめの悪いスプリンター


※2019年8月13日にNHK News Up に掲載されました。

日本で一番速いスプリンターは誰か、それを決めるのが陸上日本選手権だ。サニブラウン アブデル・ハキームや桐生祥秀、男子スプリンターに注目が集まったことし、女子のレースには異色とも言える選手が決勝に進んだ。その選手を取材すると“あきらめが悪い”はほめ言葉だと思うようになった。

ネットワーク報道部記者 松井晋太郎

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決勝

スタートラインには、8人の選手が並んでいる。
6月28日、午後8時15分、陸上日本選手権の女子100メートル決勝。

aki.0813.2.jpg日中に雨が降り、ぬれたトラックがライトで照らされている。女子スプリント界はいま若手が台頭し、中心を高校生が占めている。

決勝に残ったメンバーの年齢を見るとそれがよくわかる。1レーンを空け2レーンから8人の選手が並ぶ。

2レーン17歳(高校生)
3レーン16歳(高校生)
4レーン32歳(社会人)
5レーン18歳(高校生)
6レーン23歳(社会人)
7レーン17歳(高校生)
8レーン20歳(大学生)
9レーン20歳(大学生)

4レーンに立っているただ1人の30代の選手を和田麻希という。

aki.0813.3.jpg(和田選手)
「陸上は中学校から続けてきました。気が付けば32歳になっていました」
1分後には、日本一が決まる。


和田は京都出身で、子どもの頃から注目されたスプリンターだった。

専門は100メートルと200メートル。勢いのよいスタートが最大の持ち味だ。

そのリードを守りつつ中盤から後半にかけて余力を上手に使ってフィニッシュまでつなげるのが和田の勝ち方。この勝ち方で高校、大学、社会人とトップレベルで闘ってきた。

aki.0813.4.jpg大学時代の和田選手
しかし日本選手権で1位になったことは、ない。おそらく日本一になる夢を一番長く追い続けているスプリンターで、いわばあきらめの悪いスプリンターだ。
(和田選手)
「体力の衰えも感じますがベテランらしくしっかりやらないといけないと思っています」「ただここ数年は1年、1年が早く感じます」
彼女が1年、1年と言ったのには訳がある。

6月

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社会人となっても競技を続けることは、簡単ではない。1年、1年が勝負で結果が出なければ所属会社との選手契約は切られてしまう。

日本選手権は、陸上を続けられるかどうか、その最重要の試合でもある。
(和田選手)
「社会人になってからは全てが6月の日本選手権で決まります。365日この大会のためだけにやっています」「毎年、冬になると考えるんです、『あと何か月で6月だ』と。そして6月が来ると…生きてる心地がしません」
たった十数秒間で、積み重ねた努力の結果が決まる緊張感の高い生活を、もう15年以上続けている。

aki.0813.6.jpgただ、1度だけ大きな危機があった。

惨敗
2年前の日本選手権だ。和田は前年まで6回、100メートルの決勝に進出してきた。

この時、30歳。ピークが20代とも言われる日本の女子スプリント界ではすでにベテランの域にいた。

春先からのアキレス腱痛もあり万全とは言えない体調だった。

100メートルは予選3組で4着。

タイムも11秒85と平凡に終わり決勝のスタートラインにさえ立てなかった。

200メートルも予選で敗退。惨敗だった。

aki.0813.7.jpg「…もう無でした。情けない、逃げ出したい。年齢のこともあったし続けるのは難しいと思っていました」
和田はふだん、相手の目を見て明るく、はきはきと話すがこの時の話になると目を背けて涙を何度もぬぐった。

言葉
レースで負けた瞬間から、選手をあきらめなければと思った。30歳という年齢、慢性的なアキレス腱痛、自己ベストも長く更新していない。

客観的に見て陸上を続けたいと胸を張って言える状況ではなかった。

そんな敗退直後の和田に、すかさずサブトラックで声をかけた人がいた。

「自分が後悔するなら、続けた方がいい」

大学の陸上部の先輩で、長く練習パートナーをつとめる湊明憲さんだった。

aki.0813.8.jpg和田選手の右が湊さん
(和田選手)
「私が最も言ってほしかった言葉でした。支えてくれる人がいなかったらあきらめていたかもしれません。周りの声を聞くうちに後悔のない選択をしようと思いました」
人は自分の可能性を信じたまま終わりたくない、和田もまたそうだった。

31歳で
長い坂道や、気の遠くなるほどの段数がある階段、それを駆け上がる練習を取り入れ何本も何本も繰り返した。

速くなるための理論に基づくトレーニングというより、和田のことばを借りれば“根性のトレーニング”。

そして迎えた昨シーズン、9月の全日本実業団選手権の女子200メートルで、社会人になって初めてこの大会での優勝を果たす。

その1か月後の記録会。今度は、100メートルを11秒53で走り、4年ぶりに自己ベストを0秒07更新した。

距離に直すと前の記録より10センチ分ほど速くゴールできたことになる。

練習が和田の足を10センチ分速くし、スプリンターとしての進化を止めさせなかった。

aki.0813.9.jpg2018/10/22 和田選手のツイッターより

まだ
冒頭のことしの日本選手権、女子100メートルの決勝。

和田は100メートル先のフィニッシュラインをサングラス越しに見据えて位置についた。

4レーンの和田、3レーンと5レーンの10代の高校生に挟まれてスタートを切る。

aki.0813.10.jpg勢いよく飛び出し序盤は互角。しかし中盤以降、伸びない。50センチ、1メートルと高校生に引き離されていく。和田は7位。優勝は18歳の高校生だった。

aki.0813.11.jpg(和田選手)
「気合いは入っていましたが高校生は元気で勢いがありました。失敗はなかったので結果は実力です」

200メートルも決勝まで進んだが5位に終わった。その日、話を聞くと“決勝は、見える景色が全然違う、久しぶりに緊張感を味わうことができた”と話したあと、こう続けた。
「去年ベストを出したのでもう1回自己ベストを更新したい。ベストを出せるという気持ちがあるのでその間は粘って走りたい」
進化を信じて勝負を続けるつもりだ。
「日本選手権では1度も1位になっていないからこそ夢があると思っています。まだできると自分で思っている以上は、あきらめたくない。まだ自分自身にあきらめがつかないので」

aki.0813.12.jpg好き
中学、高校、大学とともに陸上をやってきた仲間のほとんどが結婚し、母親になっている。

和田も10代の頃は、そんな人生を夢みていた。でも、いま全く違う人生を歩いている。

「陸上は好きですか?」と聞いてみたら、少し迷いながらどこか申し訳なさそうに答えてくれた。
「…よく聞かれるんです。実は陸上は好きじゃないんです。だってつらいこと、苦しいことばかりですから。いいことなんてほんの少しです」

aki.0813.13.jpgその後の言葉に、あきらめずに続けられる理由の一端を知れた気がした。
「でも…。陸上をしている自分は好きなんです。何かに向かって頑張っている、それがなかったら私じゃない。陸上のおかげで自分を好きでいられると思います」
毎日を過ごす中でいいことなんてほんの一瞬と思うし、そもそもあるかどうかもわからない。

ただ何か目的を成し遂げた人は全員、成し遂げることをあきらめなかった人であることは間違いない。

つまり何かを成し遂げるためには、あきらめが悪い方が成功する率は高い。

aki.0813.14.jpg和田は努力に裏打ちされたあきらめの悪さで走り続けている。

投稿者:松井晋太郎 | 投稿時間:15時27分

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