2019年10月23日 (水)「いちばん偏見を持っていたのは、私かもしれない」


※2019年7月20日にNHK News Up に掲載されました。

外国にもルーツがある子どもたちを取材していると、「ガイジン」ということばを毎日のように言われていると話す人がたくさんいます。このことばを聞くと体がこわばったり、嫌な気持ちになるという人もいます。たかだか「ガイジン」ってことばなんて気にしない、そう言える人もいます。でも、傷つきたくないので、自分自身を「ガイジン」と思うことで身を守ってきた女性の話を聞いて、改めて「ガイジン」と言われ続けることの意味を考えました。

ネットワーク報道部記者 木下隆児

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寄せられたメール

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「ほかの誰より自分自身がいちばん、私をガイジンだと偏見を持って見ているのだと思います」
外国にもルーツがある子どもたちを取材する中で、こうメールを寄せてくれた女性がいます。

なぜそう思うのか知りたいと思い連絡をとると、話を聞かせてくれました。父親が日本人、母親がアメリカ人の山田サラさん(仮名・30歳)。

少しカールした髪、白い肌に大きな瞳が印象的な女性でした。

ichibann.190720.3.jpg保育所で姉と一緒のサラさん(右)
サラさんが「ガイジン」ということばを意識し始めたのは、保育所に通っていた時だといいます。

先生に連れられて散歩に出て、近くの幼稚園の前を通ると決まって園児たちが集まって、フェンスを揺らしながら「ガイジン!ガイジン!」と言ってきました。

その姿を見るたびに、サラさんは恥ずかしいような、悲しいような気持ちになったことを覚えています。

物心がつくころには、「ガイジン」の自分は「ののしられる存在」なんだと意識していたといいます。

人生の選択肢に入らない

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今でもはっきり覚えていることばがあると、サラさんは話してくれました。小学校2年生のとき、友達と下校していると、男子の他愛もない会話が聞こえてきたといいます。
「お前、サラのこと好きだろ」
「なんで?サラは『ガイジン』やん」
もしかしたらその男の子にとっては、てれ隠しで言ったのかもしれません。

でもサラさんにとっては、「私の見た目がみんなと違うというだけで、誰かの人生の選択肢に入らないんだ」と感じたそうです。

だから、学校で誰かと2人組で何かをしなければいけないとき、相手が嫌がる顔を見たくないので、「私はガイジンだから」と自分から一歩引いてしまう癖がついていました。

辞退した英語の弁論大会
こうした癖は、本当なら自慢できるような場面でも出てしまうこともありました。

サラさんが家で使っていることばは日本語で、英語の勉強を始めたのは、ほかの人と変わらず中学生からです。
英語が得意だった姉に憧れて、サラさんも英語の勉強に取り組んで、中学1年生の時は、英語の弁論大会で学校の代表になり、郡の大会で1位にもなりました。

でも、会場から聞こえてきたのは「あれはせこいやろ」という声。

2年生でも3年生でも弁論大会は学校で1位になりましたが、学校の代表になることはみずから辞退したといいます。

ichibann.190720.5.jpgガイジンの私が学校の代表だったら、周りからは『せこい』と見えて当然だし、せこいことしていると思われたら、学校側に申し訳ないなって思って、ほかの人に出てもらうように先生にお願いしました」
半年以上海外に留学していないという条件も満たしていた、お姉ちゃんに教えてもらって、たくさん練習もした。

でも、また「せこい」って言われる。

私が逆の立場だったら、みんなと同じように「ずるい」って思う。

だからサラさんは、このときも自分から身を引いてしまいました。

数え切れないほど言われた「ガイジン」

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サラさんは高校まで宮崎県で暮らしていて、いろんな場面で「ガイジン」と言われてきたといいます。

学校帰りや、町中を歩いているとき、全然知らない人から「ガイジンや」と言われたり、「お、ガイジン」と言われて、いきなり写真を撮られたこともあるそうです。

「ガイジン」と呼ばれるのが当たり前になり、慣れてしまったと話すサラさんですが、自分が「ガイジン」であることに、どうしてもネガティブな感情を持ってしまうといいます。
「アルバイトを選ぶとき、スーパーやコンビニの店員になることを想像してみましたが、レジに私が立ってたら、子どもが怖がるかもしれないなと思ってやめました。大学ではファッションの勉強もしていたので、アパレル関係の店員になることも考えましたが、私から服を勧められたら怖いだろうなって」

自分の中にも「日本人」がある
自分のルーツにネガティブな感情を持ち続けたくないと考えたサラさんは、神奈川県内の美術大学を卒業してからの4年間をアメリカで過ごしました。

サンフランシスコやニューヨークでアルバイトをしながら、芸術活動をする毎日。

ichibann.190720.7.jpgサラさんがニューヨークで展示した作品
街にはいろんな国の人たちがいて、自分のルーツや外見を気にせず過ごせました。

あるとき、現地の人からサラさんが話す英語が「ジャパニーズイングリッシュ」だと指摘されたことがあったそうです。
「あ、自分の中にも『日本人』があるんだ」
そのときサラさんは、はっと気付きました。

何度となく言われてきた「ガイジン」ということば。

自分が傷つかないように、自分を守るために、無意識のうちに自分自身を「ガイジン」という殻で覆わざるをえなかった。

でも、その殻の中には、日本人でもある自分が残っていた。

英語をしゃべっていても、外見が「日本人」でなくても、私を日本人だって気付いてくれた。

サラさんは、少しうれしい気持ちがしました。

ichibann.190720.8.jpgやっぱり私は「ガイジン」
でも、日本に帰ってくると、やっぱり「ガイジン」の殻をかぶってしまう自分に、サラさんは気付いたといいます。

人と話そうと思っても、「ガイジン」である自分のことをどう思うかが不安になって、うまく会話ができない。

結局、ルーツに対するネガティブな感情はサラさんの中からなくなっていませんでした。

ichibann.190720.9.jpg「以前日本にいたとき以上に自分の外見が気になるようになってました。やっぱり私自身がいちばん自分のことを『ガイジン』って思ってるんだと思います。自分で自分のことを『ガイジン』って考えるのを変えていかなきゃいけないのかもしれませんね」

取材を終えて
確かに外国にルーツがある人たちの中には、「ガイジン」ということばに抵抗を感じないと言う人がいるのも事実です。

ことさらに、ルーツが違うというだけでいじめや差別を受けるということを強調するつもりもありません。

でも、サラさんの話を聞いていて、「ガイジン」と言われ続けることの意味を改めて考えてみようと思いました。
「外国人“依存”ニッポン」
https://www.nhk.or.jp/d-navi/izon/

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投稿者:木下隆児 | 投稿時間:14時33分

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