2018年02月09日 (金)77歳の写真家 マラソンに懸けた"枯れ葉剤被害"支援の思い


※2018年1月26日にNHK News Up に掲載されました。

下半身がつながって生まれた双子「ベトちゃんドクちゃん」。ベトナム戦争でアメリカ軍がまいた枯れ葉剤の影響とみられています。2人の存在が、日本中に広まったのはこの写真がきっかけでした。撮影したのは、ベトナム戦争当時から取材を続けてきた報道写真家の中村梧郎さん。ベトナム戦争からおよそ半世紀がたったことし、中村さんは77歳にして新たな挑戦をはじめました。“今も、枯れ葉剤の影響は終わっていない。その現実を日本をはじめ世界中の人に知ってもらいたい”。思いに迫りました。

ネットワーク報道部記者 飯田耕太

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<300万人以上とも“枯れ葉剤の健康被害”>

77s180126.2.jpg枯れ葉剤は、ベトナム戦争でアメリカ軍が大量にまいたものです。猛毒のダイオキシンを含むものもあります。兵士が潜むジャングルや田畑を枯らしてゲリラ活動を弱体化させるのが狙いでしたが、影響は多くの住民に及びました。枯れ葉剤の影響とみられる、障害がある子どもが各地で生まれたのです。汚染された土地で健康被害を受けたのは300万人以上に上ると言われています。


<ベトナムで見た”死の世界”>
中村さんが初めてベトナムを訪れたのは1970年。戦争のさなかでした。大学を中退し、写真家として公害や労働問題を中心に取材してきた中村さん。苦しむ人たちの思いを伝えたいとベトナム戦争が終わったあとも、現地で取材を続けてきました。戦場という凄惨な現場の中でもとりわけ衝撃を受けた光景があるそうです。

77s180126.3.jpg一面枯れ果てたマングローブの林に、1人裸足で遊ぶ男の子。のちに中村さんが著書の中で、「死の世界」と呼んだその場所は戦争中、多量の枯れ葉剤がまかれた地域でした。かつて取材した男の子はその後、全身まひを患い亡くなったそうです。


<今も続く“枯れ葉剤被害”の実態>

77s180126.4.jpg経済発展が続くベトナム。その一方で、枯れ葉剤の影響は今も影を落としています。枯れ葉剤の影響とみられる健康被害は、「第3世代」と呼ばれる今の子どもたちにも。
ホーチミンから北西の町「クチ」に住むグエン・ホアイ・トゥオンさん。この9歳の女の子は、生まれつき両手足の先がありません。

77s180126.5.jpg母親のジャンさんは結婚前にこの地域に移り住み、娘を出産したあと、家の周囲が枯れ葉剤に汚染されていたことを聞かされたといいます。この町はベトナム戦争最大の激戦地の1つで、集中的に「枯れ葉剤作戦」が展開された地域。
娘のトゥオンさんの障害と枯れ葉剤の因果関係はまだ、証明されてはいないそうですが、家族が参加している被害者の支援団体は“枯れ葉剤の影響の可能性が高い”との見解です。
ジャンさんも「この地の物を食べて、水を飲んできました。知らないうちに被害を受けて、障害がある子が生まれてきたのです。もし子どもの体を替えることができるなら、すぐに替えてあげたい」と語ります。

77s180126.6.jpg娘のトゥオンさんの将来の夢は画家になってお金を稼ぐことだと言います。その理由を尋ねるとトゥオンさんは、両腕を上手に使って砂浜の絵を描きながら、笑顔でこう話していました。
「海には行ったことがないけれどお金を貯めて、いつか家族を旅行に連れて行ってあげたいの」

77s180126.7.jpgベトナムには、枯れ葉剤の影響とみられる子どもたちを受け入れる施設があります。ホーチミンの産婦人科病院に併設された「平和村」と呼ばれるこの施設では体が変形したり、手足がなかったりする子どもなど60人が入所し、介護やリハビリを受けていました。
支援団体などによりますと、枯れ葉剤の健康被害については、ダイオキシンによる遺伝子の変化や、胎内・母乳からの影響、環境汚染などの研究が進められていますが、いまだにわからないことが多いそうです。

77s180126.8.jpgレ・ティ・ヒェン・ニ施設長
「平和村」のレ・ティ・ヒェン・ニ施設長は「子どもたちのために早く解明されてほしいですが、研究は数世代にわたって行われているのでまだ時間がかかりそうです」と話していました。
WHO=世界保健機関の最近の調査では、ベトナム国内で障害が確認された子どもたちは15万人に上るとされています。
ベトナムでは政府が枯れ葉剤の被害者と認定すれば、一定の補償が受けられる制度もありますが、さまざまな条件をクリアしなければならず、支援を必要とする人は子どもを含め、相当数に上るといいます。


<“BIG2”が大会を後押し>
半世紀近くベトナムを取材する中で、現実を目の当たりにしてきた中村さん。継続的に手を差し伸べる手だてはないかと思いついたのが、チャリティーマラソンでした。
ベトナムでも戦争や枯れ葉剤の記憶が薄れゆく中、多くの人が集まるマラソン大会を開催し、支援を呼びかければ、枯れ葉剤の影響について、もっと理解を得られるのではないかと考えたのです。
「新たな世代にも被害が生まれ、戦争は終わっていないと感じる。マラソンを通じて苦しんでいる子どもたちや家族への支援につなげたい」

77s180126.9.jpg初めての試みとなったチャリティーマラソン。中村さんの思いに心を動かされた2人が力を貸してくれました。1人は「ベトちゃんドクちゃん」の弟、グエン・ドクさん(36)です。

77s180126.10.jpg誕生から毎年のように、兄弟の姿をカメラに収めてきた中村さんは日本でも大きな注目を集めた分離手術で、写真家としてただ1人立ち入りを許され、撮影したのがこの写真です。

77s180126.11.jpgグエン・ドクさん
36歳になったドクさんは去年、腎臓の病気を患い、6度の手術を繰り返しました。もとは1つの体を分け合った兄のベトさんは10年前、同じ腎臓の病気で亡くなっています。
ドクさんは最近、「自分はこの先、長くはないかもしれない」と吐露することもあったそうですが、「私より大変な生活をし、全く未来が見えない被害者もたくさんいます。私はその人たちのために支援がしたい」とチャリティーマラソンへの協力を約束してくれたそうです。

77s180126.12.jpgそして、もう1人がシドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子さんです。2人は、知り合いではありませんでしたが、10年ほど前、このマラソン構想を描きはじめた中村さんは「マラソンといえばQちゃん」と思い立ち、手紙を送って“枯れ葉剤被害”の現実とチャリティーマラソンへの熱意を伝えたそうです。
その趣旨に賛同し熱意を受け止めた高橋さん。構想が実現した今回の大会に日本から駆けつけ、参加してくれたのです。
「実現まで長い時間がかかりましたが、それだけずっとためて、ふくらませた中村さんの思いがつながり、本当によかったです。私も心待ちにしていました」


<思いを込めた“オレンジ色”>

77s180126.13.jpg1月14日、チャリティーマラソン当日。今回の参加者はドクさんをはじめ障害者やその支援者、さらには飛行機に乗って駆けつけた日本人のランナーまで約100人。参加者が身につけていたのは、オレンジ色の帽子やTシャツ。「オレンジ剤」とも呼ばれた“枯れ葉剤の被害”を忘れてほしくないという意味が込められています。
1人1人が目標の距離を走りきり、大会は無事に終了しました。

77s180126.14.jpg日本から駆けつけた高橋さんは、チャリティーマラソンに参加したほか障害者施設も訪ねて子どもたちを激励して回りました。
「戦争の被害がこれだけ長く続くんだと改めて感じました。オレンジ色の深い意味をみんなが知って一歩一歩踏みしめながらマラソンを楽しめる大会になってほしいです」と話していました。
このチャリティーマラソンは参加費の一部や集められた募金を基金化して支援に充てようという試みです。今回は100万円ほどが充てられるそうで、参加者が多ければ多いほど支援できる額は増えます。

77s180126.15.jpg大会の盛り上がりや支援の広がりに今後への手応えを感じたという中村さんは「継続した支援のためにも毎年開催することが大事で、国を超えて多くの人に参加を呼びかけていきたい」と話していました。


<悲劇に手を差し伸べて>
世界中で今も紛争が絶えない中、ひとたび戦争が起きれば一般の人も巻き込まれて、何十年、何世代にもわたって続く被害もあります。それでも、「延々と続く悲劇もある。ただ、それに手を差し伸べることもできるんだ」。そう力強く語ってくれた77歳のジャーナリストのことばはいつまでも私の耳に残りました。

投稿者:飯田耕太 | 投稿時間:17時07分

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