2017年12月14日 (木)アシスタントは"塀の中"の人たち


※2017年11月30日にNHK News Up に掲載されました。

2年前に発売された1冊のミステリーコミック。山口県を舞台に、次々と起きる不審死の謎に探偵が挑む物語です。実はこの作品の背景画の半分以上を手がけたのはいわゆる“塀の中”の人たちです。
なぜ、受刑者がコミックの制作に関わることになったのか、そこには、立ち直りにつなげてほしいという漫画家の思いがありました。

ネットワーク報道部記者 吉永なつみ

ahi171130.1.jpg

<地元とのつながりがきっかけ>

ahi171130.2.jpgそのミステリーコミックのタイトルは「汚れちまった道」。ベストセラー作家の内田康夫さんの推理小説が原作で、作中に登場する山口県の山あいの町の風景や神社、ホテルなどの背景画およそ60点は、山口県美祢市にある「美祢社会復帰促進センター」の受刑者が、1年半の歳月をかけて描き上げました。

「社会復帰促進センター」は民間事業者のアイデアやノウハウを生かそうと、10年前に導入された国と民間が共同で運営する刑務所です。全国に4か所あり、美祢では犯罪傾向が進んでいない、初犯の受刑者合わせて1300人が収容されています。

ahi171130.3.jpg美祢社会復帰促進センター
全国の刑務所では、家具や生活雑貨から伝統工芸品までさまざまな製品が刑務作業で作られていますが、漫画の背景画を製品として納めているのは全国でも美祢市の刑務所だけです。

所管する法務省矯正局は「社会復帰促進センターは地域との共生を掲げていますが、今回はまさに地元とのつながりから生まれた共同運営ならではの作業です」と話しています。


<漫画家のひと言から始まった>

ahi171130.4.jpg「よかったら皆さんも漫画の背景を描いてみませんか?」

3年前、「美祢社会復帰促進センター」を見学で訪れた漫画家の苑場凌(そのばりょう)さんは刑務作業中の12人の受刑者にこう語りかけました。

私語は厳禁とされている場所で、言葉を返す人はいませんでした。
それどころか「何をおかしなことを言ってるのだ」と苑場さんの顔を不審げに見る受刑者もいたといいます。

ahi171130.5.jpg美祢市出身の苑場さんは東京で漫画家としてデビューしてから25年。そろそろ地元に貢献したいと考えていました。これまで何十人ものアシスタントを雇い一緒に仕事をしてきた苑場さんですが、素人の人たちと一緒に漫画を制作するのは初めてのことでした。

背景画を描くためには基になる写真を画像編集ソフトに取り込み、タッチペンで輪郭を写しとって線の太さに強弱をつけて立体感のある絵に仕上げていきます。

売り物になるレベルの絵を描く技術は、一朝一夕に習得できるものではありません。さらに刑務所内は自由が制限されているため、受刑者が練習をしたくても時間はありません。心配ごとを挙げればきりがありませんでしたが、苑場さんには挑戦してみたいという強い思いがありました。


<昔の仲間を見るよう…>
「受刑者に頼むことにちゅうちょはありませんでしたか?」という問いかけに「いやあ、昔の仲間を見てるようでね」と笑顔で返した苑場さん。

今では物腰の柔らかい落ち着いた雰囲気の苑場さんですが、高校時代は不良仲間と一緒にバイクを乗り回すかなりのワルだったそうです。

ahi171130.6.jpg高校時代の苑場さん
転機は高校2年生の時。当時新卒まもない担任の男性教師が、妻が出産を控えているにもかかわらず苑場さんを家に迎え入れ、何日間もつきっきりで勉強を見てくれたのです。

そのおかげで、最下位だった苑場さんの成績は次の試験では上位3位に入りました。教師は「お前は今まで勉強をせんかっただけや。やりゃできるじゃろうが」と努力を認めてくれました。

苑場さんはこの体験を糧に勉強を続け、無事に高校を卒業することができました。苑場さんは、つっぱっていた当時の自分や不良仲間の姿を受刑者に重ね合わせています。

「導いてくれる人との出会いによって、人は変わることができる。自分が経験したように、彼らに変わるチャンスを少しでも与えることができたらうれしい」


<見違えるように変わっていく>
苑場さんは当初、何回か指導して受刑者の作業に対する姿勢が変わらなければ、潔く身を引こうと考えていました。

ところが、毎月1週間ずつ刑務所に通って指導を重ねるたびに受刑者の表情は見違えるように変わっていきました。

初日に苑場さんを不審げに見ていた20代後半と思われる受刑者の男性。名前や年齢、犯した罪などは聞かない約束となっています。

初めて描いた建物の外観の絵です。
気持ちのこもっていない無機質な絵でした。

ahi171130.7.jpgそれが、3か月後。
丁寧に細部まで再現しています。

ahi171130.8.jpgこの受刑者は、真っ先に手を挙げて「定規を使えないこま犬や石灯籠はどうしたらうまく描けますか」と質問したといいます。苑場さんは質問の的確さに手応えを感じ、指導に熱が入りました。

その後、この受刑者は出所するまでの1年半、12人のアシスタントチームのチーフとして班をまとめました。

苑場さんの熱意に応えるように腕を上げた受刑者が描いた神社の絵は、冒頭で紹介したコミックにも挿入されています。

ahi171130.9.jpg苑場さんは受刑者に、出所後、漫画家の道を目指してほしいとは考えていません。それよりも、背景画を描くことを通じて途中で投げ出さない粘り強さを身につけてほしいといいます。

そのために、苑場さんはことしから、みずからの会社のホームページ上で受刑者が描いた背景画を作品の素材として販売を始めました。

背景画は1枚300円から500円程度。最近ではプロの漫画家から特注の依頼も受けました。注文の段階では1枚5000円と指定されましたが、その漫画家は仕上がりの完成度の高さに感激し、6000円で購入したといいます。

ahi171130.10.jpg漫画家本舗HPより


<自己肯定感の向上に>
医療などの現場で絵画療法に取り組んでいる日本クリエイティブ・アーツセラピー・センターの関則雄代表は「背景画の作業には、高い集中力が必要とされるし、その集中力を持続させるだけの魅力もある。作品を完成させることによって達成感も得ることができる。自分の作品を買い取ってもらうことにより、社会との接点を持ち、それが自己肯定感の向上につながる利点もあるのでは」とその効果を分析しています。


<この経験を糧に>
「もうちょっとここにいたかった。社会に出てからが不安なんです」

苑場さんはアシスタントチームにいた1人の受刑者が出所前につぶやいた言葉が忘れられないといいます。その受刑者が初めの頃いいかげんに描いた車の絵と、出所前の作品を比べて見た時に、苑場さんは、「彼なら外に出てもがんばってくれるだろう」と思っています。

犯した罪と向き合いながら、この経験を糧に自分の道を切り開いていってほしい。苑場さんは私語厳禁の作業部屋で、出所後の行き先も知ることのないアシスタントの1人ひとりに今も心の中でエールを送っています。

投稿者:吉永なつみ | 投稿時間:16時43分

ページの一番上へ▲