2018年09月13日 (木)ボブ・ディランも"出たい" フジロックの20年


※2018年8月3日にNHK News Up に掲載されました。

閉幕後1週間たっても、ネット上でその感想が熱く語られている野外の音楽イベントがあります。新潟県湯沢町の苗場スキー場で7月27日から3日間にわたって開かれた「フジロックフェスティバル」です。この地で開催されるようになって20年。時には雨風が容赦なく吹き付け、誰もが「過酷」と言うもののまた来てしまう魅力から、あのボブ・ディランも自分から「出たい」と言った裏話まで、お伝えします。

新潟放送局ディレクター 竹井よう子・赤星貴晃・吉村鴻大郎
ネットワーク報道部記者 木下隆治

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<フジロックに初参戦!>
bob180803.2.jpg左端が筆者(吉村)
新潟放送局に配属され丸2年。ことしこそは行くしかないと、私(吉村)は同僚とチケットを購入しました。フジロックは、湯沢町の苗場スキー場という広大な会場に設けられたいくつものステージで、国内外の200組ほどのミュージシャンが3日間にわたって演奏を繰り広げる日本最大級の音楽イベントです。

ただ、夏でも夜はかなり冷え込むほか、天候も変わりやすく、宿泊施設も限られ、テントで3日間過ごす人もいることから、日本で最も過酷な野外フェスとも呼ばれています。


<やっぱり来てよかった!>
初心者の私は、タオル1枚に携帯電話と財布だけという軽装で乗り込みましたが、これが大失敗。お昼ごろには汗と土まみれになり、たまらず現地で着替えを調達しました。

一番のお目当ては、人気ロックバンド「サカナクション」。1時間前からスタンバイしていたかいもあり、ステージから10列目ほどの好位置をゲット。夕暮れのなか、演奏が始まるとフェス独特の熱気とファンが作る一体感で、大盛り上がりでした。

また雄大な山々に囲まれた非日常的な空間で、格別の音楽をさかなに飲むビールのうまいこと。広い会場を探索する最中、知らない外国のアーティストのステージに出会い、新しい音楽にも触れられました。やっぱり来てよかった!


<不便の中で音楽を楽しむ>
なぜ、大自然の中でこのイベントを始めたのか。フジロックの生みの親で運営会社の社長、日高正博さんは、若い人たちに新しい価値感を伝えたかったと話します。

bob180803.3.jpg日高正博さん
「突然雨は降るし、突然カンカン照りになるし。最初は文句をいいましたよ、お客さんは。でもだんだん慣れてきて、みんな自分のスタイルで楽しんでいる。自然の中でキャンプをしながら過ごせば、人は学ぶことがある。日本人はとにかく便利さが好き。だから不便さの中で音楽を楽しめば、ものの見方が変わってくると思った」(日高さん)


<伝説の初回 耳から泥が!>
フジロックの伝説の1回目を、私(木下)は知っています。当時は高校1年生、6歳上の兄と2人で初めての野外フェスに臨みました。

会場は今とは違う富士山のふもと。場所取りを考え前日から会場入りした私たちを待ち受けていたのは台風とともに降る冷たい雨でした。翌朝演奏がスタートするまでには、すでに多くの体力を奪われていました。

しかし、1組目のバンドがステージに現れると、待ちかねた観客が一斉に波打ち、興奮のるつぼと化しました。雨で緩んだ地面は、観客の足に踏まれて、田んぼのようになっていました。跳ね上がる泥、観客の熱気で立ちのぼる湯気、泥と汗が混じって広がる鼻をつくにおい。

夜、最後の「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の演奏が終わったあとは、テントもなく泥まみれで、震えながら夜が明けるのを待ったことを覚えています。家に帰ったあとも、しばらくは耳から泥が出てきましたが、それもいい思い出です。


<やっぱり台風来た!>
その後、フジロックは新潟の苗場スキー場に場所を移し、この地での開催は20年。この記念すべき年にもやっぱり来ました、台風12号。

新潟県にはそれほど近づかなかったものの、それでもツイッターには、強風で揺れたり飛ばされたりしてまった画像などが投稿されています。それすら楽しんでいる人たちが多いのもフジロックの特徴です。
「外に出てテントを張り直すのもみんな笑顔。テントが壊れた人には『諦めて外で遊んでください』とアドバイスしていました」
「翌日に日が差し込んですばらしいロケーションの中で聴く音楽は、自然の表裏を全身で感じているような気がして泣きたくなった。神々しかったな」(参加者)


<ボブ・ディランが「出たい」>

bob180803.4.jpgボブ・ディラン
ことしの最も大きな話題の一つは、ノーベル文学賞を受賞した伝説の男、ボブ・ディランの出演です。それにしても主催者の日高さんは、ノーベル賞の授賞式さえ欠席した男をどうやって呼び寄せたのでしょうか?

「実は3、4年前にもフジロック出演の話を持ちかけたことがあったが、直前で『やっぱりやめた』と白紙になった。そしたら今度は、自分から『出たい』と言い出したんだよ。最初は『うそつけ』と思った。ちゃんとステージに上るまで信じられないぞと」

そのボブ・ディランが楽屋として使った場所を、外から見せてくれました。メインステージのすぐ裏側に建てたテントの一番奥。中には、ソファーとテーブルがあるだけのシンプルな作りです。

bob180803.5.jpg楽屋には…扇風機もありますけどね
そして日曜日、ボブ・ディランはステージに現れました。いまやフジロックは世界のアーティストに知られ、誰もが“歌ってみたい”と思わせる舞台になっているのです。


<地域が支えるフジロック>

bob180803.6.jpg3日間で13万人近くが訪れるフジロックは、地元・湯沢町の人たちの支援も欠かせません。今回もフェスティバルの2週間前には町民が集まり、客がステージへと向かうための木道を手弁当で整備しました。しかし地元の人たちは最初からフジロックを歓迎した訳ではありません。


<地元の不安 解消したのは観客>
地元の町内会長の師田富士男さんは、当初、「言葉は悪いが、“質の悪い人たち”が押し寄せてくるとか、地元にゴミが落ちるとか、いろいろな話が出ていた」と話します。

ところが主催者と観客が一体となって、会場だけでなく周辺の道路のゴミ拾いをしている姿を見て、気持ちが変わったと言います。

bob180803.7.jpg師田富士男さん
「食事のゴミの片づけをふつうゴム手かなんかしてやるのを、若い人たちが素手でやっているのを初めて見た時、『すごいな、俺には絶対できないな』と思った」(師田さん)


<町の将来をフジロックとともに>
フジロックとともに町の将来を作っていきたいという人もいます。地元でホテルを経営している金澤健太さんは、これまでもフジロックを訪れる外国人と交流を深めてきました。そして苗場の将来のために、さらに外国人が求めているようなイベントを行って多くの外国人を誘致したいと考えています。

bob180803.8.jpg金澤さん(左)と日高さん


<ちょっと心配なこと>
“世界一クリーンな音楽フェス”とも称えられるようになったフジロック。しかし今、ちょっと心配なことも広がっています。回数を重ねる中で、最近は会場にゴミが散乱するなど、マナーが低下しているというのです。

「フジロックごみ増えたなぁ…」「ゴミとか散らかり放題」


<親子3代で楽しめるイベントに>
それでも今回訪れた人たちの感想を見ると大丈夫だと思えてきます。

「帰る人もいればトイレ行く人もいるし、近くで見たい人もいれば寝る人もいる感じ。非常にフジロックっぽくて最高だな、ありがとうフジロック」
「毎回行くのおっくうでできれば行きたくないのは過酷だからなんだけど、行ったら行ったでちゃんと楽しんで帰ってくるわけで。そこがフジのよいところなんだよね。『楽しませてもらう』んじゃなくて、『自分で楽しみを見つける』ところが」

苗場で20年の時を刻んだフジロック。その将来について、日高さんはこう語ってくれました。

「夢は3世代が楽しめるイベント。祖父母、父母、その子ども。例えば、おじいちゃんがボブ・ディランを楽しんで、30代くらいのお父さんも来てロックを楽しむ。そして子どもはラップを聴いて。『なんだおまえ、そんなの聞いているのか』とか会話が生まれれば一番いい」

投稿者:木下隆児 | 投稿時間:16時25分

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