2019年11月20日 (水)"キコク"はしたけれど


※2019年8月30日にNHK News Up に掲載されました。

「お前はアメリカ人だ」
ずっとそう言われ続けました。
あだ名も「アメリカ人」になりました。
でも、どうしてそんなふうに呼ばれるのか、考えても考えても分からないんです。
無視され、距離も置かれ、味方はひとりもいませんでした。
私が何をしたんだろう…
私の何が悪いんだろう…
大好きな日本に“キコク”したのに「ここにいないほうがいいのかな」とさえ思いました。

ネットワーク報道部 記者 鮎合真介

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アメリカ帰りの女の子

彼女は飯田麻衣さん(28)です。
大阪府出身で5歳のときから6年半、父親の仕事の関係でアメリカに住んでいました。

kikoku.190830.2.jpg飯田麻衣さん
英語は最初全く話せませんでした。
でも一生懸命に勉強し、2年半がたつころには、通っていたアメリカの学校の授業についていけるぐらいになりました。
積極的に前に出るタイプだった飯田さんはクラスの中心的存在となり、友達もいっぱいできて楽しい日々を送っていました。

日本に帰国したのは、小学6年生になるタイミング。
ふるさとの大阪に戻り、地元の公立小学校に2学期から編入しました。

何この人?
「アメリカでも友達がいっぱいできて楽しかった。日本でも友達をいっぱい作ろう」
そう意気込んでいた飯田さんは、休憩時間になると積極的にみんなに話しかけました。ところが、どうも様子がおかしいのです。

「何この人?」
待ち受けていたのはクラスメートの冷たい視線。予想もしていなかった反応に、飯田さんはすぐに「あれ?」と思いました。

「私、何かしたのかな?」
考えてはみたものの、思い当たることはありませんでした。
しかし、飯田さんは周りのクラスメートから無視され、距離を置かれました。

3日目くらいから飯田さんは気付きました。
「あ、私、溶け込めていない」

忘れられない出来事
飯田さんには、今でも鮮明に覚えていることがあります。
給食のときに出された、牛乳瓶のふたの開け方が分かりませんでした。アメリカでは牛乳がパックだったからです。
開けようと試行錯誤していると、ふいに指がズボッと瓶の中に入り、牛乳がペシャッとこぼれてしまいました。

それを見た同じ給食の班の子たちから、こう言われました。
「わー、アメリカ人だから、そんなこともできないんだ」
「アメリカ人って何もできないんだね」

その給食の時間帯、飯田さんはずっと「お前はアメリカ人だ」と言われ続けました。
味方になってくれるクラスメートは1人もいませんでした。

“日本にいないほうがいいのかな”
クラスのみんなが飯田さんを拒絶しているかのようでした。
身だしなみ、靴、それにかばんがランドセルではなくてバックパックだったこともからかわれました。

kikoku.190830.3.jpg込み上げてくる恥ずかしさと悔しさ。
でも、なぜアメリカ人と呼ばれるのか、分かりませんでした。
「自分は日本人なのに、何でアメリカ人と呼ばれるのだろう?」
「日本が大好きなのに、なんでこんなに距離を置かれるのだろう?」
「私、日本にいないほうがいいのかな」
頭の中でぐるぐると回り続ける自問自答。
でも、答えを見つけることはできませんでした。

次第に朝起きられなくなり、体調不良を理由に学校を休みがちになりました。
日本の小学校に編入してから、まだ2週間しかたっていませんでした。

kikoku.190830.4.jpgその後も、やっとの思いで学校に行ったこともありました。
ただ、休憩時間がとにかく苦痛でした。
みんながお互いの席に行って友達どうしで話したりするのに、飯田さんはひとりぼっちだったからです。

1人でずっと絵を描いていて、早く休憩時間が終わってほしいといつも思っていました。給食の時間も地獄のようでした。
「食べなくていいから早く終わって」と、それだけを考えていました。

大好きな日本が私の誇り
子どものころ、飯田さんの将来の夢は漫画家になることでした。
アメリカにいたときは、クラスメートに日本について知ってほしくて、描いた漫画をみんなに回し読みしてもらっていました。

kikoku.190830.5.jpg当時飯田さんが描いた漫画
さらに「日本が大好き、もっと日本について知ってもらいたい、日本はすばらしいところだよ」とクラスメートに言い続けました。
それが影響したのか、みんな日本のことを大好きになってくれました。

kikoku.190830.6.jpg小学3年生のころ

日本人であることに強いプライドを持っていた飯田さん。それが帰国によって、日本の印象は180度変わってしまいました。

“お嬢さんは特殊”
家にひきこもりがちになった飯田さんの身を案じた母親は、飯田さんに対する扱いや対応について「もう少し考えてもらうことはできないか」と担任の先生に相談したそうです。

kikoku.190830.7.jpgところが、思いもよらないことばが返ってきました。
「お宅のお嬢さんは特殊なので、私としては何もできないです」
これを聞いた母親は「この学校にいては、もうダメだ」と感じ、転校することを決めたといいます。
飯田さんは結局、たまたま空きがあったインターナショナルスクールに転校することになりました。
日本の小学校に編入してから、わずか1か月後のことでした。

海に戻された魚
授業料は当然、これまでと比べ物にならないほど高くなりました。
場所も当時住んでいた実家からバスや電車で片道1時間半もかかるところにあり、利便性は決していいとは言えません。

kikoku.190830.8.jpgそれでもしばらくすると、飯田さんは母親から「海に戻された魚のように生き返った」と言われました。

友達もできて、ふつうの学校生活を送ることができるようになりました。インターナショナルスクールには高校卒業まで通いました。

飯田さんの両親は、どこかのタイミングで日本の学校に戻ってほしかったようですが、飯田さんは「日本の公立学校には行きたくない」と、かたくなに戻ることを拒否しました。
公立の小学校でいじめられた経験が理由でした。

私がいじめられた理由
なぜ自分はいじめられたのか。
飯田さんは当時をこう振り返りました。
「当時の私はけっこうアメリカンな感じで、日本語もなまっていました。それに編入したタイミングも悪かったと思います。私が編入する直前の夏休みの宿題で、祖父母に戦争の体験について話を聞きなさいというものがありました。その影響か、クラスメートはアメリカは敵の国だと思ってしまっていて、偏った見方を持ちやすくなっていたのではないかと思います」

kikoku.190830.9.jpgまた学校側の対応についても、こう指摘しました。
「学校も帰国子女をあまり受け入れたことがなく、経験がなかったという点で、制度や教員にも無理があったのではないかと思います。私を“特殊”だと母親に言った先生には、確かに落ち度はあるかもしれません。ただ、アメリカの学校生活のスタイルに慣れていた私の考え方や振る舞いが先生に理解できなかった面もあっただろうし、どう扱っていいか分からなかったのではないかと思います」

“いいよね”って言わないで
日本の小学校で受けた経験は、自身のアイデンティティーや帰国子女について考えるきっかけとなりました。
さらに2009年に都内の大学に進学すると、そこで多くの帰国子女と出会い、帰国子女にもいろいろなタイプがいることを知ったといいます。
「大学には自分の知っている帰国子女とは全然違う帰国子女がたくさんいました。例えば、帰国子女だけど日本人学校にずっと通っていて英語が話せない人、性格も含めて完全に外国人っぽい人、逆に外国人ではなくて日本人だと見られたい人などです。なかには、帰国子女だと知られると偏見を持たれるかもしれないので帰国子女だと知られたくない『隠れ帰国』の人たちもいました」

kikoku.190830.10.jpg飯田さんは実際には多様な帰国子女がいるにもかかわらず、日本社会でのイメージは一面的なものが多いのではないかと感じています。
「『帰国子女だから苦労をせずに英語を身につけていいよね』とか『就活に有利でいいね』とか、けっこうそういうことを言われます。言う人たちは悪気なく言っているのですが、そこにはいろんな偏見が入っていると感じますし、毎回聞かれるのでたまに疲れます。そもそも、帰国子女だから英語を話せるというのは事実と違います。英語が全然話せないけれど海外に長くいたという帰国子女もいるので、『帰国子女だから英語できるよね』というのはフェアじゃないと思います」

kikoku.190830.11.jpg「また私は英語を話せますが、楽して習得したわけではありません。アメリカにいたときは毎日夜中の1時まで、現地校の宿題や日本人学校の補習校の宿題をやったりして、本当に大変でした。さらに帰国してからも大変です。母国なのに自分が外国人のように感じ、母国の文化や慣習に違和感を感じる『逆カルチャーショック』を受ける帰国子女が多い。かなり苦労して日本での日常生活を取り戻すという実態があるのに、『帰国子女で楽してよかったね』と言われると複雑な気持ちになります」

もっと知ってほしい
日本に暮らす外国人や外国にルーツを持つ子どもたちをめぐるさまざまな課題。
その中で「ハーフ」についての記事を読み、私たちに「帰国子女も似たような問題を抱えている」と声を寄せてくれたのが飯田さんでした。
飯田さんはこの夏まで帰国子女としての経験を生かしたいと、小学生から高校生までの子どもたちに英語を教える会社で働いていました。

kikoku.190830.12.jpgそして仕事のかたわら、ことしから、日本社会が思い描く「帰国子女」のイメージと実際の帰国子女が経験している実情がどのように異なるのかを明らかにしようと、帰国子女を対象にアンケートを行っています。
これまで100人以上から回答を得ていて、その結果からは、飯田さんと同じようにいじめを受けた人が少なくないことや、ほとんどの人が「逆カルチャーショック」を受けたという結果が出ています。
飯田さんは引き続き、帰国子女についての調査を続けたいといいます。
「できれば帰国子女について知る機会がもっと増えてほしい。一人一人にいろんなバックグラウンドがあり、いろんな人がいるという認識がもっと広まってくれるとうれしいです」

投稿者:鮎合真介 | 投稿時間:13時22分

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