2018年04月25日 (水)まだ見ぬ我が子


※2018年4月6日にNHK News Up に掲載されました。

それはほんの一瞬でした。看護師が注射器を持ち、シャツをまくり上げた左腕に針を刺しました。それから数十秒で、私の検査はあっけなく終わりました。この検査を受けたことがよかったのかどうか、今も悩んでいます。命に向き合うという覚悟のないまま、私と夫にまだ見ぬ我が子の運命が委ねられたのです。

ネットワーク報道部記者 野田綾

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<40歳の妊娠>
私は保育園と小学校に通う子どもがいる40歳。去年、3人目の子どもを妊娠しました。これまでの2人の子どもの妊娠とは、少し違った思いがありました。

体力も落ちている、仕事をしながら小学校と保育園の送迎に家事。分刻みの生活の中、3人をしっかり育てられるのだろうか。もしも子どもに障害があったら、どうすればよいのか。

そうした思いで受けたのが「新型出生前検査」でした。


<新型出生前検査>

mad180406.2.jpg新型出生前検査の採血の様子
この検査、妊婦の血液を分析して、おなかの中の赤ちゃんの「染色体の異常」を調べます。

ダウン症などに関わる3つの染色体に異常があるかどうかが高い確率でわかります。

こうした検査で障害があるという結果が出た場合、どうするのか。

国立成育医療研究センターの医師などの調査ではおよそ80%が中絶という道を選んでいます。


<35歳の私>
前の子どもを妊娠した35歳の時にも、同じような検査を受けるかどうか、医師に聞かれたことがあります。

私は即答しました。「子どもはどんなことがあっても大切に育てます。検査は受けません」

でも年齢を重ね2人の子どもがいる私は、35歳の私と違っていたのです。


<ありがとうが言えない>
私はパソコンを開き、インターネットですぐに検査ができる病院を探し連絡をとりました。

mad180406.3.jpgおなかの中の子どもは、日に日に大きくなっていきます。

心の中で葛藤が始まりました。

「なんで私は検査を受けようとしているのだろう、私は今から何をしようとしているのだろう、もし障害の可能性を指摘されたら、どうするのか。いまおなかの中で私に会おうとしている子どものことをどう考えていけばいいのか」

妊娠の報告を人にした時に、検査のことを考えて胸が苦しくなり「おめでとう」の言葉に、「ありがとうございます」と返せませんでした。言葉が続かず、その場で泣き出しました。


<数十秒の検査>
検査の日、病院の待合室に入るとたくさんの妊婦の方たちがいました。

診察室では医師から検査の簡単な説明があり、最後に「質問はないか」と、聞かれました。思いつかないでいる間に採血があり、数十秒で検査が終わりました。

結果は郵送されることになり、それを待つ間にも、子どもは大きくなっていきました。


<自分と向き合う>
私は仕事として、どんな状況にあっても懸命に生きる人たちの姿を取材し伝えてきました。

子どもが幸せに成長するために何ができるかは大切な取材テーマでした。

その私が真逆のことをしているのではないかと思いました。矛盾のようなものを覚え、苦しさに耐えられなくなりました。


<くすぶり続ける思い>
検査から10日後、帰宅してポストを見ると通知が届いていました。

夫の帰りを待ち、2人で検査結果を開けました。染色体の異常はないとされる結果でした。
私の中のわだかまりは、くすぶり続けました。

それは、親としてなんということを考えたのかというような息苦しさにも似たもので、私はこの検査について取材することにしました。

罪ほろぼしでもない、ただ取材をしなければと思ったのです。


<大丈夫ですか?>
mad180406.4.jpg「カウンセリングを受けなかったのですか、大丈夫ですか?」

取材をした国立成育医療研究センターの認定遺伝カウンセラー、西山深雪さんに聞かれました。西山さんは、出生前検査を受ける前から出産直後まで、妊婦や家族の相談に応じる仕事をしています。

「検査前に専門医やカウンセラーによるカウンセリングを受けることを学会が定めています。検査や子育てについて正確な情報や命と向き合う気持ちが大事だからです」

私はこうしたカウンセリングを受けていませんでした。

「生まれてくる赤ちゃん100人のうち、3人から5人ほどは何かしらの治療が必要です。新型出生前検査で異常がわかるのはそのうちの2割足らずです。異常がわかり出産する時にはどんなサポートが受けられるのか、それを知ってもらうのも大事なことです」


<苦しんで苦しんで>
言えた立場にないかもしれないと思いながら、聞きました。
「検査で異常がわかると、中絶を選ぶ人が多くなっていますが」

「みんな検査をきっかけに、家族で命について真剣に向き合っています。必要な情報を提供し、夫婦の不安や将来への考え方もすべて出してもらいます。そのうえで、苦しんで苦しんで決断した結果です。子どもをあきらめたくて、あきらめた人を私はひとりも見ていません」(西山さん)


<“簡単”には反対>
日本ダウン症協会の理事でおなかの中の赤ちゃんに病気や障害があるとわかったときに相談に応じている「親子の未来を支える会」の理事でもある水戸川真由美さんに電話をしました。

会いたいと話をすると私の身重の体を気遣って、わざわざこちらに来てくれました。

出生前診断に対しては「命の選別をしている」として反対する意見もあります。

水戸川さんもダウン症の子どもを育てていて、真向かいに座って、取材に答えてくれました。

mad180406.5.jpg「私たちの協会は、出生前検査を受ける権利は否定していません」

水戸川さんの考えは私が最初に思っていたものとは違うものでした。

「医療技術の進歩は止められません。ただ誰でも“簡単“に検査を受けられるようになるとしたら反対します。(相談者に)産みたいという気持ちがあるときは、ダウン症の私の子どもは高校を卒業している。旅行などもしていると、ふだんの生活や経験を伝えています。“どんな選択をしても寄り添うよ”、そう伝えるようにしています」

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<私は…>
2人の話を聞いて私は、知識も検査を受けることへの心構えも何もないまま、漠然と検査を受けたのだと感じました。

この検査はカウンセリングを受けたとしても、決断に対して心を病んでしまったり、夫婦関係が壊れてしまったりすることもあるとカウンセラーの西山さんは話していました。

命が宿っていることはそれだけ重たいことで、「ただ受ける」のではなく、真剣に「宿っている命と向き合って受ける」検査でした。

検査を受けることに対して、正しい、正しくないはないけれどきちんと知識を持ったうえで向き合ったのかどうかは、命を宿した夫婦として問われるものではないか、少なくともそう思いました。


<我が子へ>
検査が安易に行われるようになっては決していけない、また受ける側もどんな結果でも、悩まないことなどない、経験と取材を通じていま考えられるのはここまでで、まだまだ考え続けています。

まだ見ぬ我が子とは、これまでより、少し複雑な気持ちで私は対面するのかもしれません。

投稿者:野田 綾 | 投稿時間:17時07分

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