2019年02月21日 (木)鉛中毒 高まるリスク
※2018年12月19日にNHK News Up に掲載されました。
「鉛中毒」って知ってますか?インターネットで検索すると激しい腹痛や神経のまひなどの症状が出ると書かれています。また、江戸時代には、化粧・おしろいに「鉛」が含まれ、中毒症状を訴える女性が多かったとも紹介されています。「鉛」って何?「鉛中毒」って、自分たちとは何の関係もないと感じる人がほとんどだと思います。私たちもそうでした。しかし、取材を進めるといま、そのリスクが高まっている実態がわかってきました。
ネットワーク報道部記者 目見田健
<広がる鉛中毒対策>
取材を始めたきっかけは、高速道路会社や建設会社が「鉛中毒」への対策を強化しているという情報でした。
いったいなぜなのか。
その理由や現場の様子を取材したいと思い、ことし8月から取材交渉を続けました。
会社の広報担当者に電話で連絡すると
「おおげさに放送されると困る」
「作業が忙しく取材にとても対応できない」
「鉛中毒」という言葉を出したとたん、急に態度を硬くする会社もあり、断られるケースばかりでした。
取材の趣旨を時間をかけて説明したところ、「ネクスコ東日本」から取材に応じてもよいと返事がありました。
そして、ことし11月下旬に、千葉市中央区の現場を取材しました。
案内された現場は、京葉道路の千葉東ジャンクション近く。
担当者の案内で、防護服やマスクを着用して向かいました。
粉じん対策用の鉄の壁で覆われた現場では、300メートルほどある橋脚に塗られた古い塗装をはがす作業が行われていました。
この高速道路が作られたのは昭和50年代。
現場では、4人程度のグループに分かれて、合わせておよそ30人の作業員が作業にあたっていました。
現場に入ったとたん、塗料独特の鼻につくにおいがします。
どこに鉛があるのか。下請け会社の担当者が説明してくれました。
橋脚の表面にある黒い部分が鉄がさびたもの。赤い部分が鉛を含んだ塗料です。およそ30年たつとどうしても塗装がはがれてくるので、順次塗り替え作業を行っています。
あたりいったいが赤くなっていて、一面に鉛があることがわかります。新しい塗料に塗りかえる作業では、空気中に鉛が飛散する危険があります。
この現場では責任者を設け、誤って、鉛を吸い込まないように専用のマスクにゴーグル、使い捨てで毎日新しい物に取り替える防護服、手袋は2重にするなど対策を徹底していました。
防護服は1着数千円するということです。
下請け会社の平光義尚工事課長
鉛中毒は怖いです。作業員には対策を徹底させ、さらに診断で血液中の鉛の濃度が少しでも高くなれば、配置換えを行ったり、作業時間を短くするなどして作業員の健康を守っています。
<鉛はどこに?なぜリスクが?>
鉛がなぜ、高速道路の橋脚に塗られているのか?
そもそも鉛は、有毒な化学物質ですが、防腐効果が高いことで知られています。
そのため、かつては高速道路や鉄道の橋脚などに鉄のさび止めとして塗料に混ぜて塗られていました。
塗装は何重にも施されていて、鉛を含む塗料は最も内側に塗られています。この鉛を含む塗料を塗ることで鉄の耐久性が増し、インフラが長持ちすることから、当時は一般的に使用されていました。
しかし、鉛を誤って吸い込んだ人に健康被害が出たため、国内の塗料メーカーおよそ100社で作る団体「日本塗料工業会」は平成8年に自主的に使用を禁止しました。
団体によりますと、今も一部で使われていて、2020年までの廃絶に向けて取り組んでいるということです。
とはいえ、ほとんど使われなくなった鉛を含む塗料。今、古い建物の改修工事が増えたことで、鉛中毒のリスクが高まっているという指摘が専門家や医師などの間から出ています。
<鉛中毒とは…>
鉛中毒は空気中に飛び散った鉛を吸い込んだり、はがれた鉛に触れた手をなめたりすることで発症します。
鉛は体内に蓄積され、手足のしびれや筋肉のけいれんなどがおきて激しい痛みにみまわれ、最悪の場合、死に至る危険もあります。
平成26年には、東京の高速道路で改修工事などをしていた14人の作業員が鉛中毒となる災害が起きたため、厚生労働省は、業界団体などに対策の徹底を呼びかけています。
厚生労働省によりますと、この災害をきっかけに鉛を扱う業務に従事する労働者を指揮・監督する鉛作業主任者の資格を取得する人が増えています。
平成25年度までの10年間は、1100人から1500人台で推移していましたが、平成26年度は4500人余りと前の年の4倍近くに増加。その後も2500人から4000人ほどと高い水準となっています。
厚生労働省は、中小零細を含めた企業全体に対策を徹底させたいとしています。
<鉛中毒が疑われるケースが>
ところが取材を進めると最近になって鉛中毒が疑われるケースが新たに出ていたことがわかってきました。
東京・江東区の「ひらの亀戸ひまわり診療所」の毛利一平医師が、注意喚起や再発防止につながればと取材に応じました。
診療所では、建設会社などからの委託を受けて作業員の定期検診を行っています。
そうしたところ、ことし5月、東京都内の高速道路の補強工事に携わっていた作業員33人の健康診断で血液検査を行った結果、8人が血中に含まれる鉛の数値が異常な値を示したのです。
厚生労働省の基準では、▽血液100ミリリットル中、60マイクログラム以上の鉛が検出され▽腹痛や末しょう神経障害などの症状が2つ以上出ていると鉛中毒が発症したと判断するとしています。
8人のうち、2人が自覚症状はなかったものの60マイクログラム以上の鉛が血液中から検出され、鉛中毒と疑われて激しい腹痛や手足のしびれなどの症状が出る危険が高いと診断されました。
ほかの6人は国の基準を下回ったものの、40マイクログラム以上の鉛が検出され、作業を続けると鉛中毒を発症する可能性が高いと判断されました。
毛利一平医師
今の時代にこれほど血液中の鉛の濃度が高い作業員が多くいたことに驚きました。全国でインフラの補修工事が進む中、ほかの現場でも同様の鉛中毒の危険はあり、今後、中毒を発症する作業員がでる可能性があります。
工事の元請け会社はNHKの取材に対して「マスクや防護服などの着用を指示していたが、1人1人に徹底されておらず、着用が不適切だった可能性がある。引き続き、健康被害の防止に関する法令を遵守しながら工事を行っていきたい」としています。
<医師でも診断難しい鉛中毒>
しかし、鉛中毒かどうか診断するのは医師の間から難しいという声が聞かれます。
そう話すのは、大阪・西淀川区「のざと診療所」の中村賢治医師。化学物質の健康影響を研究し、4年前に40代の男性を鉛中毒と診断しました。
中村賢治医師
本人からすると死ぬほど痛い。足がつった状態がおなか全体に起きて15分ぐらいつづき、おさまったと思ったらまた出てくる。眠ることもままならない状態だった。
男性は「腹や胸、それに背中に激しい痛みが1か月近く続いている」と訴え、体重が10キロ減少していました。
中村医師の診察を受けるまでに4つの病院を受診していましたが診断はすべて原因不明だったといいます。
中村医師は男性が「症状は高速道路の塗装工事を始めた後から出た」という言葉に注目しました。
現場に鉛が使われていた可能性を考え、血液検査を行って鉛中毒がわかったのです。
男性は半年間にわたって点滴などで治療し回復。発見がもう少し遅れれば、体にまひが残った危険もあったといいます。
医師の間でも鉛中毒の患者を診る機会が少なく、知ってはいるものの過去の病気と思われているのではないだろうか。このため、多くの鉛中毒の患者が見過ごされている危険があり、表に出ているのは氷山の一角の可能性があります。
<学会でも症例報告>
鉛中毒の情報を共有して診断や治療に結びつけようという動きが今、広がっています。
先月名古屋市で行われた日本産業衛生学会。
愛知県の医師が鉛中毒と診断した50代の男性の症例を発表しました。
この男性は鉛を扱う工場で作業していて、新しく経験したことが思い出せない「記銘力障害」という記憶の障害が起きるほど重症化していました。
最初に病院で診察を受けてから10年近く鉛中毒とわからなかったといいます。
報告した医師は「鉛中毒かどうか診断するためにはその症状だけではなく、患者の職場や仕事の内容などを聞き取る必要があります。診断の指針を見直す必要があるのではないか」と呼びかけました。
参加者からは「記憶に障害が出るほどの影響がある鉛中毒の症例は自分はこれまで聞いたことがなかったので驚いた」とか「鉛中毒に関する知識がなければ、初期の認知症だと診断してしまうかもしれない」という声が聞かれました。
<対策の徹底を>
いま、高度経済成長期に作られた高速道路などのインフラが老朽化し、建て替えや修繕の時期を迎えています。
今後も工事は増えるとみられ、鉛中毒のリスクは高まっていると取材を通じて感じました。経済効率を優先し社会で広く使われてきた有毒物質である「鉛」。こうした情報をきちんと周知するとともにいわば「負の遺産」への対策をどう進めていくのかが課題になっていると思います。
投稿者:目見田健 | 投稿時間:14時46分