2016年06月21日 (火)"若者から若者へ"震災語り継ぐ
※これは、2016年3月6日に放送されたものです。
「被災地への関心」を集めるために動き出した若者がいます。
若者から、若者へ。
記憶を語り継ぐ輪が広がりつつあります。
宮城県南三陸町出身の大学生、
小野寺翔さん。
被災した経験のない
関東の若者を被災地に案内する活動を、去年から始めました。
(小野寺 翔さん)
「もうその辺までガレキだったからね。」
まだ一度も被災地を訪れたことがない
大学生の友人とともに、震災の跡をたどりました。
震災当時は、中学2年生だった小野寺さん。
津波で自宅をなくし、いまも家族は仮設住宅に住んでいます。
去年、横浜の大学に進学した小野寺さんは、
周囲の若者が被災地に関心を持っていないことに
愕然としたといいます。
(小野寺 翔さん)
「全国どこでも報道されていたと思いますし、
なので、あとうちの南三陸って言うイメージも
固定できていたんじゃないかなと思ってたんですけど
全然違った。そこでギャップを感じた。
実際に現地に行ってもらうということが
重要なのかなと感じた。」
自分たちが体験した震災の現実を実感してほしい。
小野寺さんは、地元の同級生とともに、
迫り来る津波から必死に逃げまどった
中学校の付近を案内しました。 (被災した小野寺さんの同級生)
「波見てから走り出した。すごい速い。
波見てからうわって登って、今は登れないかもしれない。」
「女の子の手を離しちゃってそれで流された子がいて
自分のせいだってすごい泣いてて。」
壮絶な体験談に、参加した若者たちは、言葉を失いました。
初めて被災地を訪れ、
親しい友人から当時の体験を聞いた若者たち。
少しずつ、意識に変化が生まれていました。 (被災地を初めて訪れた学生)
「震災のことって、私たちからしても、
聞いていいのかいけないのか、微妙なラインだったから、
身近な子が経験したことを聞くだけで、
私の中で変わったかな。」
小野寺さんの案内で、
去年、南三陸町を訪れたことをきっかけに、
みずから、震災を伝える側になろうとしている若者もいます。小野寺さんと同じ大学に通う大矢翔さんです。
(大矢 翔さん)
「(被災地に)すごく距離が近くなったというか、
注目するようになり関心が深まったというのと、
何か変わらなきゃいけないと思って、
できることから始めようと思って。」
被災地で聞いた小野寺さんの体験をもとに、
大矢さんは、まず、食糧の備蓄から始めました。 (大矢 翔さん)
「小野寺がいったのが震災直後は
あまり食べるものがなくて、
少ないご飯で(分け合って)食べていたと聞いていたので、
備蓄を増やしておけば
周りの人にも分けられるなと思ったので。」
さらに、去年、
小野寺さんとともに
市民参加型の防災会議にみずから出席し、
“ぜひ、一度、被災地を訪れ、現状を自分の目でみてほしい”
と訴えました。 (大矢 翔さん)
「自分のできることは、その自分の仲間たちに
とりあえず現地に行ってみるといいよと伝えて、
できれば小野寺が主催するツアーにも参加して、
輪を広げていけたらいいなと思います。」
大矢さんの意識の変化を目の当たりにした小野寺さん。
さらに多くの若者に
被災地を訪れてもらいたいと思うようになりました。
今後、どうすれば、大矢さんのように、
みずから行動を起こしてくれる若者を増やしていけるのか。
小野寺さんは、被災地の支援を行っている
専門家のアドバイスを聞くことにしました。 (小野寺 翔さん)
「新たに行きたいという子もいるので
規模的には、結構大きくなるかなと。」
(東洋大学 森田 明美教授)
「南三陸町に頼んだらどうか。」
復興事業の一環として、
“ 被災地の外から若者を招く取り組みをしている
ほかの自治体をモデルに、
南三陸町に提案してはどうか ”というのです。
町の復興事業として認められれば、
資金的な援助や宿泊先の確保なども見込めます。
小野寺さんは、町に協力を求めることを決めました。 (小野寺 翔さん)
「私たち大学生が震災風化を止めるために
できることを考えようと思っていて。
被災地の県外の皆の力を借りて
地元の人間ができることと、外の皆で協力して。
一緒にできる活動っていうのを
学生のうちに継続していきたいなと思います。」
投稿者:伊達裕子 | 投稿時間:16時47分
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