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インタビュー

大坂の陣で、その人生を燃やし尽くした真田幸村。
長い航海を終えた堺雅人さんにお話を伺いました。

 

『真田丸』という長い航海を終えて

最終回の脚本をいただいたとき、一番衝撃的だったのは……佐助の年齢です。ずっと年下と思っていたのですが、年上だったんだ(笑)!

最期の顛末(てんまつ)については、史実として日本全国の多くの方がご存じですから、「来るところに来たか」という思いでした。予想通りではありましたが、とても一人ではたどり着けなかった終着点だったと感じています。幸村は大坂の陣という場で8か月だけ輝き、有名になりましたが、人生とはそんなものなのかもしれません。
撮影が全て終わった後、この心境は何に一番近いかと考えたら、「長い旅から帰ってきた時のような気持ち」でした。1年2か月というこの撮影期間ほど、これまで長い旅行に出たことはありません。

疲れましたが、僕は『真田丸』という旅行のプランナーではなく、ひとりの旅行者でしたから、そこは気が楽でしたね。水先案内人の三谷さんについていき、周囲はスタッフがしっかりと固めてくださって、出会うのは一流の役者ばかり。これなら、どんな役者が幸村を演じても大丈夫というくらい素晴らしい旅でした。本当に得難い経験をさせていただいたと思います。
ただ、何事も自分のペースでは進まないので、途中から無理はしないように心がけました。最初のロケで草刈正雄さんがおっしゃった「ちゃんとご飯を食べないと、もたないね」という言葉は、ずっと心に残っています。

共演者やスタッフ、視聴者からのボールを受けながら

『真田丸』では、三谷さんの書かれた脚本の通りに、ト書きも含めて一字一句なるべく忠実に演じるように心がけました。現場の空気で演じた方が、役者として楽しい時もあるんです。極端な話、セリフだって言いやすく変えてしまえばいい。けれども、今回そうじゃない方がいいと思ったんです。余程の間違い以外は、いや、極端な話、間違っていても脚本通りにやってみようと。それも含めて『真田丸』だと考えていました。ですから、例えば脚本では“部屋の中”での会話シーンを、撮影の演出上、場所を“廊下”に変更してほしいと要請があった時には、監督さんと話し合ったりしました。例えば“部屋に向かう道中の廊下”での会話シーン、というふうに考えるのはどうか、とか。

最終回では、戦場を駆け巡る幸村を見た上杉景勝が、「武士と生まれたからには、あのように生き、あのように死にたいものだ」と評すセリフがありましたが、幸村は図らずも、最期まで現場で生きることができた男なのだと思います。だから、一線から離れてしまった武将たちが、ちょっとうらやましいという気持ちを抱いたのかもしれません。それは良かれ悪しかれ、真田幸村の人生の面白いところだったのではないかと思います。今回、撮影スタジオに行くのが、毎日楽しみでしかたがありませんでした。共演者やスタッフ、ご覧いただいた視聴者の皆さんから投げられたボールをずっと受けることができたので、本当に飽きることなく、とても楽しかったですね。

けれども、そうした姿勢が、どうも僕を頭でっかちにさせていたらしく、実は撮影の前半の頃に、三谷さんから「もう10%くらい現場の空気に身を任せてみたら」とアドバイスをいただいたんです。「こうしたい」という僕の思いが強すぎたのかもしれません。でも10%という数字が三谷さんらしいなと。野球の投手に例えると、あと球半個分だけボールゾーンに投げなさいと言われているような感じでした。普通だったら、ただ「もっと好きにやってください」とおっしゃると思うのですが、そこを「10%」というのが、実に厳しかったな。三谷さんって、厳しい人だと思います。

最終回では、戦場を駆け巡る幸村を見た上杉景勝が、「武士と生まれたからには、あのように生き、あのように死にたいものだ」と評すセリフがありましたが、幸村は図らずも、最期まで現場で生きることができた男なのだと思います。だから、一線から離れてしまった武将たちが、ちょっとうらやましいという気持ちを抱いたのかもしれません。それは良かれ悪しかれ、真田幸村の人生の面白いところだったのではないかと思います。今回、撮影スタジオに行くのが、毎日楽しみでしかたがありませんでした。共演者やスタッフ、ご覧いただいた視聴者の皆さんから投げられたボールをずっと受けることができたので、本当に飽きることなく、とても楽しかったですね。

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