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歴史解説

戦国大名、国衆、そして国

 

戦国大名国衆は、ともに戦国時代に生まれた「領域勢力」です。では、どういう領域で、どのように勢力を発揮していたのでしょうか?

そもそも戦国大名とは?

他のなにものの権威によらず、領国を「自分の力量」で支配することができる存在を「戦国大名」であると学術的に定義されています。それまでは、一つの荘園内でも貴族、武士、寺社など、複数が権益を持っていて混乱した状況でしたが、武力行使や話し合いによる権限の移譲などで、まとまった地域を支配することが可能になりました。こういったことを実現した「力量」のある存在が戦国大名です。
戦国大名の支配が及ぶ領域は、当時「国」と呼ばれていました。こうした、自立した国が、全国各地で乱立していたのが戦国時代です。
戦国大名は村を直接支配し、その権力を行使するために直属の家中(家臣団)を持っていました。

戦国大名の役割は、領内の抗争を防ぐこと

戦国大名の領内の村で生きる百姓は、税を納め、村という範囲内で生活していました。しかし百姓は皆武装しているため、隣り合う村同士で領域争いなど、武力抗争の火種は、現代以上に数多くありました。些細(ささい)なことから戦が起こらないように、また起こったとしても、うまくいくよう仲裁するのが戦国大名の役目でした。
村は納税の他に、他国からの侵攻を防ぐ城の建築・整備、戦時の物資運搬役も引き受けました。こうした負担を受け入れた村が、戦国大名の配下に入ったのです。村の戦のリスクは、配下では激減しました。
戦国大名の家来である家中も、時にはいさかいを起こします。それを防いだり裁いたりするのも戦国大名の務めです。
戦国大名同士で戦をすることはあっても、国内では戦をさせない。こういった「自分の力量」は、国内が安定すると、隣国への外交という形でも試されることになっていったのです。

では、国衆とは?

政治的、軍事的に独立できず、どこかの戦国大名に従っている存在を、国衆と言います。国衆も、戦国大名と基本的には同じ構造の存在です。村と直接つながりがあり、家臣を抱えています。独立して存在し、国衆を従えているか否かで、戦国大名となりえるかが決まります。
国衆は、隣り合った大名の勢力が大きくなった時は、その大名の傘下に入りましたが、状況次第で裏切ることもありました。特に敵対する大名同士の境目にいる国衆は、難しい判断を迫られることが多くありました。戦国大名の領国の外縁部は、それら国衆の領国によって構成されていました。戦国大名同士の抗争は国衆をいずれが服属させるかの争いでもあったのです。
国衆の存在は、豊臣秀吉の天下統一によって消滅します。秀吉が直臣として認めた国衆は独立した大名となり、そうでない国衆は従属先の大名の家臣になったからです。

監修・時代考証

黒田 基樹 (くろだ もとき)

駿河台大学法学部教授。膨大な史料を駆使・渉猟し、戦国史の実相を明らかにする研究に精力を注いでいる。大河ドラマ『真田丸』の時代考証を務める。著作に『真田昌幸 徳川、北条、上杉、羽柴と渡り合い大名にのぼりつめた戦略の全貌』、『百姓から見た戦国大名』 他。

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