2012年2月19日放送
技術者の夢と情熱の継承が ものづくりの現場を支えていく

深海探査機「江戸っ子1号」を作ろうと呼びかけたのは、東京の下町にあるゴム製造会社の社長、杉野行雄さんです。杉野さんが、深海探査機を作ろうと心に決めたのは、3年前の出来事がきっかけでした。大阪の中小企業13社が共同で人工衛星「まいど1号」を開発し、打ち上げに成功した姿を見て、杉野さんは突き動かされました。「我々にもあれに負けない技術を持っているんだから、何か世の中のためになることができないか。『深海をやってみよう』と。」
深海探査機を開発するのは初めての杉野さんは、まずは大学や研究機関に問い合わせて情報を集めました。その時初めて知ったのが、日本が開発した「しんかい6500」の存在です。水深6500メートルまで潜ることができ、人が乗れる潜水調査船としては、世界一の性能を誇ります。今後こうした調査船は、海底資源や微生物の調査のために、ますます需要が高まると言われていますが、開発には10年の歳月と120億円以上の費用がかかっています。これだけ大がかりなものは町工場では作れません。コストを抑えた小型の探査機が作れないかと専門家に相談したところ、提案されたのが、水深8000メートルの水圧に耐える強度のガラス球でした。値段もひとつ30万円程度と、杉野さんたちにも無理なく買えます。杉野さんは当初の構想を大幅に変更し、ガラス球を組み合わせて作る小型の探査機を1年かけて設計しなおしました。
設計した探査機は...カメラや照明、通信装置などが入ったガラス球に、樹脂で出来たカバーをつけ合体させたものです。足の部分にはサンプルを採取するチューブもついています。この探査機はサイズが小さいので、小型船で沖に運び、重りをつけて海に沈めます。海底に到達すると、自動的にビデオ撮影をしたり、土や微生物などのサンプル採取を行います。調査が終わったら、重りを切り離して浮上し、PSで位置を測定し、衛星通信で居場所を知らせ、その情報を元に、船で回収するのです。
この計画なら、2000万円程度で開発できると杉野さんは見込んでいます。町工場にも、新規参入のチャンスが生まれるのです。「私どもは今、大変不況で苦しんでいるんですけど、皆さん世界に誇る技術を持ちながら、仕事にうまく巡りあえずに苦しい思いをしている。我々の素晴らしい技術をアピールし、また、世界的にも認めてもらえるいいチャンスになるんじゃないか。」町工場の技術の粋を集めた「江戸っ子1号」は、今年中には完成する予定です。
杉野さんの呼びかけに3つの町工場が協力を申し出ました。いずれも、従業員20人から30人ほどの中小企業ですが、それぞれの分野で高い技術を持つプロ集団です。金属加工会社の浜野慶一さん(写真右奥)は、板金のプロフェッショナル。江戸っ子1号が浮上したとき位置を知らせる通信装置を担当します。自動車部品メーカーの小嶋大介さん(写真左奥)は、精密な金属部品を作り出す技術があります。担当するのは、ビデオの撮影装置です。そして、電子機器メーカーの桜井敏則さん(写真右手前)は、照明装置と、それぞれの機材の充電システムを担当します。この4社が、大学や研究機関の協力を得て、プロジェクトチームを立ち上げ、今年から本格的な製作を始めました。
江戸っ子1号を作る上で、難しい技術的な課題がいくつか浮かび上がってきました。その一つが、桜井さんが担当する充電システムです。ガラス球の中にカメラや照明などをセットしたあとは、湿気やゴミが入らないよう、密閉したままにしておかなければなりません。密閉したまま充電できる新しい技術が必要になります。ガラス越しにワイヤレスで充電する...その技術開発を任された桜井さんは、コイルを使ってガラス越しに電気を送る方法を考えました。コイルの太さや巻き方などを変えて実験を繰り返し、最も効率的に電気を流せる方法を探っています。
4つのガラス球を組み合わせた「江戸っ子1号」には、もう一つ課題がありました。それは、別々のガラス球に入れた装置を同時に動かすために、ワイヤレス通信をしなければならないことです。海の中に潜ると、電波は海水で阻まれ、届かなくなります。この課題に取り組んでいるのが、プロジェクトリーダーの杉野さんです。杉野さんが作っているゴムが、新しい通信技術を開発する糸口となりました。杉野さんは今、東京海洋大学の研究室と共同で開発を進めています。特別に作ったこの白いゴムの固まりが海中での通信を可能にする"魔法のゴム"なのです。
東京海洋大学の研究室で、水槽で携帯電話を使って実験をしてみました。水中の箱に杉野さんのゴムを接触させて、その先端を水面に浮かせておくと・・・。電波がゴムを伝って水中のケースに届き、携帯電話が鳴りました。水中でもゴムが電波を通したのです。「江戸っ子1号」では、ガラス球とガラス球の間にこのゴムを挟み込むことで、海中でもガラス球同士の通信が可能になります。大学での実験から戻った杉野さんは、早速ゴムの改良に取りかかりました。より電波を伝えやすいゴムを作るために、どの素材をどれだけ混ぜ合わせればいいのか。40年の経験をもとに、計算していきます。杉野さんは今、本業のかたわら、休日返上で製作に取り組んでいます。
江戸っ子1号プロジェクトには、技術革新だけでなく、会社の経営立て直しのきっかけにしたいという期待もかかっています。ビデオの撮影装置を担当する小嶋大介さんが経営している自動車部品メーカーは、1000分の1ミリの精度で、金属を削ることが出来る高い技術を持っています。その技術力から難しいレーシングカーの部品作りを受注し、事業の柱の1つになっていました。ところが、4年前のリーマンショックの後、自動車メーカーがレースから次々と撤退。レーシングカーの部品の発注がなくなりました。さらには東日本大震災で、取引先の自動車メーカーが生産停止に追い込まれました。8割を自動車部品に頼っていたこの会社では、売り上げが一気に落ち込んでしまったのです。
レーシングカーの仕事がなくなったことは、社員たちの心にも影を落としました。入社してからずっとレーシングカーの部品づくりを担当していた谷治一正さんは、難しい技術が必要な仕事に誇りとやりがいを感じていましたが、部品が作れなくなったことでモチベーションが下がってしまったといいます。そこで小嶋さんは、若手の谷治さんに、ビデオカメラを制御する部品の設計を任せることにしたのです。レーシングカーに代わる深海探査機。自分の腕試しができるこの仕事に、谷治さんはやりがいを感じ始めています。深海探査機という新しい分野に乗り出すことで、会社の売り上げを回復させたい...小嶋さんはそう考えています。
宮崎美子さん(俳優)

でも、私がちょっと思ったのは、町工場は"おやじさんがハンコなしで何でもやれる"と言っても、もし従業員か従業員の妻だったら、あてのないものを始めて、それで会社がどうかなっちゃったらもうとんでもないって、ちょっと反対するような気持ちにもなりそうですけれど...。
山根一眞さん(ノンフィクション作家)

最初は皆、「おやじ、またばかなことを始めた」と思う。でも、おやじが一生懸命やっていく姿が会社全体に広がっていく。今の時代ってね、どこもそうなんですけど、景気が悪い、ものが売れない、どうやって安く売るか、どこでつくろうかとばかり考えるじゃないですか。そうじゃない。「こういうときだからやったことないことをやってみようじゃないか」ってやると、こういうものが続々と生まれる。技術の進化って、イノベーションって、みんなそういう、いたずら心とか遊び心なんですよ。
杉野行雄さん(江戸っ子1号プロジェクト推進委員会委員長)

町工場は今まで、受注一本で成り立ってきたんですけれども、日本もだいぶ仕事の量が減ってきてる。待ってたんじゃしょうがない。だったら自分たちの技術力で何かを開発して、それを売り込む努力が必要な時代になってきてるんじゃないかと思いまして。今まで日本を支えてきた製造技術の大半が町工場だったんですけれども、それがどんどん仕事とのめぐり会いがなくて、朽ち果てていく。これは人類の損失ではないかと思います。