アナウンス室中山 果奈
大地震や津波に備えて、緊急報道の訓練を受ける
学生時代に「手話ニュース」(Eテレ)で、手話をするキャスターに代わって原稿をめくったりするアルバイトをしていました。そこでは、キャスターやスタッフの皆さんが手話に置き換えた時にどの表現がよいかを放送ギリギリまで議論。さらに、VTRのテロップの色や字体など細部まで検討を重ねていました。視聴率に関係なく、受け取り手の分かりやすさを追求する姿勢に感銘を受け、私もそんな場所で働きたいと思いNHKを志望しました。
アナウンサーとしてやりがいを感じるのは、「最初の視聴者」となって、どんな言葉で伝えるかを考えられること。わからないことは、視聴者代表となって質問をぶつけ、疑問点を解消します。「手話ニュース」の皆さんから学んだ、視聴者の視点に立って仕事に向き合う姿勢は、今でも大切にしています。
入局3年目の広島放送局で、取材をもとに、被爆した女性と彼女の体験を残そうとする息子の心象を描いたラジオ番組を制作しました。女性は、13歳の時に被爆し、左半身を大やけど。その時まわりにいた友人は、顔にもやけどを負いました。多感な少女たちは顔のやけどに心を痛め、命を断とうとする人もいたと言います。やけどの原因を、原爆を載せた爆撃機とは知らずに指を差した女性に、友人がつられて空を見上げてしまったからだと思い、女性はずっと責任を感じてきました。
私は広島市出身で毎年のように学校で平和学習を受けてきましたが、原爆はあらゆる形で人を苦しめるのだと衝撃を受けました。
どんな題材でも、わかったつもりにならずに、とことん正直に向き合っていくことが大切なのだと、放送人としての基本を教えていただいた忘れがたい経験です。
2021年、静岡・熱海で発生した土砂災害のニュースを担当しました。
生放送で熱海市の男性に電話取材。「安全な場所にいらっしゃいますか」と尋ねると、「消防の方から避難の勧めがあった」とおっしゃいました。
そこで避難を促し、取材を切り上げました。災害時の安全確認は、入局時の研修から教えられてきたことです。NHKで訓練が重ねられてきたからこそ、自然に行えた判断でした。
現在、津波が来た時にどんな呼びかけができるかをアナウンサーが考える、「呼びかけプロジェクト」・津波班の班長をしています。
以前は、冷静に情報を伝えることが優先されていましたが、東日本大震災をきっかけに、強い口調で避難を促す言葉を使う方針に変わりました。南海トラフ巨大地震など、次なる津波災害の時、1人でも多くの命を救える”呼びかけ”をみんなで探し続けています。
西日本豪雨のとき、広島放送局で夜のニュースを担当。避難を呼びかけたつもりでしたが、被害の大きさに打ちのめされました。その経験をきっかけに、災害時に緊急ニュースをしっかり務められるアナウンサーでありたいと思い、その目標を上司に伝えました。そこから数年が経ったいま、土日祝日の正午ニュース・キャスターをしています。災害が起これば、緊急ニュースを担当。自分の意思に応じた働き方を一緒に考えてくれる職場だと感じています。
また、先輩方のサポートも厚いです。自分の放送や訓練の動画を先輩に送り、アドバイスをもらっています。先輩方は経験豊富なスペシャリスト。皆さん、技を惜しげもなく伝えてくれるので、なんでも相談できる環境だと思います。
ろう者や難聴者と一緒にお届けする、ハートネットTV「#ろうなん」(Eテレ)の司会を担当しています。
ある回で、車掌のアナウンスだけでなく、電車が近づく音など、駅にまつわるあらゆる音を文字化する実証実験について伝えました。
ゲストの難聴の方の「とにかく“全て”の音を知りたい」という言葉が印象に残っています。
何が情報かということは、送り手ではなくて、受け取り手が決めるのだと気付かされました。
また、多様な生き方の中でもさらに特定の方に向けた番組が増えたらいいなと感じています。「手話キッチン」という料理コーナーでは、ろう者のシェフが手話でレシピを解説。ろう者の方に喜ばれているそうです。
そういった番組が増えることで、互いへの理解が深まっていくのではないかと思っています。
ニュースを見て、身支度を整えます
通勤時はお笑い芸人さんのラジオを聴いています。出局後は新聞を読み、昨夜起きたことを振り返ります
後日収録する「ダーウィンが来た!」のナレーション準備
最近は一人で昼食をとることが多いので、食堂に行きます
「ハートネットTV #ろうなん」出演に向けて準備を行います
13:30に、出演者と番組の流れを打ち合わせして、本番にのぞみます
「呼びかけプロジェクト」・津波班の打ち合わせを行います。過去の災害報道を振り返り、研究をすることも
自宅に到着後、料理をしてニュースを見ながら夕食。癒やしを与えてくれる柴犬の動画を見ながら就寝